ただよえる声

2002-09-17(火)

01

連休中は実家に帰ってだらだらしていた。実家の食事はふだんの貧しい食生活とは比較にならないが、かえって腹の具合がおかしくなることがある。ここしばらく頻繁に帰っていた甲斐あってか、今回はきわめて快調。

暇なのでバラードの読み残しを消化しようと思い立ったのだが、まー読めないこと読めないこと。しばらく緩いSFばかり読んでいたせいか、えらく苦労してしまった。結局読みきったのは『溺れた巨人』一冊のみとはわれながら情けない。

02

首相は北朝鮮に行ったが、わたしは東京ドームに行った。関係ないか。

初回の松井のタイムリーはいいとして、バッテリーエラーで同点に追いつかれ、押し出しで勝ち越すという怠い展開だったが、河原が登板してからは急展開。阿部のサヨナラタイムリーで巨人。楽しませていただきました。あー疲れた。

03

Linux用に良い辞書検索ソフトが無いかとさがしていたのだが、gjitenがよさそうだ。

2002-09-17(火)

04 なんかこういうの、昔読んだ気がする

最近えらく評判の吉田修一のデビュー作『最後の息子』を読んだが、つまらなかった。話のスケールが小さすぎる。突き放していようと斜に構えていようとようするにそこには、生活しか書かれて無い。そんな小説はもう懲りごりだと常々思っているのだが、同じように感じた。こういうのがクールだったりキュートだったりするちうのは、どうも気に入らないね。

2002-09-18(水)

01

中野某所で「軽作業」という名の土方仕事。筋肉付いちゃう〜。ていうか死にそう。

2002-09-18(水)

02 やきう

桑田がホームランを打った模様。

桑田の登板日は最後まで観戦する義務があるので疲れているけどがんばって観る。

2002-09-19(木)

01 巨人戦が無いものだから

くーっだらなーいっ、とかいいながら『仮面ライダー龍騎スペシャル』を最後まで観てしまう。

話がくだらないのはまあいいとして、視聴者の投票で結末がかわると云う発想はくだらないどころの騒ぎじゃない。インタラクティブで気が利いているとでも思ったのだろうが、よーするに作り手の責任放棄じゃないか。バカみたい。バカみたいだが、余計な手間がかかってるだけにごくろうさんな話ではある。

こんなことで憤慨している俺はどうなんだー。などと考えてしまってわびしい気分に。

2002-09-19(木)

02 近鉄・盛田投手が引退へ

好きだった選手がまとめていなくなってしまうなあ。

2002-09-19(木)

03 横浜ベイスターズ 野村弘樹引退

往年のジャイアンツキラーも引退。抑えられたというより良く打たれたという印象の方が強かったりする……。

2002-09-20(金)

01 翻訳SFって。

学生の頃の話だが(つまり大昔)、いつかは青背、きっとSFマガジン、というような雰囲気が、たとえば「『銀英伝』しか読んだこと無いでーす」という大学SF研の新入生にもたしかに共有されていた時代というものが、あったはずだ。SF=翻訳という雰囲気ともいえるかもしれない。個人的な経験だが、翻訳SFがそんなに偉いのかよ、と、ある平井和正ファンにふっかけられたことがある(俺の知ったことか。偉いと思っているのは俺ではなくお前だろう、とその時思った。ひょっとすると口に出したかも知れない)ので、間違いないと思う。そういうものが今あるのか、無くなったとすれば何故、いつ頃。

現状のハヤカワ文庫SFのラインナップにはそんなコンプレックスを抱きようもないだろう。良きにつけ、悪しきにつけ。

02 What Anime Best Suits You?

『パーフェクト・ブルー』か……。なんか嫌だ。

03 ヤクルト-巨人

由伸と清原の復帰組が活躍して巨人。優勝マジックは6。先発の高橋尚成が完投して念願の10勝目。勝敗よりペタジーニの打席が気になる。

2002-09-21(土)

01

国字問題にしても文字コードのことに関してもちっともくわしいわけではないし、それどころか概説的な本でさえ読んだことが無いわけで、基本的には態度を保留するしかないのだが。しかし、「鷗外本人だって、「鴎」の字を使っていたのであって「鷗」の字にこだわっていたわけではないのである(したがって「鴎」でもいいんである)」というような事を言う人はきっと頭が悪いんだろうな、と思ってしまう。

