見れば見るほどすごいリストだ。獅子文六だの川口松太郎だのって、いまどき日本人だって読んでないと思うのだが。こんなの海外に持って行ってどういう意味があるんだろう。謎だ。こんなものだったら翻訳なんか出すより文化庁でお金を出して国内で出版するほうがはるかに意義あるような。読まれるかどうかは別として、とにかく文化の保存にはなるわけだ。
お上主導でこういう事業をやることにたいする反発もあるみたいだけど、わたしはそれは別にいいと思うんだよな。しかし、なぜもっと現在生きてる作家にプラスになるような方向でやらないのだろう。食えない食えないと愚痴ばかり言って図書館にまで噛みつく連中に海外からの収入の道を作ってあげればすこしは喜ぶんじゃないかと思うんだがね。
某派遣会社より先週派遣の打診があったのだが、その件についてメールで連絡があった。その内容はと言うと、何度か連絡したのだが通じなかったので、期限切れで紹介できなくなった、というのであった。しかし、わたしが認識している限りにおいて、携帯電話に連絡があったのは火曜日の一度だけ。そのときはたまたま電車で移動中だったのでそう伝え、再度連絡してくれることになっていたのだ。それ以来携帯電話の着信履歴にも何の形跡も無いし、メールも来ない。これは「何度か」、というには少々無理がある気がするのだが。なんとも納得いかん感じなのである。かといって、抗議したところで逃した魚が戻るわけでも無いよねと思うと、もーどーでもいいか、という気もするわけで、どうやら自称ケツの穴にできることはなにもないことに気付くのであった。コンビニのおむすびにお湯をかけてほぐし、三倍濃縮そばつゆを少量加えてすすったらやたらとうまかった。やれやれ糞して寝るか。
というか、全然腹が立ちません。生命力の危機かも。
奥泉 光『バナールな現象』を読みはじめた。
作者のオフィシャルサイトのURIが掲載されていたので、見てみた。五月以来更新されていない様子であり、その更新も『バナールな現象』文庫化の告知のみであり、連載エッセイは2002年1月を最後に更新が止まっているのであった。連載エッセイがコンスタントに更新されていたのは約1年あまりの期間であって、「個人サイトの平均寿命は一年」という通説と微妙に重なる。
最新日記にカウンターをつけてみた。サイト開設以来トップページにもカウンターをつけているのだが、もはやあまり利用されることもないトップページの閲覧数をカウントしても意味が無いので外しちまおうかと思っている。しかし、別段はずすことにも意味が無いということにもなるわけであり、意味無いことをするのも面倒臭いので暫くのあいだは放置されることであろう。そもそもカウンターに意味などあるのかという話になったりもするわけだが、けっこう好きなんだよねカウンターってさ。
SFマガジン2002年11月号の考課と短評を書いた。今月はたっぷり罵倒してやろうと意気込んでいたんだが、なんか怖くなって来たので:-)あっさり風味で。
ソウヤーって、ぜんぜん好きではないんだけどなあ。
ハヤカワ文庫の新刊案内を見ながら、《銀河戦記エヴァージェンス》の共著者ショーン・ウィリアムズって、どこかで聞いた名前だなー、と思っていたのだがどうも思い出せない。調べてみたら、SFM2000年四月号のオーストラリアSF特集に掲載された「バーナス鉱山全景図」の作者だったのね。上下組のスペオペはもう飽きたよ、と思ってたけど、買っちゃうかも。それにしても、あの短編の病んだ独得の雰囲気と、《銀河戦記》とがどうしても結びつかないんだけど、ほんとに同一人物なんだろうか。
なんとなく最近のSFには食指が動かないので、実はこんな超有名作品も読んでなかったんですすいませんシリーズ。
この文庫版は筒井康隆の解説が有名で、わたしも解説だけは読んでいたのだが、昔のハヤカワ文庫って活字が小さいしー、てなことでなんとなく後回しになっていて、いつの間にか三十路に突入してしまったのであった。
その解説には、その小説ジャンル特有の手法でもって他ならぬその小説ジャンルを茶化すなど、SF以外のどんな小説ジャンルにおいて可能であろうか。
とあって、若くてバカだった二十代のわたしは「そーだそーだSF最高SF万歳」と気合を入れたものだったが、そもそも小説というジャンル自体が中世騎士道物語特有の手法でもって他ならぬ中世騎士道物語を茶化した『ドン・キホーテ』という作品を起源に持つと言う文学史の常識を知っている今と当時ではこの部分の読み方は当然変わって来る。文庫版初版当時(昭和52年)の日本におけるSFの地位ってものを計算に入れなきゃ行けないってことで、つまりはアジテーションの一種だったんだろうな、ということ。
