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小説の評価:R(読みやすさ),C(性格描写),I:(アイデア),L(文学性)

2000年10月15日 日曜日

 近所のアパートの階段の手すりに,雀が集まってさかんにさえずっていた。ざっと見て20羽近くはいたようだ。どうしてそんなところに集まっているんだろう,と,立ち止まってしばらく見ていたら,雀たちはこちらの気配に気付いたようで,1羽,また1羽と散っていく。見られてこまることでもあるんだろうか,雀ごときに。なんとなく悪い気がして立ち去ることにした。しばらく行ってから振り返ってみると,雀たちはまた元の手すりのほうに戻って行くのだった。なんだったんだろう,あれは。

 実家に帰ることにした。
 取手駅近くのリサイクル系古本屋にて,ヴァージニア・キッド編『女の千年王国』(サンリオSF文庫)を100円でゲットしてらららラッキーっ。いまどきこんなことって,あるんだなあ。これでル=グインの「アオサギの眼」を読むことができるぞう。
 明日は紙飛行機を飛ばしにいくのだ。晴れますように。風吹くな。


2000年10月14日 土曜日

 ディリア・マーシャル・ターナー『半熟マルカ魔剣修業!』(井辻朱美訳・ハヤカワ文庫FT273 ISBN=4-15-020273-7)を読み終わった。
 魔剣も使わないし,修業もしない。半熟ってのは,まあ,そういえないこともないような気がする,けどなあ。帯には「ちびっこ剣士マルカ,大奮闘!」などと書かれているが,これは真っ赤なウソ。
 微妙に読みづらい小説。マルカの一人称文体なんだけど,事物の表面だけを突き放して語るような面があったり,マルカを演じるマルカがひょっこり顔をのぞかせて叙述が微妙に二重化されているようなところがあったりする。マルカ自身が登場人物達と深く交流するのを拒んでいるのとおなじように,読者に対しても内面を晒すのを拒んでいるようだ。それでいて,情報量が多いというかシーンの展開も早いので,うまく乗れないと,いつの間にか進んでしまって,なんにも残らないような,そういう文章なんだ。それがいいとか悪いとかってことじゃなくて,意図してそういうふうに書かれた小説だってこと。だから話はよく覚えてないのだった。んー。
 ま,とにかく,この日本語題と表紙イラストは犯罪というか,作品への冒涜というか,なにしろ酷いものだ,ということはよくわかった。この作品を使い捨てにするつもりなのか? 誰が考えたのか知らないが,もう仕事をさせちゃいかん。やれっ,やっちまえっ。
 著者自身がフェンシング選手で,マルカもフェンシングをベースにしたとおぼしき剣術の使い手なんだが,イラストを描いた人は,どうやらフェンシングを知らなかったようだ。表紙でマルカが握ってるのは,これは何だ何のつもりだ。
 井辻朱美も訳者解説の中ではっきり「SF」と書いてるし,これはやっぱし「SF」なんだろうなあ。魔力を封じ込めたエンジンで宇宙船を飛ばすってあたりをもうちょっと書き込んでくれると,純正になる。

 ハルキ文庫の新刊は,新作・復刊取り混ぜてSFが山のように出ている。いくつか欲しいのもあるけど,今週は金がない。

 ひょんなことから「別冊新評 SF-新鋭七人特集号」を100円でゲット。山田正紀,かんべむさし,横田順彌,津山紘一,山尾悠子,堀晃,鏡明の書き下ろし短編,作家論,自筆年譜。写真も載っている。

 松坂は免停中に駐車違反で,無期謹慎ですか。さすがにヤクザ監督のもとで伸び伸び育っただけのことはあるなあ。女がらみってのがなんともしまらないが,なかなか愛すべき不良ぶりではないでしょうか。だんだん好きになってきたよ。うん。

