3月21日(金)晴れ 犬山市《喫茶ふう》
最近は前日から出かけてゆっくりと釣りでもして、というかほんとは釣り目的なのではというご指摘も多いが
ともかく、この日も名古屋港で釣り竿を出して午後から犬山に向かった。見事に坊主であった。
車が新しくなったのはいいが、前日大阪を出て、西名阪道に入ったとたんスピードメーターが動かなくなってしまった。
車自体はちゃんと動くのだが、スピードが解らない。
ちょうどラジオであの忌まわしい、イラク戦争開戦のニュースが飛び込んで来たばかりだった。
車もそれに抗議したのかもしれない。とにかく故障の多い車である。
仕方なしにそのまま走ることにしたが、いったい何キロで走っているかも解らない。
カンでこれぐらいだろうと思う車に着いていくことにした。現在僕の点数は5点で違反はもう出来ない。
犬山市に入ると有名な桜並木がある。しかしまだ蕾がふくらんだ程度であった。
『ふう』は犬山城近くの古い町並みが続く一角に町並みに溶け込んだようにある。
もちろん『ふう』もその古い民家を改造して営んでいる。いい感じの店だ。最近喫茶店であまりいい店が少なくなった。
店主の小川さん宅は代々この地方で商売を営んできた末裔だけあって、実に立派な構えの家だ。
昨年に続いて2度目のふうライブである。
店に着くとおいしい珈琲を入れてくれて、名古屋港では坊主でお土産がないことを話す。
今回はステージがお座敷側になっていた。前回は通り側だった。毎回場所が違うのも面白い。
あのギターコレクターの佐伯さんも来てくれていた。(昨年のツアー日記参照)
しきりに僕のギターのことについて聞いてくれた。
前回は息子さんがPAを担当してくれたがライブで来れないと言うことだった。
今回は(すんません名前忘れました)別の方がやってくれた。
リハを簡単に済ませて、おいしいうどんをいただき準備OKだ。
前回よりもたくさんのお客さんが来てくれた。大深さんも徹夜の仕事を片づけて来てくれた。
ところがツアーの初日はいつも僕はかたい。国道152号線物語でやっと落ち着いた。
古い町並みに僕のスライドが響く。ええなあこの感じ。
打ち上げは僕のステージの後ろのブラインドが開いてお座敷が会場。
小川さんところに長逗留している梅本さんという大阪の方がいて、あの152号線の走っているフォッサマグナ、
糸魚川静岡構造線を糸魚川から御前崎まで歩いて走破したという。6つの険しい峠があったそうだ。
若そうに見えたがもう60歳を越えているらしい。やはり歩くという趣味が若さを保っている気がした。
『野楽』という小川さんと共同で出版している野山を歩き、
野で寝泊まりをするという趣味の雑誌が残念ながら今回で最終号となるそうで
僕も楽しみにしていただけにおしいような気もした。旅の気持ちは旅した人でないと解らない。
僕も一介の旅人である。そんな話をしながら犬山の夜は更けゆくのであった。
ふうの店内で向かって右から梅本さん、小川さん、奥さん。
これが梅本さん自家製のマーマレード。ミカンの香りがそのままします。
3月22日(土)曇り 足助町《足助のかじやさん》NEW
朝、小川さん、梅本さんと一緒に犬山にある『さら、さくら湯』という温泉施設に行った。
出来て2年くらいしかたってないというこの施設は、わざわざ近所の温泉をタンクローリーで運んでいるらしい。
最近このような施設が町々に出来て、旅人にはありがたい。そして最近はどこにでもある露天風呂に浸かりすっかりリフレッシュ。
ふうに帰ってお昼ご飯をいただき、犬山を後にした。
後で気がついたが梅本さん自家製のおいしいマーマレードをふうに忘れてしまった。残念。
