川越の地誌(1)


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地 誌
「川越学事始め 〜郷土史の系譜を追う〜  川越市立博物館 1995年 ★★★
第二章 地誌の時代
 地誌とはある地域の全体を把握しようとするもので、地域の地名・位置・地形・気候・集落・交通・産物・風俗・習慣・伝承などについての記録である。日本において地誌編纂の気運が高まった時期は、過去に三回ほどあった。
 日本における最古の地誌は奈良時代に編纂された風土記である。和銅6年(713)中央政府は諸国に対して、郡内に生息する動植物・鉱物などの種類、土地の地味、山川原野の名称の由来、古老の伝承などを記録にまとめて提出することを命じた。この記録が風土記と呼ばれたのは中国に手本を求めていたためである。古代の中国では私撰の地誌を風土記と呼んでいた。この時代はわが国の統一的歴史書である古事記や日本書紀の編纂も進められており、風土記によって統治の対象である国土を明らかにしようとする意図があった。
 江戸時代になると地誌の編纂が再び活発に行われるようになった。公撰、私撰を問わず様々な地誌類が著された。この時代に多くの地誌が編纂されるようになったのにはいくつかの要因が考えられる。国内体制が安定してくると諸大名が自らの支配のために領地の資料を備えようとしたことや、交通の発達により名所、旧蹟の観光や社寺の参詣が盛んとなり名所記や案内記の需要が増大したためなどである。そして、江戸幕府においても地誌の編纂が開始され、文政7年(1810)に『新編武蔵風土記稿』が、また天保12年(1841)には『新編相模国風土記稿』が成立し、『御府内風土記』も作成された。
 明治政府は江戸時代の各藩分立を解消し、強力な中央集権体制を確立しようとしたため、成立当初から国史編纂事業と並んで地誌編纂事業にも取り組んだ。明治5年(1872)、政府は「皇国地誌」の編集を命じ、明治8年には編集内容と着手方法を定めた「皇国地誌編輯例則并着手方法」を全国に示した。その内容は、各府県ごとに地誌担当者を置き、村誌・郡誌を作らせて政府に提出するものであった。埼玉県では明治12年から18年にかけて郡誌17冊、郡村誌103冊が完成し、政府に提出した。しかし全国的にみれば各府県の地誌編集事業は進まず、やがて未完成のままこの事業は中断してしまう。そのため明治時代の官撰地誌として刊行されたものは、明治7年の『日本地誌提要』と明治19年の『大日本国誌 安房 第三巻』のみであった。
 このように日本の地誌は、江戸時代の地誌類に風土記という名称が多く使われたように、奈良時代の風土記の伝統を受け継いだものである。それが近代の「皇国地誌」や大正期の郡誌・県誌などにも引き継がれ、今日まで影響を及ぼしている。
 一、地誌の系譜
 二、江戸時代の川越地誌
 江戸時代の地誌は凡そ四つに類型化できる。第一は領国支配に役立つような儒学的色彩の濃厚な地誌、第二は日常生活に知識や利便性を与える案内型の地誌、第三は村明細帳的内容をもつ郷村単位の地誌、第四は体験記録型の紀行文である。これらのうちで、早くから発達したのは案内型の地誌である。案内型の地誌も当初は文芸的色彩が濃いものであったが、享保17年(1732)に『江戸砂子温故名跡志』が出てからは本来の地誌的・地理的傾向を強め、近世地誌の形式を確立するようになった。
 川越にあっても18世紀中頃から案内型地誌があらわれてくる。『川越索麺』(板倉良矩著 寛延2年〔1749〕)、『多濃武の雁』(太陽寺盛胤著 宝暦3年〔1753〕)、『川越地理略』(関修齢著 明和4年〔1767〕)、『川越年代記』(海寿著 天明元年〔1781〕)と続くが、そのほとんどは武士階層か僧侶の手になるものである。やがてこれらの地誌の集大成として、鍛冶町の名主中島孝昌によって『武蔵三芳野名勝図会』(享和元年〔1801〕)が著される。川越地方におけるこうした案内型地誌の変遷は、江戸地誌の変遷現象を小型化したようで興味深いと評されている。
 (一)板倉良矩と『川越索麺』
 板倉良矩が著した『川越索麺』は、江戸時代に書かれた川越の地誌としては最も成立年代が古く(寛延2年以前稿)、それ以後の地誌類に大きな影響を与えた。著者の板倉善左衛門良矩は川越藩主秋元凉朝の家臣であるが、禄高150石、大久保町(現新富町)に770坪の屋敷を構えていたこと以外不明である。
 書名は当時川越の名産だった「そうめん」に因んだものである。内容は川越の町々、神社、寺院、旧跡、伝説などが順序を定めず記述されている。当時の川越城下を垣間見ることができる貴重な地誌である。
