読書の事。メモ程度に二題。
ル・グインの小説はもともとサラサラ読めてあー面白かった,というようなものではないが,本作はちょっとバランスが悪いような気がして読みづらかった。昔から気になってたんだが,小尾芙佐の訳も,あまり日本語としてこなれているとは思えない。
さて。ル・グインはもう『闇の左手』や『世界の合言葉は森』のル・グインではない。あの鋭さをのぞむことはできない。残念ながらそれは認めざるを得ない。しかし,本作を読むに値するものにしているのは,安きに流されずに最近の世界の情勢をきちんと見据えて行こうとするSF作家としての眼,あるいは矜持がたしかにそこにあるからである。
アカは大宇宙連合エクーメンとの接触以後,急進的な近代化政策のために組織的かつ徹底的に伝統的な文化や価値観の破壊・放棄がすすんでいる。テラから監察員としてアカにやってきたサティは特別に許可を得て,いままさに文化のアイデンティテイを「未開」として切り捨てようとしているこの惑星の歴史や古い物語をさぐるフィールドワークに赴くことになる。
テラもまた,過去の一時期,「ユニスト」なる狂信的かつ急進的な宗教団体が政権を奪取して大規模な文化破壊をおこなっていた。そのような環境で幼少期を過ごしたサティはアカの片田舎オクザト-オズカトで,マズと呼ばれる語り部たちからアカ独得の〈語り〉からアカの文化や価値観を学びながら,様々に思索をめぐらせて行く。
《ハイニッシュユニバース》のほぼ一貫したテーマは,異なる文明が接触して,一方が大きな変化を強いられたとき,その変化が前進と呼ぶべきものであるにせよ,必ず暴力が発生する,と云う事であるように思う(SFはこうしたモチーフをダイナミックに表現するのには適している)。その暴力は,相手ではなく,むしろみずからを破壊しようとする。ここでも伝統文化破壊とマズの迫害という暴力が発生している。そのとき,様々なレベルで「変化」が問われるだろう。たとえば,サティは,エクーメンとの接触がこの事態を招いたのではないか,と自問する。知識を与えることは悪ではないのか。答えは簡単には出ない。
ル・グインは一見,近代と近代以前という二項を立てて,その対立を(近代以前に感情移入しつつ)描いているようではあるが,実はそれほど単純ではない。サティの動向を監視するアカの官僚の複雑な過去と,サティの過去を対比することによって,文明の進歩は善か悪か,という無神経な問い方そのものを見直しているということをきちんと読まなくてはならないだろう。
連作短編集。
人の心を花になぞらえ,永遠の中に封じ込めようとする異界の姫が二人,彼女等から人の心を守ろうとする学生服姿の美成年。これも異界の者である。いかにも少女漫画の和風ホラーにでもありがちな類型的な設定で,各話に登場する花心の在りようもまたどこかで見たようなものだが,それらと一線を画するのは,古典芸能への深い造詣に裏打ちされた見立ての見事さと,文体にみなぎる美意識。あえてする類型的な構図とわかっていてもあまりに鼻に付く話もあるにはある。が,最終話「老松」の見事さに免じて見なかったことにしてしまおう。これは泣けました。寓話風の第四話「山百合」もある意味面白い。
林さんのハヤカワ文庫SF目録落ちリスト。うわっ,と言ってしまった。これはかなり暗い気分になりますな。クラークやアシモフだっていつでも買えると思っているとある日愕然としたりするんだな。
部屋につんである本を動かして,行き場の無くなった七〇冊ほど,ブックオフ行き決定。ブックオフに本を処分しに行くといつも「良い本が多いですね」と褒めらちゃうのよねー(*^・^*)。6000円程。
埃をたっぷり吸って,体調を崩した。
織田作之助の最後の言葉は思いが残る
と言うものだったと言うことはこの本の中で知った。その言葉と織田の長篇『わが町』の中の印象深いプラネタリウムのシーンからアイデアを得た甘いタイムスリップSF。
