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御酒の話(4)


「酒は裏切り者である。最初は友で次は敵だ。」  「物類称呼」の杜氏語源説  泡盛の語源と「泡立て法」  幸田露伴の摘み草  志ん生落語の上戸と下戸  さかみづく  芳賀矢一の酒  下り酒の樽の数(付:寝言屋の説)  引付(ひきつけ)の盃  「杯から口までにしばしば多くの酒が失われる」  吉行淳之介に対するアンケート  浜畑賢吉の酒  戦後、酒の値段  直接感覚、完全感覚、反省感覚  酒を題材にした落語  「彩色江戸物売図会」の酒売り  紀元二千六百年奉祝会の食事  山藤章二作・吉行淳之介之詩  居酒屋の川柳(2)  居酒屋の川柳  長田秀雄の1ケ月禁酒  怪談話の「ひとだま」  山村美紗の酒話  銚子の滝  これ何の句  電気ブラン  カニの横ばい  下戸のことわざ  グルマンディーズと戦争賠償金  依存性物質の5段階  吟醸香の生成  酒杯藤  吉井勇と真山青果  酒と恋のうた  ドブロクと猫イラズ  サクレ・シアン  ショウジョウバエ  八文は味噌を片手にうけて飲み  昭和27年十一月初三。(断腸亭日乗)  進戸(付:「上戸の語源」 寝言屋の説)  煮売り酒屋3種  「東海道中膝栗毛」の発端  古今亭志ん生の酒  田中澄江の酒  燗徳利の普及  シュレーヌ  預かりとなった赤穂浪士と酒  麹の役割  麹の色と種類  木精・石精・酒精  濫觴(らんしょう)  昭和18年5、6月  住江金之  サヴァランによる三種類の渇き  「矢筈」の看板  太地喜和子と大地真央  昭和16年5月6日  医(醫)  古代中国の酒器  明治の酒学者  酵母の誕生  草野心平の酒  「美味礼讃」のアフォリズム  のど越しの味  断腸亭日乗  製造時期による清酒の名称  山田正一語録  季語 だくしゅ(濁酒)  火野葦平の酒  酒造好適米の来歴  上田万年・大辞典の酒字  守貞謾稿 酒  吉行淳之介の酒  燗をする酒  「青田核」  裏ラベル  内田百閧フ酒  真精米歩合  「酒は源氏」  麹町  碧筒杯(へきとうはい)  プロテオリピド  酵母の役割  麹の役割  酵母の働き  麹からできる酒の素材  田中貢太郎の酒  「神農本草」  風呂上がり唄(前唄)  正宗白鳥の酒小話  二日酔いしなくなった理由  吟醸香の正体(2)  吟醸香の正体  酒場にて  仕舞の謡物(留仕込二番櫂)  アルコールの比重  パリ産ワインと東京産清酒  居酒屋八百八町 店長成功の法則  清酒 二重橋  十便十宜図  醸造酒と蒸留酒  「たたけよ酒屋開かれん」  名犬六助の碑  矢大臣  酒に関する漢字  小杉放庵の酒  英国人と日本人  もと掻(か)き唄  鹿鳴館会合の小話  南柯(なんか)の夢  蔵人(くらびと)の役職名  魚眼湯  蘇翁の接した伊藤博文  酒のアルツハイマー抑制効果  朝酒は門田を売っても飲め  歌舞伎の酒尽くし  昔の中国の醸造理論  とっちり者  もとすり唄  隅田川(2)  岡倉天心の酒  「宴」「酉區」「沈」「湎」  灘の酒造り唄  フランス料理と清酒  大仏前の酒屋  「北山酒経」の酒造り  手酌  志賀重たかの酒  正月の朝廷儀礼  隠語辞典の「酒」(3)  12世紀の酒造り  隠語辞典の「酒」(2)  清酒の甘辛地図  隠語辞典の「酒」  尾崎士郎の酒  献立  永井荷風の酔っぱらい観(2)  永井荷風の酔っぱらい観  お燗のつけ方  「親子ともに大上戸」  活性炭  置きつぎ  酒12ヶ月  酒の十失  「五輪書」と酒屋  煮酒  香りに関するきき酒用語  カステラの効能書  葛西善蔵の酒(2)  へなちょこ  花見の薬  「酔って候」  「美味しんぼ」の酒  法然  戦後の吟醸酒の流れ  昭和46年の純米酒  明治初年の酒造免許  猪口  ムソルグスキー  酒徳経  吉井勇の晩年  どこの酒蔵か分かりますか  居酒屋でねんごろぶりは立って飲み  熊谷流吟醸造り  酒類関係情報  菊酒弁当  桃型の酒器(徳利=ポット)  煮売屋(にうりや)の看板  味覚と温度  びん慣らし  「古今集」と「新古今集」  橘曙覧(たちばなあけみ)の酒歌  浜口雄幸(おさち)の酒  味に関するきき酒用語  風邪の治療法  お燗  「夏田冬蔵」  吟醸酒の香り  全国新酒鑑評会1位銘柄  大上戸の事  秋田のドブロク  千鳥足  長屋王家木簡の仕込配合  小村寿太郎の酒  臼井吉見の酒  花岡嘉金司のことば  酒ハ及バザレバ乱ス  醸造試験所の受賞   「酒」の字の入った名字  中世の酒に関するなぞなぞ4  豊原国周(2)  ニワトコ  日本はアルコール添加酒も早かった  トンガ王国  摘んで食べる酒  酒語色々(3)  平安時代の旅費規定  酒米色々(2)  酒米色々  四季の酒  湯気冷やし麦酒  豊原国周  清酒表示の自主規制  「ガン封じ」の笹酒  岩の井  酒銘  酒語色々(2)  「サヨナラ」ダケガ人生ダ  堅塩  兵糧丸(ひょうろうがん)  栗本鋤雲(じょうん)の酒  10号酵母  日本酒という呼称  10月1日  中世の酒に関するなぞなぞ3  和田垣謙三の酒  不許葷酒入山門(2)  玄関盃(げんかんさかずき)  駆けつけ三杯  居酒屋の役割  清酒の分類  ソムリエの発想  アルコール  ベトナム産清酒  明治天皇の酒  ワインの薬効  日葡辞書にある酒の種類  中世の酒に関するなぞなぞ2  酒を飲む順序   ワインのテースティング  言の葉遊楽(ことのはあそびがく)  拝啓 酒蔵 様   アルコミ(or 酒コム)  山田錦と雄町とから造った酒の違い  酩酊児  鵞鳥(がちょう)の卵杯  榎本其角の酒句  徳川夢声の酒  千駄(せんだ)祝い  中山あい子の酒  クレメント・フロイドの二日酔い対策  開高健の酒味  住江記念館(農大醸造博物館)  「駒形どぜう」と酒  「日本酒の絶妙さ」  国木田独歩「巡査」  若槻礼次郎の「酒の効用」  二日酔いの各国語訳  蕪村の酒句