 こっちのページもちょこっと更新しました。


2000年10月12日 金曜日

 イチローがメジャーに。そうですか行きますか。もう日本でやりのこしたことはないでしょう。

 ふーん,ネスケの6番はMacOS8.5以上か。ついに取り残されたな……。いいんだ。べつに。おれは7.6.1が好きなんだよ。好きで使ってんだよ。ふん。

 現場抜きで土壇場まで勝手に話を進めて,「いまさら文句を言うな」は酷すぎるだろー。いまのままじゃ注文を受けても対応できねえからいってんだからさー。


2000年10月11日 水曜日

 ネット経由の注文に対応するための段取りを今ごろ決めてるようじゃダメダメよ。去年の今ごろから本格的に商売は始まってるんですってばあ。

 週給支払い日なのである。
 竹岡葉月『ウォーターソング』(コバルト文庫),たまにはこんなのもいいかなあ,とか思いまして,神田をふらふら探してみたんですが,無いのよねえ,これが。三省堂2階のコバルトの棚は……。これは棚とは言わないのでは。むかしからコバルトには冷たかったからなあ。もう置かなくてもいいじゃん。ここまできたら。しばらく見ない間にどおしてここまで迫害されてますか。で,書泉ブックマートにいってみても見つからないんだよ。7月に出たばかりの本なのじゃないの? コバルトの新人の寿命は3カ月未満か……。
 しかし,bk1で文庫一冊買うってのも,なあ。代引き手数料と合わせたら倍近くなっちゃうと,どうにも。ま,縁がなかったちうことか。
 と,さまよってる間に,谷川渥『幻想の地誌学』(ちくま学芸文庫)を買ってしまい,げっ1155円,高いっ。なぜか帰りにはディリア・マーシャル・ターナー『半熟マルカ魔剣修業!』(井辻朱美訳・ハヤカワ文庫FT)なんてのを握ってたりして,これだから人生はわからない。

 地元のブックオフで,ジョー・コッカーのベスト盤が泣いていたので,買ってみる。ああ,しかし,これはどうにもガラじゃないな,やっぱし。「愛と青春の旅立ち」のアレなんか聴いてるとなんか死にたくなってくる。あと,高木ブーの3,4年前のCD「ハワイアン・クリスマス」。これはすばらしい。さ,ウクレレウクレレ。

 むっ,J-Hawiianだと? ここでもJか。


2000年10月10日 水曜日

 頭痛はまあ,ずいぶんマシになりました。

 キース・ロバーツ死去。という話。とにかく日記には記しておこう。新・大森なんでも伝言板から。買っておいた『パヴァーヌ』でも読むとしようか。

 横浜ベイスターズ権藤監督退団。こうしてみると,なかなかの名監督だったなあ,と思うのだった。


2000年10月9日 月曜日 ■山田正紀『ナース』■

 山田正紀『ナース』(ハルキ・ホラー文庫H-や1-1 ISBN=4-89456-747-4R:★★★★★ C:★★★ I:★★★★ L:★★★
 を読んで,のけ反った。ウワサはあちこちに広がってると思うので,あらすじは省略する。が,それにしてもここまで暴走してるとは思わなかった。参った。降参だ。
 「そんなわけあるかっ」と突っ込みを入れながらノリノリで読んでいくと,不意打ちのように「死」とはなにか「悪」とは何か「尊厳」とは,などとという厳しい問いのただ中に放り出されたりもして,唖然とする。ほんとうに変な小説だ。
 起承転結があって,伏線があってキレイに落ちて,ちょっと泣かせる,なんてお行儀の良い小説以外を小説として認めないような人ならば,近づかないのが無難。といいたいところだが,なんと恐るべきことに,『ナース』には起承転結があって,伏線があってキレイに落ちて,ちょっと泣かせる(いやほんとに),しかもご丁寧にロマンスまで用意されているではないか。それなのに,こんなにも不条理で楽しくて通俗的小説観から道を外してしまっている小説なんて,あってもいいのか。
 一読して目に付くのは,叙述のスタイルの奇妙なこと。不必要な繰り返しや,ぎこちない言い回しが多いのは,これは絶対に狙って仕掛けているとしか思えない。文体が奇妙なドライブ感を作り上げ,ナンセンスなパニックを一層盛り上げていく。一見,書き飛ばしたように見えるかもしれないが,これは作者の罠だ。
 文章の視点の取り方も変だ。とことん客観的なのかと思うと,急にキャラクターの内面を語りはじめたり,読者に先回りして「そんなことがあるのだろうか」などとしゃあしゃあと書いて見せたりする。その間合いがまた絶妙。適当に書いてたらこうは行かない。読者の生理感とでもいうのか,リズムを読み切っているに違いないのだ。
 いやはや。

