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ぼくが新入社員として、その写植メーカーに就職したのは一九七七年四月一日のことだった。
同じ日に山口百恵のうたう「夢先案内人」(阿木耀子作詞 宇崎竜童作曲)が発売された。当時はアイドル全盛期。ピンク・レディ「カルメン77」、キャンディーズ「やさしい悪魔」、西城秀樹「ブーメラン・ストリート」などがヒット・チャートをにぎわしていた。
一九七七年四月一一日(月)
「夢先案内人」がヒット・チャート第六位に初登場。第一位はピンク・レディの「カルメン77」だった。山口百恵(一九五九― )は一九七三年五月に「としごろ」でデビューし、「青い果実」「ひと夏の経験」「ささやかな欲望」などヒット曲を連発してトップ・アイドルとなっていた。「夢先案内人」は、高校卒業後(正式には出席日数の関係で六月一日に卒業している)の第一作であった。
ぼくたちは一週間の新入社員教育期間を終えて、この日から職場に配属された。同じ職場には、ぼくを含めて三人が配属になった。ここでもすぐに仕事につくのではなく、約三ヶ月間にわたって研修をうけることになるのだ。
一九七七年四月一八日(月)
「夢先案内人」が第二位に浮上。第一位には、相変わらず「カルメン77」が君臨している。
原字の下書き、メーキャップが終わるとS主任の検査を受け、指示されたところを修整する。OKが出ると、いよいよ墨入れの工程である。まず、墨を摺らなければならない。濃度のコントロールが重要である。薄いと透過してしまうし、濃いと渇きが遅くなるのだ。
墨入れが終わると、「仕上げ」の工程である。原字用紙の場合は、ポスター・カラーの版下用ホワイトを小皿に溶いて使う。墨とホワイトを交互に使って仕上げていく。ポスター・カラーは剥離しやすいので使わないほうが望ましいが、最初はうまくいかず厚塗りになってしまった。
一九七七年五月一六日(月)
「夢先案内人」がとうとうヒット・チャート第一位にたった。第二位にはさだまさしの「雨宿り」があがってきている。第三位は「カルメン77」だった。
すでに五月も中旬にさしかかり、I係長の指導のもと、欧字の実習にはいった。最初に基本的な説明があり、練習として七文字を描いた。工程は漢字とまったく同じである。
欧字は、思いのほか苦労した。Oの外側のカーブを仕上げるだけで、一日中かかった。やればやるほどいびつになってしまい、修整用のホワイトがどんどん厚くなっていった。いつ終わるのかと思ったぐらいだ。
一九七七年五月二三日(月)
「雨宿り」に第一位を奪われ、「夢先案内人」は一週だけのトップで再び第二位になった。「カルメン77」が第三位をキープしている。
研修期間が五月中で終わるということになっていたこともあって、和字(ひらがなとカタカナ)の実習はなかった。新人が和字を任されることは、実際にはあり得ないことだったということもあったのだろう。
和字は、おもにH課長とS主任だけが担当されていた。だから何一〇年もこの仕事に携わっている人でも、和字をさわったことがないのである。
一九七七年五月三〇日(月)
第一位「雨宿り」、第二位「夢先案内人」、第三位「カルメン77」は変わらない。
今週からは、いよいよ実作業に突入である。一方で、でき上がった原字は写真処理で縮小し、原版に貼り込まれていた。メイン・プレートは機械貼り込みだが、サブ・プレートは手貼りである。サブ・プレートでも、商品になるものはガラス製の原版に貼られるが、テスト用はフィルム製の原版になる。
原字ができれば終わりというものではない。タイプフェイス・デザインというのは、それだけで成り立つものではないからである。原字上で、一字一字がいくらよくできても意味のないことなのだ。
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山口百恵は「夢先案内人」で第六回東京音楽祭国内大会(六月一五日)のゴールデン・カナリー賞を獲得している。さらに夏にむけては「イミテーション・ゴールド」を発売し、沢田研二「勝手にしやがれ」、ピンク・レディ「渚のシンドバット」とはげしくトップを競うことになる。
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