「酒は裏切り者である。最初は友で次は敵だ。」
イギリスの聖職者トーマス・フラー(1608-61)の「格言集」にある言葉だそうです。(「食の名言辞典」東京書籍) この人は「結婚前には両眼を大きく開いて見よ 結婚してからは片目を閉じよ」「見えないところで 私のことをよく言っている人は 私の友人である」といった格言を残している人だそうです。酒の格言は、この通りでもあるのでしょうが、日本ではこういうことわざはなかなかできなかったのではないかという気もします。裏切り者という言葉はかつての日本では少なくとも酒に対して使いにくかったでしょうし、まして、敵にしてしまうのは自分自身であるということが飲む側にはよくわかっていたはずですから。


「物類称呼」の杜氏語源説
安永4年(1775)刊という江戸時代の方言集「物類称呼」には有名な杜氏語源の諸説があります。 藤次郎という人が酒を上手に造ったので言われるようになったというもの。 「頭児」と書いて、酒蔵の頭男(かしらおとこ)という意味であるというもの。 外国(当時は中国です)では酒造りが杜康からはじまるので杜氏であるというもの。 また、昔、酒造司という官庁に大刀自(おおとじ)、小刀自、次(なみ)刀自といって三種類の酒造りの壺があったがことらからかという新井白石の「東雅」も紹介しています。200頁もない岩波文庫ですが、そのどこにあるか探すのも楽しいですよ。もちろん酒の項ではありません。


泡盛の語源と「泡立て法」
泡盛などの焼酎には高級アルコールなどの泡を起こす成分があり、それらの成分の含有量はほぼアルコール度数に比例するのだそうです。二つのチョコを用意して、その一方に焼酎原酒を入れ、これからその下40〜50aくらいの位置にあるもう一方のチョコへ焼酎を垂らして泡の発生を確認します。そして、上の焼酎を一定の割合で水で薄めて、同じ操作を繰り返して、泡が立たなくなるまで続け、原酒と割水の量からもとの焼酎のアルコール度数を決定したのだそうです。酒精計のなかった時代の方法で、これが泡盛の語源だろうと、「つい話したくなる酒と肴の話」に小泉武夫が記しています。ところで泡が立たなくなるのはアルコール度数で何度位なのでしょう。