 うちの感想からもbk1に直リンクを貼ってみようか,と思ったんだが,bk1で本を探すのはホント疲れるんだよな。重いし。そんなわけで,ISBNさえわかっていれば,一発で目的の本を探せる仕掛けをAppleScriptで作ってみた。まー別にbk1に義理があるわけでも何でもないわけなんだけど,なんかちょっと便利っぽいでしょう。
 以下,Macでない人にはなんの役にも立たない話。
 スクリプトは簡単で,こんな感じでいいはず。まあ,とにかく,意図した通りに動いてはいる。これを応用すれば,書名や著者名など他の要素で検索することもできる。たとえば&au=の後に著者名を入れるように書き換えればいい。
 いまAppleScriptのバージョンがいくつになってるのか知らないが,たいてい動くだろうと思う。
 tell application "Finder"
  try
   display dialog "ISBNを入力してください。" default answer ""
  on error
   error number -128
  end try
  copy text returned of result to isbnCode
  set |serchURL1| to "http://www.bk1.co.jp/cgi-bin/srch/srch_result_book.cgi/?aid=&srch=2&st=&ti=&au=&ol=&pb=&pby=&pbrg=0&isbn="
  set |serchURL2| to "&age=&idx=3&gu="
  
  tell application "Netscape Communicator (tm)"
   activate
   OpenURL |serchURL1| & isbnCode & |serchURL2|
  end tell
 end tell
 これをJeditのMacro Menu Itemsフォルダに保存しておけば,エディタを使いながらクリック一つで検索できる。ブラウザを起動する手間さえいらない(勝手に起動するから)。もっと早く作っておけばよかったな。

 頭痛が酷くて,寝たり起きたりしているうちに,一日が終わっていた。おかげでお金を使わずに済みました。よかったよかった。


2000年10月8日 日曜日

 デイヴィッド・ファインタック『ギャラクティックの攻防』(野田昌宏訳・SF1327,1328)R:★★★★ C:★★★★★ I:★★ L:★★★
 シーフォートシリーズ第6巻。
 上下合わせて900ページ超。いつもながら物語の密度に圧倒されながら,ほとんど一気に読んでしまう。シーフォートのシリーズは,古典的悲劇の色彩を帯びている。悲惨で酸鼻を極める事件が連続し,誰もがまっしぐらに破滅に向かって突進していくかのようだが,その迫力が凄い。
 父と少年の葛藤,これがこのシリーズに一貫して横たわる主要なモチーフだが,今回は,いつになく全面に出ている。シーフォートはすべての少年たちの父親になろうとし,彼に関わる少年たちは,シーフォートに血縁を超えた父の理想像をみようとしている。もちろん,そんなことは現実には不可能なのだ。しかし,倫理的な動機だけでこの不可能に直面しようとする,そうしないではいられないシーフォートの姿には,ある普遍性があって,たぶんそれは物語の中でしか実現できない種類のものだ。
 このシリーズを評価しない人の中にはシーフォートの人物像を,独り善がりで偏屈な癇癪持ちだといって拒否する人もいるが,それがどうして作品の欠点となりえるのかわたしには解らない。たしかに特殊な人物ではあるけれど,だからこそスジの通らない常識を力強く引き裂いて普遍に至ることができる,それが小説ってものじゃないか。

 1500円のデニムのジャケットを買った。着てみて初めて,非常に重いことに気づいて後悔した。慢性的な肩凝りには辛い。


2000年10月7日 土曜日

 もー,何をする気にもならないほどだるい。病気じゃなかろか。

 とかいいつつ,サービス券があるからというんで,古凡堂くんらと板橋の焼き肉屋に出張して焼き肉定食を食う。ちょっと書けないような話をする。キーワードは名古屋。さかなくんに,トップページ用のイラストを依頼。近日公開。のはず。
 その後,古凡堂くんちにてとことん安いエロアニメビデオを観て脱力感を楽しむ。
 ジャック・サドゥール『現代SFの歴史』(鹿島茂・鈴木秀治訳/早川書房)をタダ同然の安値で譲ってもらう。
 十条駅から埼京線に乗って帰宅。夜の埼京線は,独特の雰囲気がある。なんかボク,場違いなところにいる気分デス。

 ダイエー優勝。

 SIMPLE1500シリーズの「THE野球」は,まるっきり「ベストプレープロ野球」のパクリゲーだが,その身も蓋もないパクリ具合にむしろ好感がもてる出来。ベスプレにあるものは一通り備わっていて,ベスプレに無かったものがそっと足してある。多人数のペナントレースが出来ないのが無念だ。


2000年10月5日 金曜日

 挫折しそうなヒラノマドカさんを応援しよう。
 どうしても合わないんじゃしょうがないけど,『幼年期の終り』だけはお勉強だと割り切って読み切っておくと,あとが楽しいと思う。ある時期,あるテーマのSFは『幼年期』を中心に回ってたようなもので,系統的SF読みの楽しさが拡がります。と,大学SF研出身で,SF史とかSF論を読むのも好きなわたしは思うのだった。余計なお世話か(笑)。そういうのに興味がない人もいるし。ま,三島由紀夫も『幼年期』オッケーって言ってたしぃ。