 (二)太陽寺盛胤と『多濃武の雁』
 太陽寺盛胤の『多濃武の雁』は、『川越索麺』より四年後の宝暦3年(1753)に著された。太陽寺盛胤は『川越索麺』の板倉良矩と同様に秋元侯の家臣である。父の盛方は城内の西大手門付近に住み、藩の御用人役を勤めるなど上級の家臣であった。盛胤はその長男として生まれたが、何故か家督は四男の盛浮が継いでいる。
 書名の由来は古歌によったもので、内容は川越城や藩士に関することを含み、町の来歴や神社・寺院・古跡のことが項目仕立でで記述されており、かなり整った体裁になっている。
 (三)関修齢と『川越地理略』
 従来関修齢の著作と考えられていた『三芳野里名所旧蹟』は、その後半部の「川越地理略」だけが修齢のものと確認された。関修齢は通称を永一郎といい、松窓と号した。井上蘭台に学び、昌平校に入って後に林家の学頭にまでなったが、経歴は不明な点が多い。
 「川越地理略」の奥書には、「修齢川越に成長し、幼稚の時より見聞を経ることを記憶仕りたると、村方帳の私記とを参考し録する・・・明和丁亥冬(明和4年 1767)」とある。内容は川越城から書き始めて城下の大要を記している。
 (四)海寿と『川越年代記』
 天明元年(1781)頃とされる『川越年代記』は、一枚摺の地誌として版行された。内容は紙面を区切って記事を年代順に箇条書きしたもので、川越の移り変わりを要領よく理解できる。著者の海寿は高沢町(現元町二丁目)に住んでいた僧侶であるが、経歴など不明である。大正五年(1916)にこの書を刊行した安部立郎は、海寿の人物像を「当時の読書子にして又好事の人たりしを知る」と記している。
 (五)中島孝昌と『武蔵三芳野名勝図会』
 『武蔵三芳野名勝図会』は江戸時代の川越地方地誌の集大成といえる。著者の中島孝昌(1766〜1808)は幼名を徳三郎といい、後に与兵衛を名乗り、鍛冶町の名主を勤めた。若くして文雅の道に志し、俳諧、和歌、狂歌を能くするとともに、茶の湯・生け花・謡曲なども嗜んだ。学問は海保青陵や伊藤恒庵について学んだといわれる。
 『武蔵三芳野名勝図会』成立の事情は、孝昌の孫の与十郎(芳嶺)が著した『佐久良能仁保比』に次のような記述があるので参考のため引用する。(片仮名を平仮名に改めた)
 寛政中島孝昌君公私の余暇を以て川越の古跡名区を探られ三年後稿を脱し一部三巻三芳野名勝図会と名づく 挿入の絵画は当時川越の雅友四・五名の手に成る処 書は鍛冶町其の頃の町代青柳保太郎書を能くするを以て五部皆同人の書なり 一部を藩侯に献ず 若干金を賞揚せらる 一部を鎮守氷川社へ一部を三芳野天神へ納む 二部を家に蔵せしを後ち藩命を以て又上製の方一部を献ず
 (六)その他の地誌
『三芳野名所旧蹟』
 川越南町の斎藤久右衛門家に旧蔵されていたもので、『三芳野名勝図会』の草稿本という伝承がある。表紙は「川越記」と記されている。
『仙波川越由来見聞記』 大正6年写
 原本は寛政5年(1793)の著と推定される。喜多院の沿革・宝物などと川越のことなどが羅列的に記されている。
『三芳野砂子』(川越年代記後編) 天保10年写
 海寿著の『川越年代記』は天明元年(1781)頃一枚摺で版行されたが、その続編として『三芳野砂子』が存在したと伝えられている。この海寿著の『三芳野砂子』は今日残されていないが、『川越年代記』の写本の後半部に「後編三芳野砂子」が収められている。これは海寿のものとは別で、著者は不明である。
 三、明治時代以降の地誌
 江戸時代の川越地方では民間の手になる地誌が数多く存在したが、明治時代以降になるとその数は減少し、行政による地誌編纂が増えてくる。その契機となったものが、明治政府が推し進めた「皇国地誌」の編纂である。明治8年(1875)に「皇国地誌」の編集内容と着手方法が定められたが、それは各府県に村誌・郡誌の編集担当者を置き、数十項目にわたる調査を行って政府に提出するものであった。明治9年の『川越町地誌』はその過程で編纂されたものであろう。政府はこうして集めた村誌・郡誌と、これをもとに編集する州誌を総合して「皇国地誌」を作成する予定であったが、肝心の村誌・郡誌の提出状況は甚だ悪かった。そのため明治18年より内務省で直接編集することになり、再度地誌調査が実施された。明治19年の『古谷村地誌』や明治20年の『川越地誌』などはその調査に基づいて、連合戸長役場で編纂されたものである。
 大正時代になると天皇の即位記念や郡制廃止を契機として、県郡史誌の刊行が全国的に盛んになってくる。大正元年(1912)の『入間郡誌』(安部立郎編)や『埼玉県誌』(埼玉県編)にみられるように、その編纂は個人や行政を巻き込んで行われた。

