注意!!

この小説は大和郡山市中途失聴・難聴者協会のホームページ掲示板上で 展開された閲覧者参加型連続ドラマを加筆・脚色したもので、 団体名、個人名など全てフィクションです。

オリジナルの文体を楽しみたい方は 掲示板 20009年9月30日「お試し」からご覧ください。





「空を、泳ぐ!」

編集・金魚





* 1 *


未知の世界への扉は、案外身近にあるのかもしれない。運命のその日、小山リオは勇気を振り絞って 要約筆記サークルの扉を開けた。地元の福祉会館で要約筆記ボランティアの定例会を見学するためだったが、 生まれてからずっとこの町に住んでいるのに福祉会館に足を踏み入れるのも初めてなら、会館そのものの 存在も知らなかった。

福祉会館の3階、階段を上がってすぐ目の前にあるその部屋の扉には、思わず微笑んでしまうくらい 可愛らしいイラスト入りで『要約筆記サークル・青い空』の札が掛かっていた。一つ深呼吸した後、 古びた木製のトビラを遠慮がちにノックする。内側から返事が返るのを待って、静かに扉をを開いた。そこには 黒メガネに黒服の不気味な集団がいて、その視線が一斉にリオに集中する。 ちょっと・・・いや、かなり不気味だ。

(早まったかも。)

軽く動揺して入り口に立ち尽くすリオに

「小山さんですね。ようこそ。」

サークル代表の麻耶(まや)が笑顔で手招きしてくれた。ぺこりと頭を下げて 室内に入ろうとした時、低いうめき声が聞こえてきた。

「ううう・・・漢字が出てこな〜い・・・。」

部屋の隅に陣取って何か一所懸命書いている黒メガネの三人組がいた。

「はい、皆、注目〜。」

麻耶はパンパンと手を叩いて全員の視線を集めたかと思うと、 リオに自己紹介を促し、ほとんど無理やりにマイクを手渡した。

(えっ、こんな小さな部屋なのに、マイクでしゃべるの?)

戸惑いながら、恐る恐るしゃべってみる。

「小山リオと言います。只今、就職浪人中なんです。」

傍らの麻耶がそっとリオの背後の壁を指差す。振り向いたリオはそこに自分の 自己紹介の言葉が大きなスクリーンの上に映し出されていくのを見た。 かっちりと読みやすい楷書で書かれた大きな文字だ。 黒メガネの三人組が書いていたのはこれだったのか、とその時初めて解った。

要約筆記が聞こえない人に文字表記で情報を伝えるコミニュケーション手段である事は知っていた。 リオの大学にも聴覚に障害のある学生がいて、それらの学生と同じ講義をとった事がなかったので リオ自身は直接見た事はないが、聞こえない学生のために講義の内容を書き記すボランティアの人が来ていると 友達から話は聞いていたのだ。だがリオが知っている要約筆記とはそういった個人的なもので、 こんなふうに機械やスクリーンを使って書いた文字を大きく映し出すようなものではなかった。

「麻耶(まや)です。今日は見学者が二人も来られて嬉しいですね。」

ここではマイクを使って発言し、まず名前を言うのが決まりであるらしい。 麻耶の発言を受けて、スクリーンにはすぐに

マヤ/見学者が二人も。嬉しい。


と映し出される。芝居の台本のように、誰が言った言葉なのかが解るような書き方になっていた。 リオは次々に文字が映し出されては流れていくスクリーンを横目で見ながら、もう1人いるという 見学者が気になり、失礼にならない程度に室内を見回した。中央奥のテーブル、一際 スクリーンが見やすいであろう位置に座る1人の女性と目が合った。穏やかな会釈(えしゃく)に 誘われるようにして、その人の隣に座る。

「私も今日、初めてここに来たんですよ。八尾まりこです。よろしく。」

「こちらこそ。よろしくお願いします。ああ、よかった。私、緊張しちゃって・・・。」

まりこはリオの母と同じか少し若いくらいの年齢に見えた。普段その年代の人と話す事など ほとんどないリオだったが、自分と同じ初心者がいる事に安心したせいか、ごく自然に 会話することができた。もっと話しかけようとしたその時、 まりこの右側に座っていた人がサラサラとリオの発言を紙に書いて見せているのに言葉を失った。

(えっ?この人、聞こえないの?だって、普通に喋ってるのに・・・。)




* 2 *


「今前でやっているのがOHP要約筆記です。」

後方の席に移ったリオとまりこに麻耶が説明する。まりこの隣ではサークルのメンバーが 麻耶の言葉を次々と紙に書き示し、まりこに手渡していく。

「OHPというのはオーバーヘッドプロジェクターの頭文字で、あの機械のことです。 ステージと呼ばれるガラス板の上にロール・・・サランラップみたいにロール状になった フィルムシートを乗せて、その上に聞こえた言葉を要約して書いていきます。 それがスクリーンに大きく映し出されているわけです。」