 あー,体ダル。


2000年10月4日 水曜日 ■ブライアン・W・オールディス『グレイベアド 子供のいない惑星』■

 ブライアン・W・オールディス『グレイベアド 子供のいない惑星』(深町眞理子訳・創元SF文庫オ1-1)R:★★★ C:★★★★ I:★★★ L:★★★★★
 あ,そうかこれはひょっとしてクラークの『幼年期の終り』への,アンチテーゼというか,一種の反歌みたいなものなんだろうな,と,推測してみる。この本の終章は,『幼年期』で描かれた,わりあいに無邪気な超越的な存在に対する信頼とか子供に寄せる希望なんてものに象徴されるいわゆる宇宙哲学への,挑戦状なのだ,きっと。どうしてそう思ったかってのは,オチにもろに関わってくる事なので,これはさすがに書きづらい。というかまずいだろなー,やっぱし。
 いっときますが,証拠はありません。作品論的には,ちゃんと読み比べれば,もっともらしい証拠はいくらでも探せるだろうとは思うんだけど,そのためだけに『幼年期』を読み直すのはちょっとパスしたい。どのみち,オールディス本人がそう思ってたかどうかなんて,訊いてみないとわかんないもんな。ただ,こういうことを考えると,楽しくなる,そういう質なんです,わたし。
 で。
 人によってはけっして読みやすい小説ではない。常に頭に負荷をかけながら読みすすめなくてはいけないようなタイプの小説で,しかも得られるものといえば,カタルシスというには程遠く,安易な願望など充足させられない,重苦しい感触だけである。読書にその場しのぎの娯楽やら浪花節の感動やら共感以上のものをもとめる人のためにあるような小説だ。
 核実験によって全世界的な不妊に見舞われた近未来の地球,主人公<灰色ひげ>とその妻とその友人であるところの奇妙な老人達は,閉塞的な共同体から逃げ出すようにして,これといって明確な目的もなく,ただ放浪を求めてあてどない川下りの旅に出発する。
 物語は,河を下っていく作品内現在と,主人公の過去へとさかのぼっていく回想が交互に現れるという,ちょっと凝った構成になっている。河を下るうちに世界の約束された滅びと狂気にむしばまれた「現在」の姿が徐々に現れていく。その一方で,《変事》とそれに続く戦争,《子供狩り(インファントップ)》《DOUCH(全世界現代史記録保存協会の略)》の活動など「現在」に至る世界の動きと,その中で人格を形成していった<灰色ひげ>=アルジャーノン・キャンベルの過去を逆からたどっていくことになる。
 すべての部分が微妙に響きあい,飛ばし読むことは許されないような緊張感を読者に強いながら,終章における主人公サイドと<第二の世代>教団との思想的対決に向かかって,着々と積み上げられていく。
 さて,どう読むか。表面的な暗さだけを観て「救いがない」とだけ言うのは,性急すぎるというものだろう。というのも,作品の中で何度も個人的な「救い」は(やり切れないものではあるけれど)描かれているのだし,実は世界の未来への展望さえも提示されている。それをもっときっぱりと「希望」と呼ぶことだってできるだろう。ただ,主人公サイドの思想は,それを自分たちのものとして受け入れることが出来ないのだ。彼らは老人ばかりの世界の中ではもっとも若い世代に属するのだし,この世界に,それなりに(思想的に)適応してしまっていて,そうした世代なりの生き方や老い方を模索している。だからこそ<灰色ひげ>たちは「幸福だ!」と宣言する。なんと微妙な。こういうのを文学的陰影とかいうと当たってるのかも知れん。
 『グレイベアド』は98年の復刊フェアに合わせて『子供の消えた惑星』を改題して復刊したもの(おお,もう2年も積んだきりになってたのか。ごめんな)。古本屋で『子供の消えた惑星』を見つけて,お,シリーズ物か? などと言わないよーに(そんな奴はいねーか)。訳や解説はどうやら昔のまま。ちょっと古くさく感じるところもあり。とくに女性のセリフ回しがなあ。しょうがないけど。

 草の日々,藁の日々から。あーっはっはっは。このジャスペロダスはしかし,わたしのイメージにはかなり近い。ただ,ガニマタはあんまりではある。翻訳出ないんかなー,ベイリー。