 『川越町地誌』  新井政毅編纂 明治9年1月1日調
 表紙に「明治九年一月一日調 地誌 第一大区一小区武蔵国入間郡河越町 新井政毅編纂」とある。明治政府は「皇国地誌」編纂のために、明治9年(1876)1月1日現在をもって町村の現況を調査し提出することを命じた。川越町ではこの命令を受けて、新井政毅がこの『地誌』を編纂し県に提出したものと考えられる。
 『川越地誌』  明治20年7月調
 表紙には「川越地誌」とあり、内容は「川越町地誌」「松郷村誌」「寺井村誌」「東明寺村誌」「小久保村誌」「脇田村誌」などで構成されている。川越町以下の6町村は明治5年(1872)の大区小区制の時に第一大区第一小区を構成し、明治17年の連合戸長役場制のもとでは川越町連合戸長役場の管轄下にあった。この『川越地誌』は写で伝わっているが、本来は明治18年以降の地誌再調査の際に、川越町連合戸長役場で編纂されたものであろう。
 『古谷村地誌』  明治19年
 内務省の地誌再調査の際、その基準ともなるべき「誌料標準」が示された。この『古谷村地誌』は、「誌料標準」にもとづいて記載項目別に印刷された罫紙にまとめられている。表紙は「古谷村地誌」となっているが、内容は古谷上村・古谷本郷・小中居村・大中居村・高島村・八ツ島村の地誌で構成されている。古谷上村以下6か村は明治17年(1884)に古谷上村連合戸長役場を編成しているため、この地誌が連合戸長役場で編纂されたことがわかる。
 『三芳野名勝図会 続編』  戸泉近長・増田吉親編
 前半は増田吉親による「川越城之記」、後半は戸泉近長の「増補参考 三芳野名勝図会続編」から構成されている。後半部には関修齢の「川越地理略」の引用もある。近長は、喜多町で材木などを商っていた竹川屋戸泉家三代目として、慶応2年(1866)11月3日に生まれている。経歴など不明であるが、『三芳野名勝図会』の写本(戸泉本)を所蔵していたことが、続編作成の契機になったと考えられる。
 『埼玉県地理案内』  福田利右衛門編 明治38年
 埼玉県下の商工業者の取引、交通の案内のために編集されたもので、埼玉県の地誌・沿革、各町の神社仏閣の由緒、旧跡などを記している。
 『入間郡誌』  安部立郎編 大正元年
 安部立郎により編纂された入間郡内の地誌。川越町には一章を立て、比較的多くの分量を当てている。その他の町村も現状・沿革、各大字、寺社名勝旧跡などを簡潔に記述している。
 『埼玉県誌』  上・下2巻 大正元年
 大正元年(1912)の陸軍大演習にあたり、大正天皇が埼玉県に行幸した際献呈されたものである。埼玉県の地理と歴史の概要を載せている。
 『川越市沿革史概要』  川越市役所編 昭和7年
 昭和2年に始められた市史編纂の委員である岸伝平氏がまとめた川越市沿革の大要。序言を川越市長早川金十郎、跋を川越図書館長辻尚邨が記している。
 『市制十年誌』  川越市役所刊 昭和7年  
 四、現代の地誌
 川越の地域を扱った郷土史誌関係の出版は、現代においても盛んに行われている。その編纂の経緯は様々であるが、川越市制30周年とか町村制施行百周年などの記念事業を契機としているものが多い。昭和63年頃から市内の自治会や公民館を中心として始められた町村制施行百周年の記念事業は、各地区で様々な地誌を生み出した。この機会に地域の歴史をもう一度振り返り、更なる郷土意識の高揚と地域づくりにむけて前身しようとする熱意が、自らの手による地誌編纂となったのであろう。新たな前進には郷土に対する再認識が求められるのである。
 こうした地誌編纂運動は、自分たちの住む土地についての歴史、社会、風俗、伝承などを一つ一つ整理していくことであり、郷土に対する認識の第一歩である。いつの時代でも地誌が生み出されてくる必然性がそこにある。このことがそのまま郷土史研究に結び付くとは限らないが、現代の歴史学やその他の諸科学が接触すれば、郷土史研究へ発展していく可能性を十分秘めているものである。