「OHPというと、学校で見たことがあります。こんなふうに使われるとは知りませんでした。 考えた人、すごいですね。」

リオは持ち前の好奇心を発揮して前方のスクリーンを見た。

「一番初めにOHPを使って情報保障・・・え〜っと、私達、この言葉よく使うんですけど、わかります?」

「わたしのような、聞こえにくい人にも情報を伝える、保障するという意味ですね?」

まさに今、紙に書かれた文字で情報を得ていたまりこが発言すると、麻耶が嬉しそうに笑って頷いた。

「はい、そうです。その、情報保障にOHPを使う事を初めて思いついたのが、ご自身も聞こえにくかった 学校の先生だったと言われています。」

リオは感心し、納得した。実は教員免許を持っている彼女だが、もし自分が教育現場にいて 毎日OHPを見ていたとしても、それを聞こえない人のために使うこと、使えるかもしれないなどと 考えることなどなかったと思う。それ以前に、聞こえない人の事など考えもしなかったのではないだろうか。

「それから、今八尾さんの隣で書いてくれているのがノートテイクと言われる方法です。 個人的な内容の時などはこちらの方法で情報保障します。」

まりこは読み終わってから麻耶の顔を見上げた。

「目が疲れないのはこちらの方ですが、これだと喋っている人の表情だとか周りの様子とかがわかりませんね。」

八尾の言葉にまた麻耶が大きく頷く。八尾さんは母よりずっと頭の回転が早そうだ、とリオはこっそり考える。 その上、文字を読みなれているらしくノートテイクに素早く目を通して内容を掴むのも早い。かなりの 読書家ではないだろうか。

「そうなんです。一長一短、いろいろあるのが現実です。」

「あの、前の人たち、皆黒いサングラスをしてますよね。黒い服の人も多いし。あれ、なぜなんですか? 入ってきた時、ちょっと怖かったんですけど・・・。」

リオの正直な感想に麻耶もまりこも笑った。ノートテイクをしていた人も口元を抑えて笑いを隠している。

「ああ、ごめんなさいね。初めての人はびっくりしますよね。けして怪しい集団ではないんですよ。 あれはね、OHPのランプの光がすごく眩しいからなんです。目を守るために偏光グラス・・・え〜っと、 釣りや屋外のスポーツなんかで使用する、光を反射するメガネをかけているんですよ。」

「ああ、そうなんですか。じゃあ黒い服も光を吸収するため?」

「いえいえ。」

麻耶が手を振って、おかしそうに笑った。

「要約筆記者はあくまで黒子というか、動きやすく目立たない服装で現場に行くようにしているんです。 今日のような例会では別に何を着て来てもいいんですけど、どうしても黒っぽい服が多くなっちゃうんですよね。 だから小山さんのような若い人が、華やかな服装で例会に来てくださるのは大歓迎ですよ。」

茶目っ気たっぷりにウィンクされる。見かけは怖そうだが、麻耶はなかなか楽しい人らしい。


「あの・・・」

まりこがそっと右手を上げて発言を求めた。麻耶が「どうぞ」と手で合図する。

「このサークルは要約筆記のサークルだということですが、みんな聞こえる人ばかりなんでしょうか。 私のような、聞こえにくい人はおられるんですか?」

「いらっしゃいますよ。今日も三人、参加しておられます。八尾さんはサークルのこと、 どうやってお知りになったんですか?」

「娘が・・・小学生なんですど、近所のスーパーで、このサークルのポスターを見て教えてくれたんです。 一度ここに行ってみればって・・・。」

「ああ、これですね。あそこのスーパーの店長さんは私達の活動を理解してくださって、 これを大きく引き伸ばして掲示してくれたんです。だから目に付きやすかったんでしょうね。よかった。」

そういって麻耶が取り出したのはA4サイズのカラーコピーだった。一番上に『聞こえない事で悩んでいませんか』 と一際大きな赤い文字が躍っている。

「うちのサークルは県内でも若い・・・平均年齢ではなくて、創立年が、ですよ。歴史の浅いサークルなんです。 設立したのも市内の中途失聴者・・・えっと、それまで聞こえていたのに聞こえなくなった人の事を こう呼んでいるんですけど、その方たちが市に強く働きかけたからなんです。ですからサークルには 要約筆記者と共に、中途失聴者も初めから会員として在籍しています。」

「ポスターには、聞こえない人同士で情報を交換したり気兼ねなくお喋りを楽しめる場、 と書かれてありましたけど?」

「はい。今前でやっているのは要約筆記の学習ですが、例会の後半はメンバーが持ち寄った お菓子とお茶をいただきながら、座談会のような形になります。」

「あ、それで。いろんなカップがずら〜っと並んでいるんですね。」

リオは部屋の隅に置かれた机の上に、色とりどりのマグカップが並んでいるのを指差した。

「そうです。小山さん、目ざといですね。あのカップ、形が同じだけど柄が全く違う物でしょ? サークルで先生を招いて、なんていうのかな、絵付け?みんなでシールのような物を貼って、 それを焼き付けてマイカップを作ったんです。サークルにはそういうお楽しみ企画もありますよ。」

