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[ 判決要旨 ]
1982年(昭和57年)8月19日の松山ホステス殺害事件で、ホステスの安岡厚子(31歳)を殺害した被疑者として全国に指名手配された福田和子(逮捕時49歳)が、時効成立の3週間前の1997年(平成9年)7月29日に、福井市内で逮捕された。さらに、その後の取調べを経て起訴されたのは時効まで約11時間を残すだけというぎりぎりのタイミングだった。1999年(平成11年)5月31日、松山地裁は、無期懲役を言い渡したが、被告側は控訴した。2000年(平成12年)12月13日、高松高裁で控訴を棄却。12月22日、被告側が上告。2003年(平成15年)11月18日、最高裁で上告を棄却。これによって福田の無期懲役が確定した。2005年(平成17年)2月下旬、福田が収監先の和歌山刑務所で倒れ、和歌山市内の病院に運ばれたが、3月10日、脳梗塞により死亡した。57歳だった。8月26日、マスコミは福田が病死していたことを報じた。
当時、殺人などの公訴時効は15年だった。2005年(平成17年)1月1日施行の改正刑事訴訟法により死刑になる殺人などの公訴時効は「15年」から「25年」に改正。さらに、2010年(平成22年)4月27日施行の改正刑事訴訟法により公訴時効が廃止されたため、公訴時効が完成することがなくなった。
実は福田には刑務所での忌まわしい「過去」があった。
1966年(昭和41年)、福田和子が18歳のとき、同棲していた男と一緒に高松の国税局長宅に強盗に入り、逮捕された前歴があった。逮捕後、福田は裁判中の未決囚として旧松山刑務所の女子一房に収監された。その前年の1965年(昭和40年)6月、松山の繁華街に強大な勢力を誇っていた地元暴力団G会と縄張り争いをしていた今冶のY組との抗争が激化、白昼、ライフルやピストルを乱射する事件が起こった。これで、50人以上の逮捕者が出て、松山刑務所に収監された。拘置中のヤクザたちは看守を現金で巧みに買収し、「飲む・打つ・買う」のやりたい放題。挙句の果てに、看守から鍵を借りて女子房に忍び込み、女囚を無理やり強姦するという事件を起こした。当時、女子房の定員は6名だったが、実際に収容されていたのは3人で、未成年者は福田だけだったという。松山刑務所が密かに作成した「保安情報」と題する文書には、<組長は、昭和四十一年三月二十二日、拘置所女子一房においてFを脅迫し強姦しようとしたが、目的を遂げなかった。同二十四日、同一房でFを再び脅迫、強姦した>とあり、福田は未成年だったので、特に<F>と記されたという。この後、関与した看守、ヤクザらが松山地裁に取り調べられ、国会でも論議される大スキャンダルに発展した。この刑務所の不祥事が発覚した後、検事に取り調べられた看守の1人は、留置所のベッドの金具に手錠を引っ掛けて首を吊って自殺。もう1人は刑務所内のゴミ焼却場の煙突から飛び降り自殺したという。
この松山ホステス殺害事件をモデルに製作された映画に『kamome/カモメ』(DVD/監督・中村幻児/主演・清水ひとみ)
がある。
また、この事件からヒントを得て製作された映画に『顔』(DVD/監督・阪本順治/主演・藤山直美)
がある。
テレビドラマでは、福田和子の著書『涙の谷』(扶桑社/1999)
を原作に金曜エンタテイメント枠で『実録・福田和子』(脚本・神山由美子/福田和子役・大竹しのぶ/フジテレビ系/2002年8月2日)と題して放送された。
参考文献・・・
『週刊文春』(2000年1月4日・11日新年特大号−20世紀最終号)
『毎日新聞』(1997年7月29日付/1999年5月31日付/2003年11月20日付/2005年8月26日付/2010年4月27日付)関連書籍・・・
『福田和子 整形逃亡5459日』 / 『逃げる福田和子 極限生活15年の全真相』/ 『悪女の涙 福田和子の逃亡十五年』
/『福田和子はなぜ男を魅了するのか 「松山ホステス殺人事件」全軌跡』
1999年(平成11年)5月31日、松山地裁は無期懲役を言い渡したが、判決要旨は次の通り・・・
主文
被告人を無期懲役に処する。未決勾留日数600日を右刑に算入する。
理由
( 罪となるべき事実 )
