グルメ漫画ではわからない料理人の仕事グルメブームのきっかけとなった某グルメ漫画のヒット以来、多くのグルメ漫画が流行し、料理本も増えました。
その影響か、一般家庭でもプロ並の調理法で作る人が増え、街のスーパーでもプロと同じ食材が手に入るようになり、専門店レベルの料理を作れる主婦の人も多くいます。
料理好きの芸能人なんかでも、テレビの中でその腕前を披露して、周りも、「この人の料理の腕はプロ級」などと言って褒めそやし、ファンもそう思いこんだりします。そうした人々の中には、自分自身でもの腕はプロ並だと思ったり、自分が店を開けばきっと大繁盛すると思ったりする人も結構いるようです。
しかし実際に、そういった人がお店を開いて、本当に成功するでしょうか…?
●味覚や知識だけでは料理人にはなれない
グルメ漫画などを読んでいると、主人公は大抵鋭敏な味覚の持ち主で、その味覚を活かして様々な料理を作り出します。
また、食に関する知識が豊富で、マニアックな食材を使ったり、こだわりの調理法や、斬新なアイディアで美味しい料理を作り上げる、みたいな展開がよく見受けられます。
グルメ漫画では、そうした味の違いを見抜く味覚や、細かい料理法がやたらとクローズアップされて、常人には嗅ぎ分けられない臭いに気付いたり、味の違いを分析し、マニアな調理法を知っていることが優れた料理人の証しであるくらいのいきおいで物語が展開されることが非常に多いように思います。確かに、味覚や知識は料理人にとって非常に重要なものです。
だがしかし!
実際の調理場では、それ以前に必要な多くの技術があり、その方がウェイトが高いのが現実です。
大昔のように、調理技術がシェフの秘中の秘としてブラックスボックスだった時代ならともかく、三ツ星レストランのレシピですらインターネットでも本屋でも簡単に手に入る今日においては、ぶっちゃけた話、単に「一品の料理の作り方」だけなら、本を見ながら家で作っても、店で作っても、物理的に大きな違いはありません。
では、どこに違いがあるのか?というと、もちろん経営スキルのことがあります。
ただ、経営の話になると料理のスキルとポイントが別なので、それはひとまずおいといて、「料理を作る」という作業面だけで見ても、プロとアマチュアでは求められる技術が根本的に違うのです。●複数のオーダーをさばく技術
それがどんな技術かを簡単に言うと、まず挙げられるのが、「数多くの料理を、同時に、素早く、均一に作る」という技術です。
みなさんが良く行くレストランを思い出してください。どれだけの客席があって、昼時や夕食時には、どれくらいのお客さんが入って、そしてそれを何人くらいのコックがさばいているか…?それこそ昼時となれば、一気にお客さんがやってきます。
10席なら最大10人、20席なら20人と、それだけの人数分の料理を同時に作らなければなりません。
それに、一人一品とは限りません。一人で何品も頼むお客さんだっているでしょう。そうすれば、それだけ作る料理の数も増えます。
その上、ディナーレストランのコースとなれば、それぞれのお客さんごとの食事の進行具合に合わせて、タイミングを図りながら料理を作って出さなければなりません。
こうした、メニューもタイミングも違う複数のお客さんの料理を並行して作る技術というのは、ただ一皿の料理を美味しく作る技術とは全く違って、相応の訓練を積まなければ、そうやすやすと身に付くものではありません。ピーク時の厨房とは本当に目が回るほど忙しいもので、一瞬も手を休めることなく様々な料理を作り続けます。
またそれも、一品一品順番に作っていくのなら難しくはありませんが、それではとても追いつかないので、何品もの料理を同時に並行して作らなければならないのです。
そのためには、矢継ぎ早に入ってくる注文を瞬時に記憶し、どの料理をどの順番で、どういった進め方で作れば効率よく作れるかを、猛スピードで頭の中で整理して組み立てながら、料理を作って行くのです。いちいちオーダーを確認しながらやっていたのでは到底間に合いません。つまり、どんなに優れた味覚を持っていても、記憶力が悪かったり頭の回転が悪ければ、結局お客さんのもとに美味しい出来たての料理を出すことは出来ない、ということです。
極端な言い方をすると、むしろ人並の味覚を持ち合わせてさえいれば、抜群の記憶力と頭の回転力と運動神経があるコックの方が、味覚が鋭いだけのコックより、良い状態で料理が出せるということです。また、厨房の仕事というのは料理だけでなく、まず仕込みがあり、そして洗い物や掃除、機器類の手入れといったサイドワークが、料理を作る作業以上に山ほどあります。しかもそうした作業は、営業の合間合間を縫って進めなくてはならないので、その組み立やスピードにも相当な技術と熟練が必要なのです。