 田代まさし,駅でビデオ盗撮。ななな,情けねえ。


2000年10月3日 火曜日

 SF研の先輩が作ってる「SF Japan」を買って少しだけ読む。筒井康隆と伝奇SFの特集。
 筒井康隆の『大魔神』は,潰れた映画のシナリオだったのか。そういえばそんな話を聞いたことがあるような,無いような。ま,丸木戸佐渡……?。
 笠井潔と山田正紀の対談は,どうもいけませんなあ。分析が上滑りしてる。笠井潔は,かつてファンだった者としてはあんまり認めたくないけど,もう過去の人かなあ(ひでえ言い方だなあ)という気もする。20年前から言ってることが変わってねえし。昔は,ややこしい理屈を並べてるなかにも,どこかで生身の,切れば血が出るような感覚にがっちりリンクしていく部分があって,そこが魅力だった。小説の中でも,殴れば痛いってことが解ってねえ思想はダメ(パラフレーズ)だって書いてた。いまは,ねえ。完璧にずれてます。ただのおインテリ様みてえな?
 作家同士の対談としては,筒井康隆の夢枕獏・京極夏彦の二本の方が,現場感覚が率直に現れてて,面白い。

 ああ。10月の後半は休み無しに出勤しなくちゃならんことになってしまった。古本祭りは,だから嫌なんじゃよう。


2000年10月2日 月曜日

 国勢調査票を調査員のおばちゃんに渡す。

 「自己紹介」ってキーワードでうちのトップページに来た人が。なんとなく面白い。

 谷岡一郎『ギャンブルフィーバー 依存症と合法化論争』(中公新書1325)
 日本ではギャンブルって言うと途端に後ろめたい雰囲気が漂ってしまう。安いタレントがパチンコをやってるテレビ番組もあるけど,あれは,安そうなタレントが低劣でバカな遊びに打ち興じている様を映すことで,それを観てる人の自尊心をくすぐったり,安心感を与えるようにできている。一方でちょっと高そうなタレントが海外のカジノに行ってる話なんかをしてるとなんだかオシャレでかっこいい趣味を持ってるような事になってしまう。不思議だ。
 ギャンブルに耽溺して生活が崩壊してしまったり,未遂を含む自殺に走ったりすることをギャンブルホーリックと呼ぶ。そして,ギャンブルホーリックを「ギャンブルをしたいという内面的欲求をコントロールできない病」つまり,アルコールや薬物の中毒と同じ依存症として捉える研究というものがある。この本の前半部分では,ギャンブルホーリックの定義,はまりやすい性格や環境,主にアメリカにおける治療の実際を説明している。
 4段階の「はまりゆくパターン」とか9段階の「内面的動機のはまり度レヴェル」あたりは,「わかるわかる」という部分があったりして面白い。わたしの場合は,博打はまあ好きなほうだが,飽きっぽいのでいまのところ病気の心配はなさそうだが。
 後半部分は,ギャンブル合法化に好意的な立場から合法化論争に関しての議論。世界各国の合法化されたカジノや,ラスベガスのようなカジノリゾートの例をあげて,ギャンブル解禁論を展開している。そうした例と比べて,日本の状況はというと……。か,悲しすぎる。
 解禁に反対する人々の論点は,犯罪率・失業率の増加,ギャンブルホーリックの増加,勤労意欲の低下,などである。しかし,これらのほとんどの部分は,むしろ合法化を進めて適切にコントロールすれば問題にはならないはずで,むしろ逆の効果がおおいに期待できるのではないか(と書いてある)。一方,カジノ解禁のメリットは,経済の活性化,ストレス解消の社会機構として,等。詳しい議論に関して興味のある人には本書を直接あたってください。
 唯一ギャンブルホーリックに関しては「心の問題」として残されるのだろうが,ギャンブルからの収益を治療施設にあてるなどの次善の策を考えることは可能だ。それより大事なことは,そこまではまってしまう人というのはあくまで特殊な例にすぎない,と正しく認識して,ギャンブル解禁のメリットとデメリットを天秤に掛けてみることだろう。そういう人がいるからギャンブルはイカン,というのは,暴走族がいるから車はイカン(ちなみにわたしはかなり本気でそう思っているが),という暴論と変わるところがない。通り魔がいるから刃物はイカン,なんてね。それで議論が止まってしまうのでは,幼稚すぎる。


2000年10月1日 月曜日

 駅前のサミットが改装セールをやっていたので,下着やら部屋着やらをわさわさっと買う。
 読書記録ページのメンテナンスなど。
 本は一行も読まず。



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