SF雑誌編集者のキースがロケットの墜落事故のショックでのパラレルワールドに飛ばされてしまう。その世界では目下アルクトゥールス人と戦争状態にあって、ディティールはパルプSFそっくりで、というなお話の概要は、たとえ実際に読んだことはなくてもSF系日記更新時刻を日々チェックしているような方にとってはお馴染のものだろう。ひょっとしたら瞬間移動するミシンの話なんかも聞いたことがあるかも知れない。
パロディSFはいろいろあるけど、たとえばハリイ・ハリスンの『銀河遊撃隊』なんかが有名で、これはE.E.スミスのスカイラークシリーズをパロディにしたものだった。ただ、ブラウンの場合は旧来の冒険SFに強烈な批判意識をもっていたハリスンほど重くなくて、むしろB級テイストへの愛情が感じられる。その点、印象はちょっと『ギャラクシー・クエスト』に近いと言えるかもしれない。
今日の目で見れば笑えるギャグはすくなくて、半裸の美女が宇宙遊泳してるカバーイラストとか、通貨はとにかく何でも"クレジット"で、天才科学者がつまんない偶然から驚天動地の発明をする、とかいうようなパルプSFのクリシェは、今ではわざわざ茶化すまでもなくギャグになってるし、かなり露骨にもなっているから、パロディ小説としては、すごく品が良いと言うかおとなしく感じる。時代を経てギャグなんだかマジなんだかよくわからないものになっちゃっている部分もある。
むしろわたしには、ちょっと不条理な感触のスラップスティックというような感じの方が強くて、その手のものは基本的に好きだからけっこう楽しく読んだ。最後に出てくる平行宇宙の解釈は、量子論がどうの、なんて言い出さない分だけむしろ新鮮だった。昨今じゃなんでも量子論ですからねえ。
古本屋で。『ジャガー・ハンター』はいったい何冊目だか。
新本。
八月の末から自動車教習所に通っているのだが、ようやくのことで仮免の試験にまでこぎつけた。技能はクリアしたが、学科はいまいちだったような気が。結果は明日出るらしい。
さらに動揺している。
『ダーク・エンジェル2』シーズンファイナルを見る。
こんな終わりかたでUnfortunately, the series will not return for a third season in the fall.
ってそりゃないよ。何も解決してないじゃないの。しかも新しい謎を出してどうしますか。
3rdシーズン制作のための署名運動を展開しているSAVE Dark Angel JAPANによると、もともとこのシーズンファイナルはシリーズ続行を前堤として制作されたらしい。ところが一度は3rdシーズン続行を決めたFOXが土壇場でキャンセルしてしまった。もともと『ダーク・エンジェル』にはTVドラマとしては破格の制作費が投入されていること、2ndシーズンの視聴率は伸び悩んでいたことなどネガティブな要素も多かったようだ。
まあ、2ndシーズンに関していえば、たしかに目を覆いたくなるようなエピソードもいくつかあったことはあったから、人気が落ちたのも仕方ないか。でも後半の展開はかなり持ち直していたし、ジェシカ・アルバもどんどん良くなって来ていたから勿体ない。
ドラマの出来とは別に、アメリカ全土がテロによって廃墟と化した、という設定だけに9.11の影響もあるのかもしれない。2ndシーズン後半からジェネティックと人間の対立の構図が浮かびあがって来て話が重くなり、それにつれてキリスト教批判や、人種差別批判の色が濃くなって来た事も、右傾化している今の世相と合わないのかなあ、なんて事も考えてしまう。
薮から棒に仕事が決まってしまった。といっても一ヶ月の短期だが。それでも日払の「軽作業スタッフ」の256倍ましだ。
合格したようです。わーい今日は充実した一日だなあ(←小市民)。
桑田はいままでの日本シリーズではあまり良い成績を残していないので少々不安だったのだが、安定感のある内容で七回まで一失点に抑えてしまった。その一点の内容も、一死二、三塁の状況でカブレラに対し変化球を引っかけさせた内野ゴロの間に失ったもので、申し分ない。今の桑田は「復活」どころかこれまでのプロ選手としてのキャリアの中でもっとも充実しているのではないか。永年の桑田ファンとしてはもう言う事無しの試合であった。
松井稼頭央と和田一浩を抑え込んでおけばカブレラに少々打たれても巨人としては大崩れは無いはずで、いまのところそのとおりになっている。良い展開だ。
両親が健康マニアなのである。いまのところそれほど重度ではないと思うのだが、たまに危なっかしく感じることがある。