被告人は、昭和57年8月19日、安岡厚子方を訪れ、安岡と話をしていた。被告人は、そのころ、家具などを手に入れる必要に導られていたところ、そのうち安岡が飲酒による酔いや眠気のため、激しく抵抗することが困難な状態に陥ったことから、咄嗟(とっさ)に、安岡を殺して、安岡方にある現金や家具などを奪い取ろうと考えた。そこで、被告人は、その考えを実現するため、午後2時過ぎころ、帯締めで安岡の首を絞めた。その結果、安岡は、まもなく外力性急性窒息により死亡した。それから、被告人は、現金10万円が入った札入れ、普通預金通帳2冊及び印鑑1個を奪い取った。さらに、被告人は、午後8時ころから午後10時過ぎころまでのの間だ、詳しい事情を知らない福田高俊及び藤原秀昭と一緒に、現金3万0020円、米国通貨4ドル1セント及び整理ダンスなど334点を奪い取った。
( 事実認定の補足説明 )
第一 主な争点
1 犯行の計画性
2 独盗殺人の故意
第二 犯行後の状況
一 認定事実
1 被告人の生活歴など
被告人は、昭和54年ころから、借金を重ねるようになった。また、Tは、昭和56年3月ころ、分譲住宅を購入し、毎月約7万円の住宅ローンを支払をしなければならなくなった。被告人は、同年6月中旬ころから、松山市にあるスナック「リド」でホステスとして働くようになり、同年12月末ころ、辞めたが、その後も煩雑にIなど「リド」で知り合った客と松山市で遊興した。
2 被告人とIとの交際状況
被告人は、Iと親密な交際をするようになり、Iに対し、良家の子女で、教養があり、婚期の遅れた独身女性であるかのように装っていた。Iは、昭和57年春ころ、被告人に対し、神戸店へ転勤する、かもしれない旨言うようになった。被告人は、Iが転勤した後も、松山市で会って交際を続けたいと思うようになった。
3 被告人とIとの関係
被告人は、昭和57年2月5日ころから同年4月2日ころまで、「英国享」でホステスとして働き、ホステスをしていた安岡と知り合った。
4 被告人が荷物を運ぶことを頼んだ状況など
Sは、昭和57年5月か6月ころ、被告人から「荷物ちょっと連んでもらう用事がある。洋服だけ運ぶから、乗用車で運べると思う。友達の女の人が男の人から逃げようとしているから、その手伝いをする。家具はまた後から頼むことがあるかもしれん。」といわれたが、その後、またひっついたみたいだから、あの話はもういい)。」と言われた。
Tは、昭和57年7月末か8月上句ころ、被告人から「悪いパトロンから逃げようとしている女友達がおるけん、逃げる際には家財道具の引っ越しなどを手伝ってほしい。」などとと言われたが、その後、被告人から「今はそれどころじやないなどと言って延びている。夜逃げする時には、彼女から電話があることになっているから、その時には願まい。」と言われた。
5 被告人の負債の状況など
被告人は、昭和57年1月以降、住宅ローンも含めて毎月10万円以上の返済を強いられるようになったが、利息だけを返済し、滞納はなかったので、支払いを催促されることはなかった。しかし、被告人は、自分名義で新たに借金をすることが困難になったので、知人やTS名義でサラ金会社からさらに借金した。この結果、被告人は、同年8月にはサラ金会社からの借金額が合計約200万円にもなり、借金しては利息を返済する状態で、経済的に迫いつめられた状態であった。
6 被告人が部屋を賃借貸した状況など
被告人は、昭和57年8月7日、寿ピルの604号室(以下「被告人方」という。)を借りた。
7 本件犯行直前の被告人とIとの交際状況
被告人は、昭和57年8月10日ころから、Iに対し、実家の自分の部屋にある家具などを送ってもらう旨言うようになり、その後、「いつ運ぼうかな。22、23日にしようかなあ。」「家が狭いから、全部は入らない。ダブルベッドなどはとても入らない。」「22日ころには、もうマンションに家具が入っている。」などと言ったりした。
8 本件犯行直前の被告人とその家族の状況など
9 安岡の死体の状況など
10 被告人と安岡との共同経営の話など
11 安岡が死亡する直前の状況など
被告人は、昭和57年8月19日、K宅を訪れたが、Kがいなかったので、予定を変えて安岡方を訪れた。被告人は、安岡と飲食しながら世間話をした。
12 安岡の死体を個包した状況など