犬山から国道155号線に入り、しばらく行くとどうも道を間違えたらしい。国道がいつのまにか住宅街になっていた。
なんとなく国道と県道で様子が違う。その辺は長年旅をしていると解るようになる。
道を引き返してよく地図を見ると一カ所国道がとぎれているのだ。案内標識も無かったし、不親切だと思った。
やっとのことで155号線を見つけ瀬戸市を抜けるとグリーンロードというきれいな道に入る。
これで足助までは一直線だ。
足助は紅葉の名所らしい。実は僕は知らなかった。走るにつれて風景が渓谷の中になり、古い落ち着いた町並みが見えた。
橋を渡ると直ぐに『足助の鍛冶屋さん』は見つかった。一階が鍛冶屋さんの包丁などを直売する店になっており、
2階が珈琲&ライブスペースになっていた。外観も蔵のような造りになっており、足助の町の風景に馴染んでいた。
2階に上がってみると照明設備やら音響設備もちゃんと整っていて、おまけにステージまで作ってあった。
着いたときに店主の廣瀬さんはいなかったが、ほんとにこんなところでと言っては語弊があるがよく作ったものだと思った。
リハも音は良く、良いライブが出来そうだと思った。
やがて廣瀬さんが仕事を終えて現れた。僕より一つか二つ上だったろうか、やさしい感じの人だった。
ライブの方はお客さんは少なかったがPAの方も一生懸命やってくれ、お客さんの方も楽しんでくれたみたいだ。
お客さんの中に鳴瀬さんという方がいて、少し山の中に入った町でイベントをやっているという。
「よかったら今度うちの町で一度ライブしてください」と言ってくれてありがたかった。
冷え込む山の町で温かい夜が更けてゆくのであった。
足助のかじやさんの外観。
この方がオーナーの廣瀬さん。後ろに北見けんいち氏のサインが見える。
お客で来てくれた鳴瀬さん。かなり酔ってます。
3月23日(日)晴れ 島田市《ブルースバー》
朝目が覚めて外に出てみるとモヤがかかり、山奥の町の風情を感じさせてくれた。
僕は早起きなのだが、奥さんはさらに早くから起きていてちゃんと朝食を用意していてくれた。
ナイフでも買おうかなと思ったが今度来るとき、そしてもっとお客さんの多いときにと楽しみはとっておくことにした。
おいしい水をお土産にもらい廣瀬さんに別れを告げて、島田に向かった。
足助の橋より撮った写真。秋には綺麗な紅葉が見られるのだろう。
東名を吉田で降りて、大井川漁港に向かった。まだ昼前である。
去年、吉田漁港で釣りをしたのだが、地元の人に聞くと大井川漁港の方がいいかも、と聞いていたのだ。
大井川沿いを海に向かって走るとすぐに漁港はあった。
この日は天気もよく、日曜日と言うこともあって大井川漁港には釣り人が沢山いた。
何が釣れているのか地元の人に聞くと、ほとんどの人が黒鯛狙い。僕は黒鯛が嫌いだ。理由はおいしくないからだ。
コハダがぼちぼち釣れているらしかったが、僕は根魚狙い。
ガシラやハゼでも釣れないかなと勇んで竿を出したが、2時間たっても何のアタリも無し。
エサさえ無くならなかった。去年はそこそこの釣果であのビッグムーンカフェのスタッフ達にも喜んでもらったのだが
なにか肩にのしかかっているような気がした。それは後でわかる。
4時過ぎまでねばったがとうとうまたもや坊主。ああ、このツアーほど釣果に見放されたツアーはない。
もともとこの時期は釣れる魚も限られていてしんどい時期ではあるのだが、それにしてもである。
大井川沿いを走ると島田市に着く。夕日がやけに眩しかった。
一年ぶりのブルースバー。三度目だ。
島田駅の真ん前にあるこの店は一階がブルースバーで2階がビッグムーンカフェというエスニック料理の店になっている。