ノートテイクの文字を追っていたまりこが再び質問する。

「例会の前半、学習の間、聞こえない人は何をしているんですか?」

「前半の学習の時はスクリーンを見てもらっています。要約筆記者は聞こえますから、 耳と文字の両方で情報を判断することができますよね。少々書かれた文章がおかしくても内容は解るんです。 でも聞こえない人に読んでもらって解ってもらえるかどうか。それはやはり当事者にチェックしてもらうのが一番です。 内容だけでなく、見やすい画面になっているかもチェックしてもらって、意見を出してもらっています。 時には厳しい意見も出ますよ。」

「それはつまり、要約筆記を利用する当事者が、自分達の見やすい情報保障をしてもらえるように 筆記者を育てている、ということでしょうか。」

麻耶が大きく頷く。

「その通りです。」




* 3 *


「小山さんはどうしてこのサークルに?」

聞きたい事は全部聞いてしまったのか、まりこがリオに話しかけてきた。

「あ、私は市の広報を見て。要約筆記奉仕員養成講座のお知らせが載っていました。でも実際どんなことを するのか解らなかったから、見学できるか問い合わせてみたんです。」

その時、電話対応してくれたのが目の前にいる麻耶だった。電話口で麻耶は「早口でごめんなさい。」と 言っていたのを思い出す。しかし、今リオやまりこと話をしている彼女は、どちらかというとゆっくり、 そして一言一言をはっきりと話している。それが聞こえない人と会話する時のルールかもしれない。

「お若いのにボランティアに興味をもたれるなんて、感心ですね。」

まりこが微笑む。リオは慌てて手を降った。

「いえ、そんな。そんな立派な理由じゃなんいんです。就職がなかなか決まらなくて。 家にも居づらいし、時間はたっぷりあるし。ちょっとでも就職に役に立つかなと、そんな下心もあったんですよ。」

「小山さんは正直な方ですね。」

今度は麻耶が笑う。

「就職に役立つかどうかは解りませんが、見学されて、どうでしたか?」

「そうですね。知らない事がいっぱいで、とても勉強になりました。中途失聴者なんて言葉も知らなかったし、 それに・・・あの、失礼な言い方かもしれませんが、聞こえない人は喋れないと思っていたんです。すみません。」

「謝ることはありませんよ。一般的に、聞こえない人は話せないけど手話ができると思われていますからね。 だけど聞こえない人でも、手話だけでコミ・・・え〜っと、コミニュケーションをとれる人って、 実はほんのわずかなんですよ。」

「えっ、そうなんですか?」

「ええ、そうなんです。例えば小山さんが聞こえなくなったとしますよね。その時点ですぐに手話で会話できますか?」

「あ、そうか!」

「もし小山さんが以前から手話に興味を持っていて、手話で不自由なく会話ができたとしても、 家族やお友達が手話を使ってくれないとコミができないんです。」

「そうか。そうですよね。私は喋れる。でも相手の言葉が聞こえない。私が手話を読み取れても、 相手が手話を使ってくれなければ役にたたないのか・・・。」

「日常から手話で会話されているろうの方と違って、中途失聴者は、聞こえない事は見た目には解りません。 話せるので聞こえない事を理解してもらいにくいんです。」

「そうか。そうですよねえ。うーん。今日一日で、ものすごくいっぱい勉強した気分です。」

腕組みまでしてしきりに感心するリオの横で、まりこがしみじみと呟く。

「私もね、自分がこうなるまで、聞こえない人の事など関心も持ちませんでしたよ。ましてボランティアで なにかしようなんて考えた事もありませんでした。小山さんのような若い方が少しでも興味を持ってくださるのは、 とても嬉しいし心強いです。」

「八尾さん・・・。」

「小山さん、ぜひ講座を受講してください。私達は1人でも多くの方に『中途失聴』を知ってほしいと思っています。 そして聞こえなくなって寂しい思いをしておられる方にも、要約筆記という物がある事を伝えたいんです。 残念ながら、手話と違って、まだまだ世間一般には知られていませんから。」

麻耶に言われるまでもなく、リオの心は決まっていた。筆記者になるかどうかは就職問題もあるので又別として、 中途失聴や要約筆記をもっと知りたいという思いがこみ上げてきている。

「あの、その講座というのは、わたしは参加できないのでしょうか。私も、自分が置かれた状況や要約筆記の事を、 もっと勉強したいのですが・・・。」

「そうですね。受講生としての参加はできないかと思いますが、サークルの中途失聴・難聴者会員としてなら、 講座に参加してもらえます。えっと、それにはサークルに入会していただかないといけないんですけど、よろしいですか?」

「はい。ここへ来て、麻耶さんや小山さんにお会いして、死ぬ前に、とりあえずできる事は全部やってみようかなと、 そんなふうに思うようになりました。」

まりこのその言葉に麻耶はちょっと複雑な顔をした。リオはそんな麻耶の表情には全く気づかなかった。 それよりも、母と変わらない年齢だというのに、頭がよくて、前向きで、客観的に自分を見つめる事ができる、 なんて強い人だろう、と感心するばかりだった。

・・・その時のリオにはまだ、何も解っていなかったのだ。




* 4 *


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