幸田露伴の摘み草
出かける前の準備は、杉板二枚とその間に挿んだ味噌並びに一瓢。もちろん酒入りです。風流な友人と共に出かけ、春の野に萌えだした野草を摘み、杉板に挿んだ味噌を付けてその場で食べるのだそうです。そして酒を飲みながら俳句などを愉しんだのだそうです。野蒜(のびる)が、最も酒の肴になったそうです。「私(獅子)も、ちょっと、真似がしたくなったが、瓢箪も持っていないし、第一、一緒に行ってくれる仲間も、なさそうである。」と獅子文六が「食味歳時記」で紹介しています。それにしても俳句とまでいかなくても、今でも出来そうな気もしませんか。


志ん生落語の上戸と下戸
エエ、お酒の好きな人が夢で酒を一升…拾って…たいへん喜ンで…火イ熾こして…湯ウわかして、燗をしようと思ったら…目が覚めてしまった…『あゝ、冷酒(しや)で飲んでおきゃアよかった』…なんてのがございますナ。…エエ…酒ツてえと、ごく強い人と弱い人がありますな。…強い人は『二升飲んでも平気だ』なんてエ人がいる。…弱い人はひどいもんですな…ばかよわですな…酒屋の前を眼をつぶって駆け出すッてエと、酒の匂いがぷウウんとしたンで…驚いて…「(苦しそうな唸り声)アア…アア…」「どうしたンです?」「アア…あたしぐらい…まア…酒に弱い者はありませんね…酒屋の前を通ったら…酒の匂いがぷウウんと来たらね…で…酔ツちゃったんですよ」「(元気のない小声)あアア…そうですかア…」ツて、聞いている人が真ツ赤ンなっちゃった…(「古典落語 志ん生集」 飯島友治編)


さかみづく
これはどういう意味の言葉でしょうか。大言海によると、酒盛りする、酒宴するという意味で、酒水(さかみづ)という名詞が動詞化したものだそうです。酒水は酒のことだそうで、神名式に酒彌豆男神(さかみずおのかみ)、酒彌豆女神(さかみずめのかみ)というように神様の名前として出ているそうです。この「さかみずく」をさらに名詞化したものが「さかみずき」で、酒宴のことだそうです。広辞苑などは「酒水漬く(さかみずく)」として、酒に浸るを本来の意味とみたようで、それから派生して酒宴をすると意味を持ったというように説明しているようです。大言海は「酒に浸かる」を嫌ったようで、広辞苑説をはっきり否定しています。


芳賀矢一の酒
国文学者の芳賀矢一(福井生まれ・慶応3〜昭和3)は、東宮時代の昭和天皇の侍講であったが、二日酔いで、急病と称して参内をとりやめたというのだから、まさに酒豪であった。東京帝大の「国文談話会」の懇親会には、出席者の前に徳利又はビール瓶を一本おいたが、この博士の前には角瓶のウイスキーを一本ときまっていた。それを散会の前に一本あけるのだった。(「最後のちょっといい話」 戸板康二)


下り酒の樽の数(付:寝言屋の説)
天保期(1830-1844)前の伊丹、池田、灘等から江戸に運ばれた四斗樽の数は一年間で80〜90万樽だったそうです。水野忠邦の天保の改革以来、幕府の公認しない遊里は廃止され、また江戸市中も活気が無くなったため、酒の消費もおのずから減少し、40〜50万樽になったそうです。また江戸近隣にて醸造された地回り酒は10万樽だったそうです。(「近世風俗志」 喜田川守貞) おおざっぱに言って100万樽が江戸で飲まれていたそうですが、江戸の人口は100万人なので、1年間で1人1樽です。(ただし1樽は3.5斗だったそうです。しかも江戸は男の割合がかなり大きかったそうです。)江戸期清酒のアルコール分を少な目に13%とみますと、現在の15%清酒に換算すると54g、平成13年に飲まれた1人あたり100%アルコールは8.6gですので、全量清酒とすると15%換算で57g、そうすると、よくいわれる江戸時代江戸では大変な量の酒が飲まれていたという言い方は少しオーバーな感じがします。(ただし当時の他の地域と比べると大変な量だったとは思います。)


引付(ひきつけ)の盃
江戸時代、遊郭で初会の客は大変だったようです。若衆が酒・盃・硯蓋を持ってきて、客の前に並べている間に、相手の遊女が打ち掛け姿で現れ、客に対して斜め上座へ客に離れて始終無言で座るのがしきたりだったのだそうです。ここで、「引付の盃」になり、客が遊女に、そして遊女が客に返杯となるのだそうですが、二人が直接行うのではなく、若衆が取り仕切ったそうです。この盃事は、まねごとで飲まないのだそうです。その後の宴になっても敵娼(あいかた)は客の傍らには来ず、盃も受けるだけで前に並べておくだけだったそうです。大見世の場合、初会は「それまで」だったそうで、さすがに「道」の国といったところでしょうか。(「古典落語 志ん生集」 飯島友治編の解説にあります)