13 被告人がT及びSに対し、引っ越しの手伝いを願んだ状況など
14 被告人が時間を稼ぐために上野に嘘を言った状況など
15 家具などを運び出した状況など
16 死体遺棄の状況
17 安岡名義の銀行口座から現金を引き出した状況など
18 被告人がIに対して説明した状況など
被告人は、昭和57年8月23日、Iに対し、被告人方にある家具などを自慢したが、Iが「ふーん。ええな。」と言うと、「あんた興味がないんじやね。」と言い、Iから家具などのことを誉められると、「ようけ持ってきたけど、ベッドなんかは入らんので持って帰ってもらった。」「10年位前に買ったのだけれども、大事に大事にしていたから新品同様だ。」などと言った。
19 逃走後の状況など
二 一の事実を認定した理由
1 Iの供述の信用性
2 Tの供述の情用性
3 Sの供述の信用性
4 被告人がK宅に行った点
第三 関係各証拠によって認められる犯行の客観的状況
一 安岡の死体の状況
1 外表検査
2 内景検査
3 特別検査
4 死因等
二 建物の状況など、
1 大西太ビル
2 安岡方(大西太し703号室)
3 寿ビル
4 被告人方(寿ピル604号)
第四 既に認定した事実などから推認できる犯行状況
一 被告人が安岡方に行ってから安岡を殺すまでの状況
1 被告人の供述の信用性
馬鹿にするような態度を取られたことに腹を立て、安岡を謝らせようとして果物ナイフを持ったところ、安岡と擦み合いになって、安岡に怪我を負わせた旨の被告人の供述は、信用できるが、その余のその経緯についての被告人の供述は、信用できない。
2 推認事実
安岡は、機嫌良く、被告人を安岡方に招き入れ、飲物や果物を提供し、1時間程度、飲酒しながら話をしていたのに、突然、態度を豹変させて、被告人を馬鹿にするような態度を取ったのは、安岡にとって、予想外の不愉快な出来事があったからであると推認できる。そして、後に説示するとおり、被告人が被告人方に家具などを備えける必要に追られていながら、そのころ他人名義で借金をせざるを得ないまでに経済的に追いつめられており、家具などを買うのが著しく困難な状況であったこと、被告人が当日Kに物を買ってもらうつもりで松山市まで来たこと、被告人が要旨「安岡と共同で店を経営するにあたっては、金銭面で安岡に頼ることを考えていた。安岡が「車代ぐらいやったら持ってお帰り。」などと言いながら、被告人の方に財布を放り投げた。」と供述していることなどを考え合わせると、被告人は安岡に対して、安岡に経済的に負担をかける何らかの話(ただし、被告人自身、資金関係の話は一切していない旨供述していることにかんがみれば、少なくとも共同経営に関するものではない。)を持ち出したところ、安岡が不愉快になって、被告人を馬鹿にするような態度を取ったことから、被告人は、これに腹を立てて、果物ナイフを手に取り、揉み合いとなって、安岡に怪我を負わせたものと推定できる。
二 被告人が安岡を殺した際の状況
1 被告人の供述の信用性
被告人の供述は、信用できない。
2 推定事実
安岡は、被告人によって前方から帯締めで首を絞められているが、生前に身体を強く緊縛されていたことはなく、その身長などからすれば、通常の状態であれぱ、激しく抵抗することが十分できたと考えられる。ところが、安岡の死体の状況などからすれば、安岡は、首を絞められる際、せいぜい首に手指を押し当てる程度の行動しかできなかったものと認められる。そこで、安岡が激しく抵抗することなく、前方から帯締めで首を絞められていることや、安岡が死亡した際に飲酒していたことなどを考え合わせれば、安岡は、酔いや眠気のため、激しく抵抗することが困難な状態に陥っていたものと推認できる。そして、被告人は、安岡がそのような状態に陥っていることを認識したうえで、これに乗じて安岡を絞殺したものと推認できる。
また、ソフアーの状況などからすれば、安岡はファーに座った状態で絞殺されたものと推認できる。
三 被告人が安岡を殺した目的及び家具などを運ぴ出した理由
1被告人の供述の信用性
被告人の公判廷での供述は信用できない。
被告人の警察官に対する供述のうち、安岡を殺した際に張った見栄のつじつまをあわせるために家具などを奪い取る意思があった旨供述する部分は、信用性が高いということができる。しかし、借金の返済を目的として、安岡から現金など奪った旨の被告人の供述は、信用できない。