 『史実 江戸の母川越』   飯島謙輔著 昭和24年
 『川越市制30年誌』   川越市制30周年祝賀委員会編 川越市発行 昭和27年
 『川越の地誌』   岸伝平著 川越市発行 昭和27年
 『やさしい川越の歴史』   大護八郎著 昭和28年
 『仙波の郷土史』   岸伝平著 川越市教育委員会刊 昭和30年
 『大東の歴史』   大護八郎著 大東中学校発行 昭和31年
 『高階村史』   大護八郎著 高階村史刊行会刊 昭和33年
 『霞ヶ関の歴史』   霞ヶ関郷土会編 昭和37年
 『郷土資料の研究 山田の地誌』   川越市立山田小学校編 昭和39年
 『六軒町之今昔 上』   岡田勇二郎著 川越市六軒町公民館刊 昭和43年
 『霞ヶ関の歴史 第二集』   霞ヶ関郷土史研究会編 昭和45年
 『芳野村郷土史稿』   大野貞著 川越市総務部市史編纂室編 昭和46年
 『中台郷土史』   小島與七著 中台郷土史刊行会刊 昭和50年
 『川越市今福の沿革史』   新井博著 川越市今福菅原神社氏子会刊 昭和50年
 『名細郷土誌』   川越市立名細小学校編 昭和50年
 『鯨井史』   鯨井史編纂委員会編 川越市鯨井自治会刊 昭和58年
 『川越市菅原町誌』   菅原町誌編さん委員編 川越市菅原町自治会刊 昭和60年
 『語り継ぐ町内史1チンチン電車』   三久保町町内史編集委員会編 川越市三久保町自治会刊 昭和63年
 『南古谷の歴史』   南古谷の歴史編集委員会編集・発行 昭和63年
 『高階の年中行事』   高階歳時記編集委員会編集・発行 平成元年
 『南古谷の歴史民俗編』   南古谷の歴史民俗編編集委員会編 川越市南古谷公民館刊 平成元年
 『霞ヶ関の史誌』   霞ヶ関の史誌編集委員会編 霞ヶ関郷土史研究会刊 平成2年
 『高階の歴史』   高階の歴史編集委員会編 高階の歴史刊行会 平成2年
 『くぼまち』   「くぼまち」編集委員会編 川越市久保町自治会刊 平成3年
 『ふるさとの芳野 その歩み』   記念誌「ふるさと芳野」編集委員会編 芳野誕生100周年記念事業実行委員会刊 平成3年
 『古谷村誕生 100周年記念誌』   100周年記念事業実行委員会編 川越市古谷地区自治会刊 平成3年
 『高階のむかし話』   高階のむかし話編集委員会編 川越市高階公民館刊 平成3年
 『ふくはら』   福原百周年記念誌編集委員会編 福原百周年記念誌編集委員会刊 平成5年
 『大東百年のあゆみ』   大東百年祭実行委員会記念誌部会編 大東百年記念祭実行委員会刊 平成5年

