★ クミコ徒然草 ★

 クミコ徒然草 第3回 「静かなる反戦歌 三題」 2005/7/15、8/6
   − 「一本の鉛筆」、「わたしが一番きれいだったとき」、「黒い雨」(古謝美佐子)
 声高に反戦を叫ぶ唄ではないが、聴いているとジワッと反戦の思いが伝わってる唄たちをご紹介したい。
 寺島尚彦作詞・作曲になる名曲「さとうきび畑」もまさに<静かなる反戦歌>だと思うが、すでに
 アルバム『MACHI』と『愛しかないとき』に収録されているので、ここでは省略する。

  1「一本の鉛筆」  2「わたしが一番きれいだったとき」  3「黒い雨」(古謝美佐子)

3 「黒い雨」

 初め「黒い雨」というタイトルから井伏鱒二の小説を連想して、原爆投下後に降った「黒い雨」か
 と思ったが違った。作者に尋ねたところ、空から降ってくる弾丸の雨やチェルノブイリ原発事故の
 死の灰などを複合的に表しているとのことだった。
 「狙った獲物ははずしゃせぬ 逃げても逃げても追ってくる」のだ。
 詞もこぶしがこまかくきいた曲も並の歌手では唄えない唄だ。それだけに、レパートリーにはまだ
 ないが、ぜひクミコさんにも唄ってもらってCDに収録してもらいたい1曲だ。

  雨が降る降る どんと降る
  お空はまっ暗 鉛色
  どこから降るのか わかりゃせぬ
  ホーイ ホーイ ホーイ ホー
  ホーイ ホーイ ホーイ ホー

  雨が降る降る しゃんと降る
  母さん痛いよ 冷たいよ
  さあさ お家に入りゃんせ
  ホーイ ホーイ ホーイ ホー
  ホーイ ホーイ ホーイ ホー

 で始まる童謡のようなスタイルを取っている。
 オリジナルは江州音頭(ごうしゅうおんど)の初代桜川唯丸が渋い独特の声で唄い上げ、1991年
 に発売されたアルバム『ウランバン ULLAMBANA』に収録。hi-posi(ハイポジ/もりばやしみほ
 と近藤研二)という若手も取り上げたことがあり(アルバム『カバのオムツ』収録 1994)、ユ
 ニークな唄い方だがこの唄にはふさわしくないように思う。
 <追記>『ウランバン ULLAMBANA』は廃盤になっていたが、リマスタリング盤とライヴ6曲+新
     録音の2枚組が2006年10月に発売された。
 ウランバン   カバのオムツ   黒い雨
 
 これを作詞・作曲した佐原一哉は日本の伝統的大衆音楽と関り、河内音頭・河内家菊水丸、初代
 桜川唯丸をプロデュースしたり、ユニゾンの唄声が美しい沖縄の唄者4人組・初代「ネーネーズ」
 の結成に関わって、以後、6枚のアルバムをサウンドプロデュース(1990〜1995)した。

 この初代「ネーネーズ」のリード・ボーカルをつとめ、後に独立し、作者佐原一哉と再婚した古謝
 美佐子(こじゃみさこ)が2003年からソロの唄会では必ず唄うようになっている。
 ライヴ会場での先行販売の後、シングル盤「黒い雨」が2005年7月に一般発売されたばかりだ。
 沖縄の米軍基地のそばに住み続けている古謝さんが唄うと、平和への思いがひしひしと伝わってくる。
 ちなみに彼女はクミコさんと同じ1954年生まれ。

 古謝美佐子さんのこの唄に寄せる想い−
 「私はニホンゴのウタが苦手でした。いや今でもそうです。そんな私が自分から初めて、ニホンゴ
 のウタを歌いたい、と思った曲が「黒い雨」です。苦手でも唄いたいと想ったのは、子供達の未来
 が戦争の無い星であって欲しい、という願い。そして我々の世代が今のうちに過去の悲惨な体験を
 語り伝え、今の沖縄の現状を少しでも理解して欲しい、という想い、があったからです。このウタ
 にはそんな二つの願いと想いが詰まっています。」

 「黒い雨」の歌詞

 古謝美佐子公式サイト
 古謝美佐子インタビュー〜歌で子供たちの心に平和の気持ちを宿らせたい(3ページあり)

 余談だが、作詞:古謝美佐子、作曲:佐原一哉のコンビで、天の子守唄「童神」(わらびがみ)、
 亡き人を偲ぶ「天架きる橋」(あまかきるはし)の名曲もある。(いずれもアルバム『天架きる橋』
 収録)「童神」はメロディの美しい素敵な子守唄で、NHK朝の連続テレビ小説「ちゅらさん」の挿入
 歌としても使われたので、ご存知の方もおられるだろう。ウチナーグチ(沖縄方言)とヤマトグチ
 (日本語)バージョンがあり、山本潤子、加藤登紀子、普天間かおり、おおたか静流や若い夏川りみ、
 花*花、しゃかり、彩風(あやかじ)もカバーしている。近々、birdがアナログ限定盤を出すとの
 ニュースもある。カバーが多い中で、クミコさんが唄ったらどうか、と思うとそれも楽しみだ。その
 場合は、土屋玲子さんの胡弓を入れて欲しい。


  1「一本の鉛筆」  2「わたしが一番きれいだったとき」  3「黒い雨」(古謝美佐子)


クミコ音楽酔星

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