文字と言えば基本的にすべて手書きだった明治時代と現代では、字に対するこだわりの在りようと言うものがそもそもまったく違うはずだし、お上が戦後のどさくさにまぎれて「區」であったものは「区」と書くべし、と決めてしまった国語改革以後とそれ以前でも、やはりこだわり方の次元と言うものがまったく違う。それを現代の視点だけでこだわりがあったとか無かったとか、そんなことは一概に言えるはずがない。

そんなことも解らない粗雑な神経の持ち主に文字を云々させて大丈夫なのかと思ってしまうよ。

2002-09-21(土)

02 ヤクルト-巨人

明らかなミスジャッジがらみでヤクルトに一点リードされていたので、負けたら不幸のメールを審判に送りつけてやろうと文面を練っていたのだが、九回表二死満塁の場面で阿部のタイムリーが出て逆転。阿部すげえ。

2002-09-24(火)

01 翻訳SFファン度調査

13時現在の結果。既読73作品で、246人中57位。記憶違いもありそうだから、まあ、前後4、5作品ってところだろうか。平均よりは多いようだ。そうかあ。みんなそんなもんかあ。

もともと毎月新刊に目を光らせて、めぼしいものはみんな読む、というような読書スタイルではないから、まあ、このくらいのところだろう。というか、結果のリストを見ていると、これでも話題になったものはそれなりに目を通しているんだな、と言う印象ではある。

2002-09-24(火)

02 巨人優勝決定

しかし、またしても河原の一発病が……。

2002-09-25(水)

01 今朝のニュースによりますと

優勝が決まったその日にサヨナラ負けしたのは史上初なんだそうであります。

だれもが期待する劇的な幕切れをあっさり裏切ってしまうところが、なんとも今様でよござんした。

2002-09-25(水)

02 久しぶりに本を買った

べつに余裕が出来たと言うわけではないのだが。

あっ、《SFマガジン》を買うのを忘れた。

2002-09-25(水)

03 文字コードとか

ただ、かぜのために。5#文字コードと池田証寿『徒然草第百三十六段の一解釈――漢字使用の実態と漢字字体規範意識とのずれ―― 』を通じて、池田証寿のページ

pdfの論文はまだ読んでないですが(pdfというだけで敬遠したくなる)、他の文章もたいへん面白く勉強になります。よいサイトを教えていただいて感謝。

2002-09-26(木)

01 同時代性について

時代に迎合的なのは情けないが、時代に取り残されるのはさらに悪い。だが自分が取り残されていないかどうかをチェックするのは非常に難しい。ときおり、迎合的で、にもかかわらず取り残されている、という人がおり、見ていられないことがある。

02 文字色を換えるネタバレ対策は意味があるか

検索エンジンには拾われてしまいますね多分。

03 マザーナイト

『母なる夜』を映画化した『マザーナイト』以来、ヴォネガットのお気に入りの役者だったようで『チャンピオンたちの朝食』の映画でも重要な役どころで出演しているし、最後の小説『タイムクエイク』の中にも出てくる。

ビデオ屋よっては「サスペンス」に分類されてしまうこともありそういわれてみればそうかもしれない『マザーナイト』はまあまあいい出来だったと思うが、ヴォネガット原作の映画とくらべると、『スローターハウス5』には遠くおよばない。『ブレックファースト→オブ→チャンピオンズ』はもちろん論外だが。ああ、早く忘れたい。

04 せめて勝っていれば……

というか、せめて最後がパッテリーエラーでなかったら。しかし、基本的にタダで提供されているドラマがちょっと遅れたくらいで局に抗議するという神経もなかなかのものだと思う。2時間半の延長がちょっとかどうかは、主観によって左右される事柄だが。

05 Jコレクション刊行記念フォーラム

魅力的な企画だが、日本シリーズの日程ともろにぶつかってしまっている。迷う……。野球か、SFか。究極の選択に近いような気がする。

2002-09-26(木)

06 翻訳SFファン度調査

「翻訳SFファン怒張さ」と変換されるではないか。という話はどうでもいい。

読者数順に並べ換えてみると、ティプトリー人気の高さには驚かされる。ティプトリーの名前だけ追って行くと、一位『たった一つの冴えたやりかた』、二位『愛はさだめ、さだめは死』、五位『故郷から10000光年』、23位『星ぼしの荒野から』という具合になっている(0時頃の結果)。少し前まで、短編集は売れない、という話をよく聞いたものだが、ティプトリーの場合は関係なかったらしい。