プラネタリウムの技師兼解説員の「わたし」が少年にプラネタリウムの蘊蓄を語るシーンは実に生き生きと精彩を放っている。科学や技術への愛情が率直に描かれていてこういうところは掛け値無しに素晴らしいとおもう。
地球物理学の竹内均教授がテレビで講義されているのを聞いて「マントル」と発語するそのとき,もう好きでたまらぬというふうに声うち震わせて口にされる姿を見て,ああ学者というものはいいものだな,と感じたことがある。
「わたし」は学者と言うわけじゃないが,カール・ツァイスと口にするそのとき,同じように声を震わせていたかも知れないと思うと楽しい。
ストーリーは平凡。良くも悪くも瀬名秀明らしい小説だな,と言う感じで,読後感はいつもどおりすこし物足りない。
で。やっぱり拳を突き上げて歓喜の声を上げるんですね。これがどうもねえ。またですか,である。前半の「わたし」とくらべると,喜びの表現としてはずいぶんと安っぽいし小説の中で「あ,浮いてる,浮いてる」と私は感じるのだが。
ここ数年,映画を見て泣く,と言う事をしていない。「遠い空の向こうに」も「初恋の来た道」も「海の上のピアニスト」も「ライフ・イズ・ビューティフル」もそれぞれ感銘は受けたものの泣きませんでした。ひょっとして泣けなくなってるかも知れないので(別にそれでも困りゃしないが)泣けるかどうかひきつづき実験してみましょう。
あ,惜しかった。すっかり泣くつもりで準備していたということもあってか実際かなりいい線まで行ったんですが。涙線解放に肉薄したのは最初の方,主人公のモノローグで家族を淡々と紹介するところで,別になんてことのないシーンなんですが,これはかなりうるっと来ました。
とはいえ,常識的に言うと,これはいいです。たいへんいい映画だと思いました。「感動」を共有することだけが価値になっている昨今の風潮の中では(ある作品が「感動的である」から価値なのではなく,実際には「感動すること」が価値なので,適当な口実をみつけてはみんなでこぞって「感動」するのです),これもまた「感動」作ということになっちゃうんでしょうが。
思うにこれは「普通」であるとはどういうことか,というテーマの映画なんじゃないでしょうか。と書きかけたところでもう眠いので寝てしまったりするんですが。
そろそろ『ダーク・エンジェル Ⅱ』のビデオのレンタルが始まっているはずなのでビデオ屋に行ってみたのだが,全部レンタル中で,がっかり。けっこう人気があるんだな。知らなかったよ。
7月7日から,テレビ朝日でファーストシーズンの放映が始まる。まあ,冷静に言って,たいしたもんじゃないという評価が妥当だとは思うのだが,わたしはなぜかこれが非常に好きで,たぶん毎週見てしまうだろう。というかもうやる気満々。早く来い来い日曜日。
押し入れからワンタッチハンモックを出した。夏だねえ。
『ダーク・エンジェル』第1話。だれがマックスの声をやるのかに注目して観ました。坂本真綾だった。慣れの問題かも知れないが,ビデオ版の冬馬由美とくらべると,いまいちだねこりゃ。俺のマックスはガキじゃねえのよ。テーマ曲が倉木麻衣を唱うことになっているらしいんだが,とってつけたような人選だなあ。それが商売っつーもんだというなら存分におやりなさいというしかないが。
テレビ朝日のDAサイトはFlashPlayer6以上が必要。手許の環境では観られないのだった。けっ。
セカンドシーズンのビデオはまだ借りられず。手ぶらで帰るのも物足りないので宇多田ヒカルのCDを借りて来たのだった。あら。なかなかいいじゃないの。
うさ耳少女とかが出てくる頭の悪い小説。まあ,こういうのが好きで好きで好きでたまらぬ,という人がたぶんいるわけであり,そういう人が書き,そういう人が読む,という世界があると言うことは,まあ,想像できる。その限りでは否定はしない。いや,本当に。ただ,閉じてるなあとは思うけど。その世界から一歩でもさがってしまうと,もう通じない価値について書かれているわけだから基本的にアングラなんだよな。そのあたりのことを極力気にしないように読んで行くと,オーソドックスな学園ジュブナイルになってはいる。