車が着くなりマスターのトシさんのお出迎え。2階に上がるとみなさんから「何が釣れたの」「アナゴ?」という集中砲火。
来る人来る人全員が聞いてくる。ああ、大井川漁港での肩の重さはこれだったんだと気がついた。あえなく撃沈されてしまった。
こんなにも期待されていたとは・・・。クーラーの中はエサと氷だけ。「すっ、すんません。坊主でした」口も重かった。
あずささんの出してくれた珈琲がやけに苦かった。
今日のライブは一階のブルースバーの方でやることになった。ギター4台を並べるのに四苦八苦したがなんとかなった。
いつものブルースお宅のおやじさんや饅頭屋の娘も柏餅を持って来てくれて、
そうそう島田市でたった一人の五十一ファン倶楽部会員の田畑さんも来てくれた。いつも若者も交えてお客で一杯になる。
泡盛でええかんじで酔い、あの国道152号線物語が受ける、受ける。
いつかあの忌まわしい釣果のことはすっ飛んでいた。なんか「さよなら小唄」で玄関口にいた若者は涙を流していたそうだ。
ライブの後は2階に上がりトシさんと乾杯。ひとみさんが作ってくれたゴウヤチャンプルーに舌鼓を打って
島田の夜はディープに更けてゆくのであった。
3月24日(月)晴れ
トシさん宅のいい感じの屋根裏部屋で朝目覚めた。夕べの酒が少し残っていた。
リビングに入るなり、大きな鳴き声。そう、ここにお世話になるのは2年ぶりなのだがその間にトシさんに女の子が出来ていた。
その子が僕を見るなり、泣き出したのだ。ごめんね、こんなおっさんがいきなり入ってきたら泣くのはあたりまえだ。
ボリューム満点の朝ご飯をいただきビッグムーンカフェに向かった。
一杯1000円もする珈琲を入れてくれたのだが、最初はよくわからなかった。しかし口の中で珈琲の味がふくよかに残る。
チーズと一緒に飲むと更にまろやかに。何でも世界一になった珈琲豆らしい。ありがたくいただいた。
しかし、今回カメラを車の中に置いたままでみなさんにお見せすることが出来ない。またまたごめんなさい。
ゆっくりと時間を過ごしてから行くことにした。来年はきっといっぱい釣って島田に現れるぞと心の中で誓った。
おやじさんや、饅頭屋の娘ゆきえちゃん、トシさんに見送られて島田を後にしたと思ったら、トシさんから電話。
「五十一さん、着替えの入ったバッグ忘れてる。」また引き返し。情けない。
気を取り直し出発。目指すは御前崎。
島田から御前崎までは1時間半ほど。いい天気だったし御前崎なら釣れるだろうと思ったがまたまたなんの反応もなし。
夕方途中で見つけた御前崎温泉に入りに行く。今日と明日はオフ。ゆっくりしよう。
3月25日(火)雨
朝、目覚めてみると大きな雨音。釣る気も無くなり、昼まで寝る。
午後から雨は止み、どうせ釣れないだろうと竿を出す。案の定釣れなかった。
最後の望みは夜釣りだ。地元の人に聞いたポイントで投げ釣り&メバル釣り。
エサのアオイソメが無くなったので地元の釣具店で買ったが500円でほんのわずか。たぶん大阪の三分の一くらいの量だ。
さすがにここまでねばればなのがしか釣れる。まず夕刻ガシラが立て続けに2匹。
日没後はやっと本命のメバルが来た。電気浮きがすうーと海中に沈んでゆくのはいつもわくわくする。
しかしメバルのアタリはこれだけで後は風が強くなり、納竿。
結局釣果はメバル1、ガシラ2、キス1、メゴチ1。やっとの思いで釣った魚たちだった。
3月26日(水)晴れ 三ヶ日《パラディソ》
朝早くからこの日も御前崎で竿を出したがアタリもなく午後、三ヶ日に向かう。
去年、ハゼをいっぱい釣った浜名湖の瀬戸の赤い橋の下に行ってみたが釣っているのは一人だけ。
こんなにも釣れるときと釣れないときとでは人に差があるとは。