『たったひとつ…』の一番人気は予想できたが、全体に決して読みやすいというわけではない『愛はさだめ…』(個人的にはティプトリーの作品集の中ではいちばん難しいと感じている)が『エンダーのゲーム』よりも読まれているというのは意外だ。もっとも、普通の人気投票ではなくて「読んだものにチェックをいれる」という形式だからこそ、こういう結果になるんだろうとは思う。

こうしてみると、『老いたる霊長類の星への賛歌』がこのリストのどのへんに来るのか、気になるところだが、サンリオ撤退以後という基準からはずれていると判断されたのだろう。もちろんそれはそうなのだが、ハヤカワ文庫版はサンリオ版とは訳も違うし……とか言いだすときりがないわけですが。

2002-09-28(土)

01 飛 浩隆『グラン・ヴァカンス 廃園の天使1』

わたしは端末に名前をつけたりはしないけど、調子が悪いと「御機嫌斜めだなー」なんて言ってみたり、時には本気で腹を立てたりする。下手なスクリプトが上手く動くと「可愛い奴め」と思う。わたしは読んだことがないのだが、『人はなぜコンピュータを人間として扱うか』という本があって、そういう、人間がコンピュータやテレビに示す擬人化した感情は、人間がメディアの進化に追いついていないためだ、というようなことが書いてあるんだそうである。

『グラン・ヴァカンス』のAIたちには、そういう感情を無条件で受け容れなければ感情移入できない。また、感情移入しなければ楽しめない。そうではなくてSFなら、なぜAIに感情移入してしまうんだ、と問い掛けて欲しい。ここをすっとばしてしまってはファンタジーにしかなりようがない。はずだ。

彼等は擬人化どころか、まるでゲームかアニメのキャラクターのように、泣いたり笑ったりする。しかし、どこまでいってもゲームかアニメみたいなセリフや振る舞いしかしない。アニメやゲームにしか存在しないキャラクター達ばかりである。そこには小説のキャラクターに必要な厚みのようなものがまったく欠けている(蛇足と知りつつ補足しておくが、アニメやゲームのキャラクターの紋切り型の造型──データベースでも"萌え要素"でもなんでもよいが──を単に嫌悪するが、なにもアニメやゲームを十把一絡げに否定する意図は無い)。

ヴァーチャルなリゾートで人間のゲストを歓待し、欲望を満足させるためのAIだから、人間らしい奥行などは必要としない、ディズニーランドのキャラクター達のように、あるいは(行ったことないけど)コスプレ風俗嬢のような、よく訓練された、だが通俗的で、まったく現実には存在し得ないほどデフォルメされた類型的なキャラクターを意図的に人工的に(多少の悪意がこもっていればなおいい)配置しているのではないか、と、始めのうちは考えた。だが、どうもそうではないんじゃないか、と思いはじめた。それから読み進めるのが辛くなった。

ありふれたアニメやゲーム的なキャラクターが、多少は意匠を凝らしたと言うだけの本質的にはありふれたサイバー世界で、これまた娯楽小説ではもっともありふれたテーマである倒錯や暴力にいそしんでありふれた感傷にひたるということになってしまっては、ほとんど寒々しい印象しか残らない。そんなものは、もうとっくに相対化されてしまってもよいものじゃないか。なぜ、今、天使か。もういいじゃないか、たくさんだ。

およそ10数年ぶりに発表された新作にして初の長篇作品が、こうまで手垢にまみれた今風(わかりやすく言うと「『エヴァンゲリオン』以降」とひとまとめにできてしまう)の類型に毒されてしまっていると言う事実を前にしては、少々暗澹とした気分にならざるを得ない。なんであの飛浩隆がいまさらこういう物を、という思いがぬぐえない。それともあれは、わたしの、過剰に美化された遠い日の思い出にすぎないというお話にすぎなかったのだろうか。


では、この世界のネットワークは、コンピュータサイエンスの文脈で、どのように捕えられるだろうか、などといきなり言いだしてはみたものの、わたしはその方面にはとんと疎い。疎くない方面があるのかと聞かれると困るが。したがって、これから書くことは素人考え以前の「素朴な疑問」にすぎない。あるいは単なる与太である可能性もある。