なぜそんな大変な思いをして料理を作らなければならないのか?というと、それは当然、そうした作業の全ての人件費が価格に直結するからです。
当たり前ですが、レストランは商売です。だから。代金を頂戴します。
となると、お客さんにとっては、同じ品質なら、安いに越したことはありません。
そこで、どれだけ安い値段で提供できるかは、人件費をどれだけ低く抑えられるかに直結しています。
だから、出来る限り価格を下げてお客さんを増やすためにも、可能な限り少人数で営業を「さばく」技術を身に付ける必要があるのです。この技術を身に付けるには訓練が必要です。
どんな料理人でも、最初から素晴らしい料理の組み立てや動きが出来るわけでなく、訓練し、修行を積む中で少しずつその腕を磨いていきます。
どんなに頭が良くても、無限とも言える料理のパターンのからみを頭で考えてから動くのでは到底スピードが足りず、そういったものは、長い経験の中で、美味しい料理を素早く提供するための最適な優先順位や動きを体で覚え、もはやオーダーを聞いたら考えずとも反射的に最適な順番で動けるよう、体でマスターしていくものなのです。そういったことこそ、「職業」としての料理人に最も必要な技術であり、修業で身に付けるのは、味覚的なものよりも、むしろそうした部分の方が大きいでしょう。
だから、コックの修業で挫折する人は、どちらかというと味覚とか料理のセンスのなさに気付いて挫折する人より、忙しさについていけずに挫折する人の方が圧倒的に多いと思います。
●仕入れ
そしてもう一つ、これは経営にかかわることですが、雇い店長などに簡単に任せることのできないコックの領域として重要なのが、仕入れとメニュー作成です。
仕入れは一つの重要なスキルです。
質的な目利きができることはもちろんですが、それと同じくらい重要なのは、いかに安く・良いものを仕入れられるかです。言うまでもなく、食材原価はメニューの価格に直結するからです。これはもう、経験と商才がものをいうでしょう。
どんなに食材の知識が豊富でも、それを妥当な値段で仕入れられるかは別問題です。
食材そのものの価格はもちろんのこと、誰が、どうやって運ぶのか?ということも考えなければなりません。
輸送コストは実質的に材料費と同じですから、どの地域に、どんな生産者がいて、どんな物流業者がいるかなど、知識や顔の広さも重要になりますし、価格交渉になると、それはもう人間関係や話術、駆け引きといった商才が必要になります。●メニュー構成
そうして仕入れた食材から、メニューが生み出されますが、そのメニューも、どのようなメニュー構成にするかによって、仕入れた食材を有効に使えるかどうかとか、複数の料理を並行して良い状態で作れるかなど、様々な要素がかかわってきます。
メニューというのは、単に、自分の得意料理を羅列したり、お客さんが食べたい料理を闇雲に並べて、それに必要な食材を仕入れる、というだけでは、間違いなく失敗します。
複雑なメニューにすれば、調理作業はもちろん、食材を管理したり仕込みをするのも大変で、それだけ人件費が増えるし、その料理の注文がなければ、それだけ材料のロスになり、それらは全てメニュー価格に響きます。
注文が入ったら入ったで、料理の種類が多ければ多いほど、作る作業も煩雑になり、素早く良い状態で提供する難易度が高まります。出来る限り安く仕入れながら、かつ味は良くて、余りをださず、可能な限り少ない人員で、忙しくても調理が遅れたりしない料理で、それでいてお客さんに飽きさせないメニュー構成で、納得していただける手頃な値付けをしながら、自分の給料が残る…というメニューを書くのは、本当に難しいのです。
ある有名な老舗の洋食店ですが、「ハヤシライスが人気になって困った」という話があります。
というのも、そのお店では、ビーフシチューやステーキのために上質な牛肉をブロックで仕入れていて、肉をカットした時に出る端肉やくず肉を使ってハヤシライスを作っていました。
余り食材を活用して作った料理だから、ランチのお値打ちメニューとしてサービス価格で出していたところ、それが人気になってしまい、ステーキやビーフシチューの注文はないのにハヤシライスばかり出るもんだから、これじゃ勘定が合わないよ…!