「川越の地誌」 岸伝平 川越市 1952年 ★★★
  −目 次−
一、川越の地勢
二、川越の沿革
 上古時代
 文献による三芳野の里
 河肥の庄と河越氏
 上戸の陣
 川越の名称
 川越築城と上杉持朝
 江戸時代の川越城主
 城址の現状
三、川越の町制時代の区名
四、川越市町名の起立
本町/南町/喜多町/高澤町/江戸町/多賀町/鍛冶町/志義町/上松江町/志多町/宮下町/宮元町/神明町/石原町/相生町/厩下町/橘町/鷹部屋町/境町/六軒町/中原町/蓮雀町/猪鼻町/松江町/久保町/三久保町/郭町/杉下町/小仙波町/西小仙波町/通町/新田町/脇田町/新宿町/喜志町/菅原町/仙波町/野田町/小室町/小ケ谷町/今成町
五、川越市地籍名一覧

「埼玉史談 第50巻第4号」 埼玉郷土文化会 2003年1月号 ★★
 『川越索麪』から『多濃武の雁』へ  山野清二郎

「川越閑話 川越叢書第1巻 岸伝平 国書刊行会 1982年 ★★★
 竹隣居史談/「三芳野名勝図会」と中島孝昌

「川越歴史随筆」 岡村一郎 川越地方史研究会 1981年 ★★★
 8.「川越素麺」の著者板倉良矩について
 9.南葵文庫「三芳野里名所旧蹟」について
 10.関修齢の「川越地理略」

「校注武蔵三芳野名勝図会」 校注/山野清二郎 川越市立図書館 1994年 ★★★
  −目 次−
 解 題
一 本書の底本
二 図会出現の背景
三 図会の先行と独創
四 著 者
五 本書内容の価値
六 写本とその系統
七 付 言
八 凡 例
 
三芳野名勝図会の序

 目録上之巻
河越之文字并名之事/山田庄/三芳野里/田面の雁之画/河越御城濫觴之事/城主上杉六世合戦之事/城代太田道真 同道灌之事/上杉朝定北条氏綱合戦之事/難波田弾正山中主膳歌贈答之事/同画/北条氏康両上杉合戦之事/附夜軍之説之事/河越御城歴代年数之事/河越連歌千句之事/同画/三芳野天神縁起宝物摂社/同八幡宮縁記(起)末社稲荷高松院之事/氷川社摂社/太田道灌和歌之事/同画/祭礼之事/同画二枚