ようするに、ゲストへのAIのサービスはどのようなシステムで実現しているのか、これが全然わからなかった、ということが言いたいだけなのだが、これがありがちなサイバーファンタジーを意図したものにすぎないならそれはそれで問題ない。お好きにどうぞ、である。だが、SFである以上、なんらかの論理的なしくみが想定されていなければならないだろう。サイエンス・フィクションには、どこまでいっても絵空事でしかないファンタジーと違って、リアリズムにこだわるという長所がある、という早乙女さんの見解にわたしも同意する。そして、そのしくみによっては、AIの記憶や区界の時間の概念が、まったく変わって来るはずなので、作品全体のテーマにもかかわって来る。

作品の中では、ゲストはお金を払って〈夏の区界〉のロール(ロールプレイングのロールね)をレンタルする。そしてジュリーならジュリーと言うAIがそのロールの相手をするのだが、この場合、AIは一度に一人のロールを相手にすることしかできないようなのだ。だけど、これは現代的なシステムと言えるだろうか。もちろんいくら未来のネットワークと言えどもリソースには限りがあるから、並行して複数のタスクを走らせることが出来るわけではないという設定も成り立つだろうが、いくらなんでもそれでは儲からないだろうな、とも思ってしまうのである。あるいは常識はずれなほど高額のサービスなのかも知れないが、となると、少々歪んだ性的嗜好を満たすためだけにそんな巨額のお金を突っこむゲストとは、いったいどんな奴なんだろう。金持がすべて変態とは限らないのだから、やっぱりこのやり方でも商売になりそうにない。

やはり、AIをマルチタスクで走らせるしかなさそうだ。ゲストの訪問を受けるたびにジュリー1、ジュリー2、という感じで子プロセスを立ち上げてサービスを提供するかたちになるだろうか。とすると、ジュリーの記憶とは、どんなありようを示すだろう。作品中ではほとんど人間と同じような、ほぼ時間の流れにそって構成されたリニアな記憶を持っているようなのだが(人間の記憶のメタファーとして物語状のリニアな記憶が相応しいかどうかはこのさいこっちにおいておく。普通はそのように考えているという一般論である)、そのためには子プロセスジュリーを統合するジュリーがあとからそれらしくリニアに構成しなおす必要がありそうだが、そもそも、なんのために再構成しなくてはならないのかという疑問が残る。

こういうふうに考えてみると、AIを擬人化して描くことには(すくなくともこの作品での描写は)儲からないことが約束されているヴァーチャルリゾートという不自然なものを想定しない限り無理なんじゃないかという結論にいたってしまうのだが、どうだろうか。


先に出した『人はなぜコンピューターを人間として扱うか』には、コンピューターがコンピューター自身の評価をユーザーに尋ねると,多くの人はポジティブに反応する、つまり相手に礼儀正しく接するという習慣が,機械であるコンピューターに対しても起きるという事実が紹介されているんだそうな。たしかにこれはわたしたちの実感と矛盾しないだろう。ここから考えを進めて行くと、『グラン・ヴァカンス』のように誰もがAIに対して思う存分性的な嗜虐趣味にいそしむことができるわけではなく、それはむしろ少数派だということになりそうだ。これが常識と言うものである。常識を乗り越えるためにはただ倒錯や暴力を描けばいいと言うものではない。ロボットやAIの無垢を対比させればいいというものでもない。もっと慎重で周到な手続が必要だ。

2002-09-28(土)

02 『グラン・ヴァカンス』書評について

実はわたしもゲラを送ってもらっていたのだった。そうでなければ、いつもどおりさらっと貶してお仕舞い、にするところだったのだが、妙なところに力が入ったり抜けたりして、なんだか変なものになってしまったのだ。うーん。

2002-09-30(月)

01 更新

SFマガジン10月号の考課と感想を書いた。今月はちょっと投げ遣りです。

02 買った本

いつ何故買ったのかまったく思い出せないのだが、実家に福武文庫のマルセル・エイメ『クールな男』があり、なんとなく読みはじめてみたら無茶苦茶面白かった。調べてみたら角川文庫から『璧抜け男』が出ているらしいとわかり、さっそく新宿の紀伊國屋に寄って買って行こうと思ったのだが見つからなくてがっかり。早川の異色作家短編集シリーズには中村真一郎訳のものがあるみたいで、これはこれで魅力的なんだけど、いま貧乏だからなあ。