教訓:釣り人の少ないところでは釣れない。
パラディソは浜名湖畔の風光明媚な場所にある。
それだけにお客さんが来るのに少し不便で、動員に少し大変なものがある。
しかし、ここでがんばろうとしている伊藤さんご夫妻は応援したくなる。ほんとにいい人達なのだ。
これでパラディソは3回目。今日のオープニングアクトはローランドの面々。
アコーディオンにギター、パーカッション、ベースという編成で唄があるのかなと思ったらインストだった。
お客は少なかったが楽しいライブだった。打ち上げに昨日釣ったガシラやその他面々をゆかりさんが天ぷらにしてくれた。
あっというまの天ぷらだった。
3月27日(木)晴れ 浜松《ポルカドットスリム》
朝、パラディソの近所の赤い橋の下で竿を出したがアタリも何にもなし。
ほんとにこのツアーは釣れない。釣れないときはお客も少ないというのがジンクスになろうとしている。
ポルカに着いてリハを終えるとカズ君が来てくれた。
しかしその後待てど暮らせどお客は来ない。とうとう始めることにしたが、気分も乗らない。
スタッフの子は申し訳なさそうにしていたが、こんなこともあるさと気分を切り替え、浜松を出た。
3月28日(金)晴れ 豊川市《Tinga Tinga》
今日は浜名湖の入り口で竿を出した。大物は釣れない。地元のおじさんが稚鮎を釣っていた。
この時期の稚鮎はおいしいらしい。苦みもなく大きさは6〜7cmとほんとにアタリをとるのに大変なのだが
釣れないよりは釣れるものを釣ろうというのが僕のポリシー。
3時頃までに30匹くらい釣れた。これでお土産にはなるだろう。
『Tinga Tinga』は豊川稲荷の真ん前にある。アフリカンな雰囲気の店だ。
さらに今回はインターナショナルな雰囲気でというのも外人が4人ほど来てくれた。全員が英語の教師。
昨日に続いてカズ君も来てくれた。まあまあの入りになって、でも外人にはあの国道152号線物語のニュアンスはわからない。
でもなぜか受けた。外人はノリはいい。終わってもなかなか終わらせてくれない。
いつか豊川の夜は丑三つ時までにぎわうのだった。
3月29日(土)曇り 名古屋市《源》
マスターの伊東さん宅でお世話になり、昼頃豊川を後にした。
途中、蒲郡の港でエサやらクーラー、竿など道具の掃除。竿を出すには出したが釣れるなんて思えなかった。
5時前に源に到着。4連ちゃんはさすがにきつい。疲れはピークに達していた。
さあ、最後がんばらねば。最近源さんもお客が少ない。入る人は入るのだろうがでも、カズ君は今日も来てくれて
これで3連ちゃんのつき合いをしてくれた。ほんまにカズ君ありがとう。犬山の大深さんも来てくれた。
島田で行けなかったということで芝さんという静岡の吉田町からも遠路来てくれた。
サニーサイドという中古ギターの店をやっている山口さんもいつも来てくれる。
余談だが今度10月に彼が51歳になる記念して僕を呼んでお店でライブをやりたいという。
51歳がこんなところでも役に立った。この日記をご覧の方で今年51歳になる方はぜひ僕を呼んで記念ライブをやりましょう。
今日のオープニングアクトはお馴染み、川合ケン君。
今回はウクレレで昭和歌謡が中心。彼にはギターのシリアスバージョンとウクレレの昭和歌謡バージョンがある。
僕の方も最後の力を振り絞って唄った。年輩の方もいたので昭和歌謡もまぜながら、たっぷりと。
打ち上げはいつものお店。なんかツアーが終わった開放感もあり、いい気分で名古屋の夜は更けてゆくのであった。
次回の東海ツアーは11月の予定。そのころには51歳記念のニューアルバムも出来ているでしょう。
次回は一生に一度のスペシャルツアーにしたいものです。