 中之巻
河越市/本町/札之十字街/薬師堂之旧地/稲荷祠/加茂下氏/夢想連歌/榎本氏/改/裏宿/鏡稲荷/古墳稲荷/大河内氏之第/宮ノ下/徂徠遇(寓)居之地/蔵町/いけす屋敷/御樹木/丸馬場/代官町/鍋屋第/喜多町/広済寺/シヤブキ婆々/坂上町/坂下/唯心庵/同画/志多町/長松院跡/東明寺/同画/枯木庵/東明寺橋/五箇村/神明宮/真行寺/土橋/田谷/高沢街/大蓮寺/爺榎婆榎/見立寺/水村氏/井上氏/六丘稲荷/鳥銃場/高沢橋/赤間川/同画/辷り淵/石原町/観音寺/偏木獅子/同画/袋町/教法院/水車/本応寺/読経祖師/愛岩(宕)祠/雀森八幡之旧地/江戸町/次原氏/裏店之事/大部屋/多賀町/孝子清七/常蓮寺/同画/時鳴鐘/鐘撞屋舗/同心町/南街/養寿院/同画/古鐘古墳/千寿院/養寿院門前/識法院/孝子西村氏/長喜院/行伝寺/枝垂桜/行伝寺門前/墨池庵/鍛冶町/金山社/法善寺/奴墓/志義町/烏山稲荷/同画/瑞巌庵/孝子善助/御花畠/庚申塚/妙養寺/七面社/妙養寺門前/六軒町/久太郎狐/六軒町新建/境町/妙昌寺/弁財天社/冨士眺望

 下之巻
十念寺/笠森稲荷/五反屋敷/六反屋舗/御鷹部屋/御茶屋跡/杉原町/栄林寺/秋葉社/御厩下/三ツ家/上松江町/松江市/同画/中松郷/大河内氏元服之地/下松郷/北久保町/南久保町/竪久保町/清水町/清水の井/西雲寺之旧地/鉄砲町/猪鼻町/猪鼻氏/蓮馨寺/同画/地蔵尊/十夜講/五智堂/熊野社/秋葉社/坊舎/蓮馨寺門前/窪/稲荷祠/笹の菴/鉦打町/本阿弥稲荷/庚申塔/大工町/中原/古長家/新長家/六軒町/瀬尾町/新田町/横新田町/黒門町/梵心山/民部稲荷/西町/大榎稲荷/西雲寺/新家/松井第/焔硝蔵/通町/八幡町/万蔵寺/赤座/八幡新田/壱番町/弐番町/同八幡宮/三番町/比丘尼畑/新三番町/大仙波新田/妙善寺/菅神社/烏頭坂/冨士浅間社/愛宕社/同飛泉/仙波喜多院/同画/御霊屋/御本地薬師堂/随身門/大師堂/慈眼堂/古碑/楼門/三位稲荷/古鐘/中門/多宝塔/日吉山王社/白山祠/焔魔堂/坊舎/明星の井/明星杉/南院/放光堂/晴天祠/中院/釈迦堂/常念仏/百躰観音堂/弁財天祠/同画/老杉/冷泉/夷石大黒石/芭蕉翁句碑/雀河原/狼山/氷川祠/榎稲荷/小仙波/愛宕祠/不動堂/琵琶橋/牛来橋/窪町/浮島稲荷/夜奈川/尾崎岱/観音橋/隠居田/鳥井田/見通松/伊佐沼/同画/薬師堂/武蔵野/迯水/掘兼の井/同碑/同画/同浅間社/慈雲庵/河越産物

「埼玉叢書 第二」 埼玉懸史編纂事務所 柴田常惠・稲村坦元編 三明社 1929年 ★★
多濃武の雁

「風土記埼玉 92市町村の素顔」 埼玉地理学会編 さきたま出版会 1977年 ★★
秩父という歴史的風土をもつ埼玉とは何か、武蔵野としての埼玉とは何か、そして首都圏としての埼玉とは何か―――等々、埼玉という地域社会を見つめ、その風土的個性を浮きぼりにしていく教養書。歴史、地理、社会経済、自然科学、文化など様々な分野から興味深いテーマをとりあげて行く。
■入間地方
川越市
 伝統色豊かな旧市街/文化財の宝庫/交通の移り変わり/郊外の都市化

「埼玉の日本一風土記」 関根久夫 幹書房 2010年 ★★
第三章 埼玉の郷土の歴史・文化、日本一
13 日本一の「小江戸」川越
◆全国最初の小江戸
◆全国唯一の江戸城の建物遺構
◆川越の「日本三大
 ★日本三大蔵の街
 ★日本三大夜戦
 ★日本三大東照宮
◆小江戸・川越を歩く
コラム 川越は、いもの町

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作成:川越原人  更新:2010/11/14