…という話です。
美味しいハヤシライスを作る技術を持っていても、それを採算に合う形でメニューに出来るか、というのは別問題ということです。金に糸目をつけずこだわりの食材を仕入れて、ただ美味い物を作ればいい、というのでは、全くもって商売にはなりません。
少々値段が高くても、美味しければお客さんがやってきた高度成長期には、飲食店主導で好きなようにやれた時代もありましたが、今となっては、無口で無愛想な職人気質のコック…というのでは、お客さんへの対応以前に、仕入れ業者との交渉時点で失敗してしまい、店自体がオープン出来ないかも知れません。こうした、仕入れやメニュー構成によって、いかに材料費や人件費を抑えられるかは、メニューの売価にそのままはねかえります。
だから、1円でも安く仕入れて、1円でも安い売価にしよう、というのも、味の良し悪しを競うくらい、どこの店もシビアに競い合っているのです。
味の割には値段が高い店、というのは、決してぼったくっているのではなく、仕入れとメニュー組みのスキルが低いからそうなってしまっているのかもしれません。また、「雑誌やテレビに取り上げられて人気店になったとたんに味が落ちた」という話はよくありますが、漫画や素人のブログなんかでは、たいていその理由を「マスコミに取り上げられて天狗になって仕事が雑になってる」なんて書かれ方をしますが、業界側からすると、マスコミに取り上げられたくらいで天狗になるコック滅多にいないと思います。
これは単に、いきなり忙しくなったもんだから、自分の調理のキャパを越えてしまって調理の品質がバラけてるだけだと思います。または、それまでも何倍も何十倍も仕込みと調理をしなければならなくなったため、それに対応するために止むを得ず調理方法を変えたり、作る量が変わってしまったため味の調整がうまくいかなくってしまってるだけだと思います。
それをコックの「実力不足」と言われるならわかりますが、決して天狗になって手を抜いてるわけじゃないと思います。
人気店になったとたんに威張りだして無愛想になったとかいうのも、ほとんどないと思います。
これも単に、忙し過ぎて愛想なんて振りまいてる場合じゃなくなってるだけだと思います。●プロフェッショナルな料理人とは
そんなわけで、生活や趣味で料理を作るというのは、結局は自分のペースで料理を作ればよいので、それでいくら美味しい料理を作れたとしても、それでプロとして、すなわち仕事として通用することとは、わけが違うのです。店を、店として、営業として、商売として成り立たせるのは、そう簡単な事ではないのです。
近所の、「大して旨くねえや」、と思っている中華料理屋のオヤジに、「どれだけ時間とお金を使ってもいいから、とにかく旨いもんを作ってくれ!」と言えば、同じ店のオヤジが作ったとは思えないくらい旨い料理を作れるかもしれません。そのオヤジは、料理の知識や味覚が備わっていなかったわけではなく、「たくさんの注文を同時にさばく」「経営する」技術が至らないために、“お店として”は、美味しい料理が出せないだけなのかもしれないのです。
自分が家で中華料理を作って、「この味なら、俺が中華料理屋をやっても、あの店には勝てる」と思っていても、いざ実際に店を開いてみれば、オーダーをさばききれず、本人の意に反して、茹で過ぎのラーメンや、焦げた野菜炒めを出すことになるかもしれません。
それで、多くのお客さんを一度に相手に出来ないからと客席数を少なくすれば、料理を作りやすくはなるでしょう。でも、対応できる客数を減らせばそれだけ売上も少なくなるし、食材をまとめ買いできずコストが上がったりして、経営が成り立たなくなるかも知れません。グルメ漫画などでは、食材にこだわったり、調理方法に奇想天外な工夫をすることで素晴らしい料理が生み出され、イコール優れた料理人みたいな部分ばかりが誇張されていますが、実際の調理場というのは、当たり前の料理を、当たり前に作り、当たり前のように提供し続けるという、ただそれだけのことに対しても、並々ならぬ努力を重ねているのです。そして、それを乗り越えてこそ、真に優れた料理人と成り得るのです。