巨人-阪神戦で,巨人の今年度ドラフト一位の真田が初先発。もう少し球が速いと聞いていたんだが,スピードガンの表示はそんなに出ていなかった。まだ本調子ではなかったのだろうか。ただしときおりスパッといい回転のストレートが行ってたように見えたから球速以上に速さを感じさせるタイプなのかも知れない。三失点して5イニングで降板。敗戦投手になってしまった。しかし,度胸はよさそうだし,顔もちょっとかわいい。順調に育って女子にキャアキャア言われるようになってくれるとわたしも嬉しい。
いきなり第5話(日曜日のパイロットエピソードから数えると6話)から始まってしまった。全話放映するわけじゃないのね。来週は第4話にもどってザックと再会するようだ。そういうものなのか。
いままで深く考えたこともなかったんだけど。
「定義リスト」に關しては皆,割合柔軟に解釋をするやうだが,なぜ箇条書きリストや連番リストに關してはやたらと嚴密に解釋しようとするのだらうか。
考えてみたら,厳密に解釈してもソースコードの例示をリストとして扱うことには何の問題もないのでは。最近読んでいる雑誌では,スクリプトやHTMLのコード等をリスト1,リスト2……などとして例示している。一般的かどうか知らないけどソースコードを単に「リスト」と呼ぶ場合もあるようだ。子供の頃の記憶をまさぐると,BASICにはLISTとかいうコマンドがあった気が。
と,いうようなことをふまえると,プログラムの場合は大抵は一行目から順番に解釈されるべきものだから,序列のある情報
と言う事になる。なってしまう。なりますね。HTMLの場合は,序列があるということに,なるんだろう,か。わからん。
<ol><li><code>#!/usr/bin/perl</code></li><li><code>print "Hello World"</code></li></ol>と,上のような感じに書くのが正解だったということに。本当か? ……奧が深い。
小説として「普通」の格好を保っているのは第三章あたりまでで,あとは伏線もいわゆる物語的な脈絡もうっちゃって,どんどん崩壊していてしまう。筋を追うと言う事は脈絡を追うと言う事で,それが無い,ということは読みつづけるには少々エネルギーがいるということである。わたしはちょっと疲れた。第1章を読んだ時点ではかなりの作品なんじゃないかと思ったし,アナーキーと言うかとにかく闇雲なエネルギーと,なにかコアの部分に触れて来そうな気配があってその興味でとにかく最後まで一気に読んでしまったものの,読み終わった今ではちょっと微妙な気分だ。なにかが足りない。仮面ライダーネタに関しては,まあ見なかったことにするにしても。
あとがきによれば,一九八〇年代がこの小説の母胎となる時代だ。
と明言されているのだが,わたしにはこの作品の母胎は九〇年代の作品だと思えた。「震災とオウム後のSF」という課題に,正面から解答を出した小説として読んだのである。90年代を思わせる箇所はいくらでも抜きだすことが出来る。たとえば「つながる」という価値は──それがある種の人間にとって支配的な価値になったのは──,90年代だとわたしは思っている。証拠は無いが。
その答えだが,少々実直すぎるのではないかとも思える。聞く前からわかっている答え合わせのように。それはさしあたって欠点ではないが。
看護ロボットのミキには「自我」があり,患者との関係や自らの出自について思い悩む。そのうちに,自分は大きな事故によって重篤な状態におちいり,生きる意志を放棄した女性であるという記憶が甦り,「接続された女」よろしくロボットに接続される存在だと知る。
堅実。
地球から遠く離れた宇宙船のなかで名も知れぬ密航者の死体が発見されたのを皮切りに吸血鬼の犯行を思わせるような連続殺人が起きる。搭乗予定だったが事前にキャンセルされた乗客の名前が名簿に記載されており,それがヴラド・ツェペシュの子孫であることが明かされる。