2推定事実
被告人は、深い仲となったIの歓心を買うため、富裕な良家の子女で、教養があり、婚期の遅れた独身女性であるかのように振る舞っていたところ、神戸市への転勤が間近に迫っており、転勤後も交際を統けたいと思っていたIから出張で松山市を離れる旨聞かされたことから、Iの歓心を買い、その愛情を繁ぎ止めておくために、Iが出張している間に、母親が被告人方宛に家具などを送ってくれる旨言って見栄を張ったものと推認できる。ところが、今回は、これまでの抽象的な見栄と違って、具体的な日まで言ったので、その日までに被告人方に家具を備え付けることができないと、これまで付いた嘘が露見して、今後、Iと交際を統けることができなくなるおそれがあることから、被告人は、そのつじつまを合わせるために、Iが出張から帰り、被告人方を訪れるまでに、家具などを貿うなどして手に入れ、被告人方に備え付けておかなければならないと考えるようになったものと推認できる。しかし、被告人は、自分の経済状況では、家具などを買って、張った見栄のつじつまを合わせることは著しく困難な状況であったので、安岡が多額の現金や預貯金を持っていると思っており、また、安岡方で豪華な家具などを見たことから、張った見栄のつじつまを合わせるために、安岡を殺してでも安岡の財産を奪い取り、これを利用して被告人方に家具を備え付けたりしたうえ、Iに誇示しようと考え、これを実行したものと推認できる。
四 犯行の計画性
1 被告人が被告人方を借りた目的
被告人は、昭和57年8月7日、被告人方を借りているところ、検察官は、被告人が安岡から奪い取った家具を運び込む場所として借りた旨主張し、被告人はこれを否定する。そこで、Iの転勤が差し迫っていたこと、被告人とIの関係が冷えていたとは認められないこと、被告人がしきりにIの歓心を買おうとしていたこと、Iが被告人方を借りるのに深く関わっていたこと、Iが合い鍵を持っていたこと、被告人が多額の借金を抱えながら、水商売はしない旨言って被告人方を借りたこと、被告人が以前から松山市にあるマンションを借りたいと思っていたこと、被告人が本件犯行当日まで殆ど働かずに遊興に耽っていたことなどからすれぱ、被告人は、Iが転勤した後も、松山市で、Iと会ったり、遊興に耽ったりするための拠点を確保するために被告人方を借りたものと推認できる。
2 荷物を運ぶ手伝いを頼んだ点
被告人は、昭和57年7月19日以前に、S及びTに対し、荷物を運ぶ手伝いを頼んでいるところ、検察官は、安岡を殺したう、家具などを運ぴ出して奪い取る計画があったので、このような依頼をした旨主張する。しかし、被告人のS及びTは家具などを奪い取った本件犯行と関連があるとみることはできない。
3 犯行のだめの道具の準備
被告人が、凶器、死体を梱包するための道具及ぴ材料などを安岡方に持っていったことや、安岡方に行くまでにこれらのものを準備していたは認められない。また、被告人が安岡方に行くまでに軍手を準備していたとまでは認めらない。
4 死体遺棄の状況
被告人は、犯行前に具体的な遺葉場所を考えていなかったことがみとめられる。
5 結論
被告人が被告人方を借りたもの、Iと会ったりする拠点を確保するためであること、TやIに対する荷物を運ぶ依頼も、本件犯行とは何の関係もないこと、被告人が本件犯行のための道具の準備や死体遺棄の場所の検討をしていなかったこと、安岡が1人で在宅しているのを確かめたり、当初から安岡宅に行くつもりで松山市に行ったとはとは認められないこと、事前にTやSのその日の都合を聞いていないこと、Sが被告人から電話を受けたのが外出直前のことであり、レンタカー会社の営業終了時間の間際であったことなどからすれば、安岡を殺して家具などを奪い取る目的で、安岡方に行ったとまでは認められないのであって、検察側が主張するような本件犯行が綿密かつ周到な計画を立て、入念な準備を重ねて敢行された計画的なものであるとはいえない。
6 被告人が安岡方を訪れた目的
被告人は、安岡に対し、安岡に経済的に負担をかける何らかの話(ただし、共同経営に関するものではない。)をするため、安岡方に行ったものと推認できる。
五 被害品の価値
( 量刑の理由 )
第一 事案の慨要
第二 犯情