実家ではチャールズ・ブコウスキー『パルプ』も読んでみたのだが、これも面白くて、しかもどう見てもSFとしか思えぬ内容。ちゃんと宇宙人も出てくるし、不条理だ。それにしてもよくもまあこんなくだらんことを……。実に全くくだらないんだけど、主人公の孤独感とか世界への投げやりな悪意は俺の好きなキルゴア・トラウトと一脈通じるところが無くもない。暴力を行使することになんの躊躇もないところは違うけど。安原顕の手垢がついているのがいまいち気に入らないんだけど、まあ、どうでもいいか。で、なにかもう一冊買おうと思ったんだけど、河出文庫のはなんか凄く高いのね。新潮文庫の短編集にしてみました。

2002-09-30(月)

03 ミスドにて

ミスタードーナツでフレンチクルーラとコーヒーをしたためながら小一時間ほど読書をするのがわたしのささやかな贅沢になっているのだが。

となりにすわったおばさんのラーメンの食い方が、もー気になって気になって、読書どころではない。だいたいミスドでラーメンを出すのは如何なものかとつねづね思っていたのだが、その件についてはまあ、いい。問題はおばさんである。

わたしは、カップヌードルをフォークでもってすするところまでは許す。だがラーメンは不可としたい。不可としたいが、なんとか許せないこともない。しかし、それもふーふーしてズルズルすすれば、の話だ。その際、レンゲは使うべきではない。が、おばさんは、ラーメンをスパゲティよろしくくるくる巻きつけて、巻いたラーメンをレンゲに乗っけて一気に口に入れてしまいなさる。これはいかん。食文化の破壊である。つまりテロだ(なお、和風スパゲティを箸で食べるのことに関しては判断を保留したい)。おかしいぞおばさん。いい年してなぜ間違いに気付かないんだ。よっぽど注意しようかと思ったのだが、もちろんそれはここだけの話であって本を読むふりをしながら、いや読んではいたのだがその珍妙な食べ方が気になって少しも頭に入って来ないわけで、子細に観察を続けるわたし(32才無職独身)なのであった。

そのときわたしは、ラーメンの傍にシナモンクルーラー(90円)があることに気付いた。なんという絶望的な食べ合わせ。わたしの知り合いにはラーメンを食べるときには牛乳は欠かせない、と主張する人がいるが(ラーメン屋に行ったときにはどうするんだろう。牛乳を出すラーメン屋なんて聞いたことない)、さらに破壊的である。おばさんはラーメンをくるくるしたそのフォークでシナモンクルーラー(90円)を3つに切り分け、切り分けたドーナツをフォークでつついて美味そうに口に運んだのだった。

ミスドのラーメンは、カップラーメンと同じ匂いがして、あまり美味そうではなかった。

04 ラーメン屋にて

まあ、そんなこんなで、ラーメン屋でラーメンを食べたいかも、と思ったのである。深夜のラーメン屋に入ると、酔っぱらった爺さんがが店のおにいさんにしつこくからんでいる。「他のお客さんに迷惑ですから」「なんだよ俺だって客だよひでえことゆうなよう俺は素面のときは猫よ猫借りて来た猫酔うと大変だよ聞いてる? 聞いてる?」と一方的に楽しげである。おにいさんがたまりかねて「警察呼びますよ」というと「おーおーおー呼べ呼べ呼べ警察には知ってる奴がいるんだよみんなよく知ってるよさあ電話しろ今電話しろ」と大喜び。いざ電話をかけて状況を説明し始めると「換われ換われ俺がでるよ俺が犯人だよ犯人本人だよ75才だよもうすぐ80だよこのやろー」と、まあ、こんな調子なのである。

お巡りさんが来るまで野次馬を決め込んでようかとも思ったのだが、お兄さんが申しわけ無さそうに他の客に頭を提げて回っているのを見て、あんまり面白がるのもかわいそうで、さっさとラーメンを片付けて店を出た。

© 2002-09, 藤井幸介(ふぢー)fk2001@mail6.alpha-net.ne.jp