田中啓文のSFにはどんなに破天荒でもエグくて悪趣味でも,根っこの方に,なつかしいSFの臭いみたいなものがある。わたしはヴォクトを思いだしたりもするのだが,ひょっとして変だろうか。
向井さんはこの作品も是非SFミステリーのリストに加えると良いでしょうと思った。
『ロスト・ガール』の続篇。どうやらさらに続くようだ。妖怪がいわば人間と表裏の存在であることが明かされる。妖怪を飼育してあやつる宇宙人なんてのが出てきて,どうやらSFになっていくようだが,そういうのってありがちすぎないか。最後には宇宙意志みたいのが出てきてクラーク的なヴィジョンとやらを見せてお仕舞い,だったら怒るぞ。ちなみにウサ耳娘がウサギグッズに取りつかれている秘密が明かされたが,心底どうでも良い。というか,そんな説明をするくらいならただ素直に萌え萌え言ってるだけの方が……。
松山坊っちゃんスタジアム。まわりが全部田圃。
松山市民はなぜか漱石と『坊っちゃん』を市民の誇りにしている。たしかに『坊っちゃん』の舞台は松山だが、さんざんにこきおろしている。松山の人間は人が良い、と松山の人間は勝手に自ら悦に入っているが。漱石が実際に松山で生活したのは明治二十八年の四月から十二月の僅かな間だけ。中継のアナウンサーは子規を生み、漱石を育んだ松山
などと言っていたが、どう控え目に言っても、事実に反する(子規が生まれたのは事実)。
ちなみに、正岡子規は日本に野球を輸入し普及させるにあたって多大な功績を残しており、今年野球殿堂入りしている。坊っちゃんスタジアムの名前が付いた経緯など知るよしもないが、子規に関係のある名前ではないというのがなんとも。
コミケ用の本をLaTeXで組もうと思って勉強を始めた。三日三晩奮闘して(ちょっと嘘)なんとか本文のレイアウトが決まったけど。むむむ難しい。
今度こそ本当に就職活動を始めようと思う。普通の社会人になるにはそろそろ年齢的にぎりぎりだもんね。手始めに履歴書用の写真を撮ろうそうしよう。履歴書用なんだから背広を来るのが普通であろうと思うのだが、残念ながら背広は一着も持っていない。三十代独身♂としちゃちょっと普通じゃないよな我ながら。背広の方は不在をいいことに某君のものを勝手に拝借する。幸い体型も近い。体重は俺の方が軽いが。Yシャツはスーパーで調達する。いかにも安そうなネクタイが付いて1500円だ。ま、実際安いわけだが。おいおいなんてことだ首回りなんて知らないぞ。で、ネクタイの結び方って……。ああ、やっぱり忘れている。祖父の葬式以来だもんなあ。あれからもう十年以上経っているのだなあ、などと感慨に耽ったり。
てな調子で、近所のインスタント写真機で撮影したわけだが。でき上がったインスタント写真の自分の顔にショック。ふ、老けたな、俺。
ザックの顔見せ。こいつがあんなことになるなんてねえ。
次回は第7話の放映。
やっと『ダーク・エンジェルⅡ』の一巻を借りることが出来た。かっこいいぞライデッカー。
新型ジェネティックのX7シリーズはハルメンズもびっくり、なんと超音波でお話だ! マンティコアの地下にXシリーズ初期型の改造人間が! ザックがターミネーターに!? とか、いろいろ。セカンドシーズンはめちゃくちゃで楽しそうだ。
ファーストシーズンの最後でアレしたマックスはマンティコアに監禁され再訓練されているんだけど、その間に粘膜感染するウィルスを仕込まれていて、ローガンとキスも出来ない体に。ああ、なんてかわいそうなんだ! たぶんこれはファーストシーズンの16話に出てきたものと同種のウィルスなんだろうけど、マックスが発病しないのはどうしてなんだか。まあそんなこと気にしてたらDAは楽しめない気もするが。
Exiteのセカンドシーズンのサイト。FLASHでメニューがじわじわと表示されるのを指を咥えてじっと待っていなくてはいけない。忍耐力を試されているようだ。
職安に行ってみた。人が沢山いた。全員失業者か。