尊い命を奪った被告人の責任は重大である。そして、犯行の動機は、これまで見えを張りながら交際してきた愛人に対して、張った見栄のつじつまを合わせることにより、不倫関係を続けたいという、身勝手で自己中心的かつ短絡的なものであって、同情の余地はなく、自分の欲望を充たしたいがためだけに、尊い人命に対して一顧だにしなかった被告人には酌量の余地はない。
殺害態様は、被害者方で一緒に飲酒しながら話をしていた被害者が激しく抵抗することが困難な状態に陥ったのを見て、確定的な殺意を待って、帯締め窒息死させたというものであり、凶悪かつ残忍極まりないものである。さらに、被告人は、被害者が苦しんでいることを認識しながら、何のためらいもなく、力一杯首を絞め続けており、極めて冷酷である。
そして、被告人は、被害者を殺した後、厳重に梱包したうえ、人目につかない場所まで運び出し、さらに、山中まで運び込んで死体を埋めており、被害者の人間としての尊厳を著しく踏みにじっている。その結果、被害者は、発見された時には、父親が顔を見ても分からない程にまで腐敗し、生前美人で評判であった容姿は、見るも無惨な醜態に変わり果ててしまったのであり、余りにも酷たらしく、悲惨で、哀れなことこのうえない。特に、被告人は、ためらうことなく、自分の子供が乗っている車に死体を積み込んでおり、母親らしさ、人間らしさの片鱗もみられない。
また、被告人は、被害者を殺した後、現金などを奪い取り、さらに、長時間、被害者方付近に留まり、家具や貴金属類などを奪い取っており、大胆不敵である。そして、その被害総額が高額であることも、明らかである。それに被告人は、被害者の恋人に対し、家具などを運び出すのに必要な時間を計算したうえで、被害者が遠方の海氷浴場で待っている旨告げたりして時間を稼いでおり、巧妙かつ狡猾である。
さらに、被告人は、奪い取った家具などを被告人方に運び込むために、全く関係のない者を巻き込んでいる。特にTは、自首を勧めたにもかかわらず、結局、被告人と一緒になって死体を山中に遺棄することを余儀なくされたうえ、その旨生々しく実名で報道されたことから、一生拭い去れない極めて大きな傷を負わされた。また、被告人は、犯行の翌日、奪い取った預金通帳などを使って、筆跡などから本犯行が発覚しないように親族の女性に払戻手続をさせて、現金約76万円を引き出しており、狡猾かつ悪質であるうえ、ここでも全く関係のない者を巻き込んでいる。そこで、永年連れ添った妻や、親しく付き合っていた被告人から裏切られ、犯罪行為に巻き込まれた者の心情を考えると、被告人は、余りにも身勝手で、自己中心的かつ無思慮である。
第三 犯行後の情状
公訴時効制度の趣旨
6 時効完成間際に公訴を提起されたという事情自体は、被告人にとって有利な事情とはなり得ないのであって、特にこのような事情が、被告人が「逃げ隠れている」ために生じた本件においては、なおさらである。
7 なお、公訴の時効制度の存在理曲に、可罰性の減少という側面があるとすれば、その側面は、逃走するに至った事情、逃亡中の被告人の生活状況から窺われる反省の念、被害感情や処罰感情の変化などを総合的に考慮することによって生じるものというベきである。
二 被告人の逃亡状況
1 被告人は、昭和57年8月24日、TSやSからの電話で、警察官が訪ねてきたことなどを聞き、捜査の手が自分に及ぶのを恐れ、現金及ぴT名義の通帳などを持って、大阪市まで行き、同月25日朝、安岡名義の預金口座から引き出した現金を入金したT名義の預金口座から現金59万円を引き出した後、列車に乗り、全沢市まで行った。
2 被告人は、昭和57年8月25日、金沢市にあるスナックに採用され、翌日からホステスとして働くようになり、同月30日、整形手術を受けた。被告人は、昭和58年初めころから、UとUの実家で同棲するようになった。被告人は、昭和59年5月ころ、Uが勤務していた会社の事務員の健康保険証を無断で使用して、サラ金会社から借金をしたことが発覚したので、その後始末をUにさせた。被告人は、Uが右会社を退職して運送会社で働くことになったので、その寮で同棲するようになったが、約3か月後、その寮を出た。