めったに風邪などひかない親父が、先々週から発熱と咳がひどく、傍目にも気の毒な状態になっている。食欲もほとんど無いらしく二週間近く流動食しか口にしていないという。ちょっと長引いているので医者に行くように強く薦めているのだが、生返事しか帰って来ない。もしただの風邪なら注射の一本もぶちこめばたぶんすぐに楽になるよと言ってみるのだが、どうやらそれは「他人委せの安易な方法」に思えるらしい。ようするに苦痛を耐え忍んで「自然治癒力」とやらが引き出されるのを待つのが価値なのだ。風邪にかかると云うことをなにかの「罰」のように感じているようでもある。医者をほとんど信用していないし、「薬は毒」というそれ自体としてはそうまちがってもいないと言えなくもない信念を持っている。罰点を安易な方法でクリアすることは許されず、毒を煽って「自然」の摂理に逆らえば(副作用やらなんやらといった)さらなる罰をうけるのではないかとおそれている。こうした構造はほとんど信仰に近いと言うべきなのだが本人たちにその自覚は無い。
両親がこういう風に思いこむようになったのは、最初の子供であるわたしが病弱でアトピーだの小児喘息だのの持病を抱えこんだ子供であったこと、医者は「成長とともに軽快するよ」とは言うものの、わたしを直すことができなかったこと、というような過去の記憶が大きく物を言っているのではないかと思う。母は特にその傾向が強くて、一時期はわたしがお腹にいた頃に食べたものが良くないのではないかと、そんな自分を罰するような事も言うようになっていた。母にそんな風な考えを植えつけた健康幻想には強い怒りを感じるが、わたしにはいまのところどうすることもできない。あんまりいかがわしいものに手を出してくれるなと祈るばかりだ。
派遣初日。IEは不便だと思った。
風邪ひいたかも。ぼーっとして、帰りの電車のホームをまちがえたり釜上げうどんを食べるときに薬味をつゆのほうではなく丼の方にぶちまけてしまったり。
サービス満点でたしかにおもしろいことはおもしろいのだが、アングロサクソン的な価値観の枠から一歩も出ず、あぶないことは一切やらない、それがソウヤーである。いつもバランスのとれた良識的な範囲で八方丸くおさめてしまう。だから、すらすらよめて(もちろん訳の良さもあるだろう)読んでいる間はそれほど退屈こそしないものの、だからなんなんだ、という観がぬぐえない。いや、キリスト教批判をやっているではないか、と言う人もあるかも知れないが、実は目新しい事やソウヤー(というか登場人物たちの)独自の思想は一つも語られないことに読者は気づくべきだ。それでは人種差別批判はどうか、と問う人には、「良い黒人」しか登場させないうちはまったく批判にならない、と答えることになる。まあ、こんなことははじめからわかって読んでいるようなものなのだから今さら文句を言うのもアホみたいな話ではあるのだが。
とはいっても、遺体損壊の動機に直結するトソク族の信仰は、日本人の非キリスト教徒にはまったく理解できない(理解できても納得/感情移入できない)もので、どちらかといえばナンセンスだと思うが、キリスト教社会の内部から見ればショッキングで危ないものなのかも知れないという気はする。
事件の解決については、長々と読んで来て結局これかよあーあ、という印象。地球の価値や文化とエイリアンのそれとが交叉してそこからなにか別のものが見えて来る、なんて展開を期待しないわけでもなかったのだが、結局地球人に都合の良い話でしか無かったのね、と。それにしてもトソク族の船長ケルカッドの態度のうすっぺらさときたらまったくなさけない。「ノンマルトの使者」のキリヤマの苦悩をやつらにも学ばせるべきであろう。
初回工藤が西武に対してこのシリーズ初の先制点を与えたものの、大量リードに守られて二回以降は完璧な内容。勝ち方が楽すぎてかえって不安になるような展開で、巨人が三連勝してしまった。
おそらく明日登板するはずの高橋尚成がいちばん通用する投手だと予想していたのだが、いくらなんでもそろそろ負け頃のような気もするんだよねえ。とするとたぶんまったく通用しない入来も負けて二連敗、西武逆転優勝の可能性で世間も良い按排に盛りあがって来たところで東京ドームに戻って上原で胴上げ、て感じでしょうか。
六回表に松坂が登板した時点で、八割がた巨人の勝利を予想した。案の定原監督のバカヅキ采配が炸裂して代打後藤までタイムリーを打ってしまった。あと二イニング西口が投げていれば少なくとも接戦になっていたと思うんだが。相手の采配に助けられて四連勝で巨人優勝。90年の日本シリーズで西武に四タテを食らっていることもあって実に気分爽快なのだ。
さて、これから祝勝会中継をみてビール飲んで寝よ。
まさか日本シリーズが四戦で終わってしまうとは思ってなかったから、Jコレクション刊行記念フォーラムの聴講券をもらってなかったのは誤算だった。ひどく暇になってしまった。寝ちゃお。