3 被告人は、昭和58年11月終わりころ、Mと親しく交際するようになった。被告人は、昭和59年9月ころ、Uのもとを飛ぴ出し、金沢市でMから生活費を貫って暮らすようになり、その間、ホステスをしたりし、Mが離婚した後の昭和60年6月ころからは、M方で、内妻として菓子店を手伝って生活するようになった。被告人は、昭和61年9月ころ、今治市までEに会いに行き、Eを親戚の子であると偽って右葉子店で住み込みの店員として働かせるようになった。被告人は、昭和63年2月12日、近所の公民館にいたところ、捜査の手が間近に迫ったことを察知して、軽装のまま、自転車を盗んで知人方まで行き、知人から2万円を措りて逃走した。
4 被告人は、平成3年春ころ、京都市でEと会った。
5 被告人は、平成8年7月ころから、福井市にあるホテルを中心として逃亡生活を送るようになったが、懸賞金がかけられた同年8月ころからは、働きにくくなり、職を求めて大阪市や福井市にいたが、平成9年7月29日、福井市で逮捕された。
三 被告人が長期間逃亡した理由とその評価
2 被告人が少年代に警察官から厳しい取調べを受けたり、松山刑務所で強姦されたりしたことが任意に出頭しなかった大きな要因になっていたとは認められない。
3 被告人が子供らのことを考えたことが任意に出頭しなかった大きな要囚になっていたとは認められない。
6 被告人がやむに止まれす、長期間、逃亡したような事情は認められないから、被告人の逃亡は非難されることはあっても、有利な事情とはなり得ない。
四 被告人は、捜査の手がSに及んだことを知るや逃走し、逃走資金を引き出したうえ、金沢市まで逃走するとともに、整形手術を受けたりして、着々と逃亡生活の準備を整えていったのであり、この間、被告人が反省したり、悔悟したりした事情は認められない。
また、被告人は、逃亡中も好き勝手に享楽的、快楽的な生活を求めて行動していたものといえる。そして、このような被告人の逃亡中の生活状況にかんがみれば、被告人が逃亡中に真摯に反省していたとは認められない。
さらに、被告人が逃亡したために、TSやTの母親は、被告人の借金を支払うことを余儀なくされており、被告人は無責任である。
六 被害者は、当時31歳という若さであり、結婚生活や故郷で喫茶店を開くことを夢見て一所懸命働いていたところ、何の落ち度もないのに、理不尽にもその生命を奪れ、その夢を打ち壊されたのであう、その無念の情は察するに余りあり、痛ましいことこのうえない。
また、被害者は、両親などに対して深い愛情を持って、細やかな心使いをしていたところ、被害者の遣族が、突然、愛娘や姉の生命を奪われた衝撃、悲痛、怒りは察するに余りある。そして、遺族が厳罰を望んでおり、事件が発生してから長い時が経過した現在でも、遣族の処罰感情は、強まりこそすれ、決して弱まってはいない。
それにもかかわらず、被告人は、自分の肉親などに対し、電話をかけたり、手紙を書いたりしているのに、逃亡はもちろんのこと、逮捕された後も、遺族に対して、積極的に慰謝の措置を講じようとはしなかったのであるから、遺族が現在でも被告人に対して厳罰を求めていることも無理はない。
本件は、報道されて人々に衝撃を与え、近隣社会に与えた不安も大きい。また、本件は、時が経過しても全く風化することなく、かえって公訴時効の完成が迫るや、懸賞金がかけられたりして、再び社会の注目を大きく集めたものであり、社会に与えた影響は極めて大きい。
第5 他方、被害金品が仮還付あるいは領置されている限度で被害回復の見込みがあること、本件犯行が計画的犯行とまでは認められないこと、被告人の長期間たる逃亡を可能にした背景には、捜査機関の不手際があったことが否定できないこと、被告人の前科は本件犯行時においても5年以上前のものであること、被告人は、毎日朝晩の回向を欠かさずして、被害者の冥福を祈り、今後もこれを続けるとともに、できる限りの被害弁償をし、被害者の墓に参りたいなどと供述しており、反省の情も認められること、その他被告人の家族関係などの酌むべき事情もある。
第6 そこで、ごれらの諸事情を総合して考慮すれば、無期懲役を避択すべきものと考えるが、第二ないし第四で説示した諸事情にかんがみれば、被告人の刑事責任は極めて重いといえるのであって、さらに酌量減怪をすることは相当ではない。
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