「杯から口までにしばしば多くの酒が失われる」
人はひじをつき左側を下にして横たわった。そしてふつう一つの寝台は三人を入れた。こういう食事の仕方をローマ人たちはレクチステルニウム(臥宴 がえん)と呼んだのであるが、それは後にわれわれが採用した、というよりはとりもどした、あのすわって食べる習慣よりも果たしてれ楽であったろうか。わたしにはそうは思われない。−液体を飲み込むとなるとさらに骨が折れる。−「杯から口までにしばしば多くの酒が失われる」と言うことわざは、おそらくこのレクチステルニウムの時代に生まれたのであろう。
ブリア・サヴァランもギリシア、ローマの寝ながら食べる食事法には批判的だったようです。(「美味礼讃」)


吉行淳之介に対するアンケート
料理雑誌から、−電話アンケートがきたので、「(簡単な酒の肴には)味噌を焼いて、舐めるとよい」と答えると、「へーえ、そんなものもあるのですか。どうやってつくるのですか」と質問されて、甚だ面倒だった。専門誌の編集者なら、焼味噌程度のABCくらい知らなくては、プロとして恥ずかしいことである。 「あなたにとっての酒のイメージ」というアンケートへの回答。「腹を立てて飲むと、酒に仇討ちされて、ろくな酔い方はしない」そう書いて送ったのだが、活字になって送ってきたものを見ると、「腹を立てて飲む」となっていて、これには驚いた。(「贋食物誌」 吉行淳之介) アンケートには注意しましょう。来るわけ無いですか。


浜畑賢吉の酒
劇団四季の浜畑賢吉は、大酒豪で、毎日かなり飲んでいるが、アルコール依存症にならないのは、舞台で汗をかいているからだというふうに、自分を納得させているという。「あんまり飲むので、結婚しようと思った時、金がなくってね」というのを聞いたジャーナリストが、「それでどうしたんです」と質問すると、「銀行から借りました」(「最後のちょっといい話」 戸板康二) 演劇人は飲み、演奏家は食べるということですが、どんなものでしょう。


戦後、酒の値段
@1946年  73円    1995 1780円(24倍)   A1947年  100円    1995 330円(3倍)
B1947年 500円    1994 1650円(3倍)   C1945年 8円      1994 1350円(172倍)
D1946年  12円50銭 1995 890円(71倍)    E1952年 200円    1995 900円(4倍)
どれが清酒1.8lの値段か分かりますか。@は1級国産ウイスキー720ml、Aビール大瓶、B清酒2級酒1.8l、C乙焼酎25%1.8l、Dビールジョッキ1杯、Eスコッチ水割り1杯だそうです。(その年の一番高い値段です)(「戦後値段史年表」 朝日文庫) 2つの時期の値段をそれぞれ比較すると面白いですね。


直接感覚、完全感覚、反省感覚
ぶどう酒が口中にあるあいだ、人は快い感じを受けるが(直接感覚:口腔内の諸機関により生まれる第一印象))、決して完全にそれを味わってはいない。飲み終えて後に初めて、ほんとうに味わい、評価し、各種のぶどう酒に特有な香味を発見するのである(完全感覚:食物が咽頭に移てからの味わいとにおいによる印象)。しばらく間隔をおいてからでなくては、いくら酒飲みでも、「うまい」とも、「まずい」とも、「こんちくしょう!すばらしいシャンベルタンだ!」とも、「ちぇっ!ひどいシュレーヌを飲ましやがる!」とも言えないのである(反省感覚:器官に渡された印象に霊魂が加える判断)。(「美味礼讃」 ブリア・サヴァラン) 今こういう風に自分なりきに分析して考えるのも面白そうですよ。


酒を題材にした落語
のざらし、らくだ、もう半分、長屋の花見、禁酒番屋、素人鰻、芝浜、夢の坂、明烏(あけがらす)、居残り佐平治、大山詣り、子別れ、三人旅、うなぎの幇間(たいこ)、酢豆腐、転失気(てんしき)、百年目、長者番付、突き落し、鰍沢(かじかざわ)、風呂敷、紙入れ、ふぐ鍋、ちりとてちん、寝床、親子酒、猫の災難、棒鱈、居酒屋、ずっこけ、一人酒盛、ためし酒、不幸者、浮世床、代わり目、酒代、のめる、酒の粕、市助酒、竹に虎、徳利妻、徳利亀屋、徳利芝居、備前徳利、盃の殿様、猫久、魂の入れ替え、夢見酒、首提灯、万金丹、渋酒、杉酒屋、松竹梅、法華長屋、子ぼめ、うどん屋、穴どろ、そこつ長屋、二番煎じ、釜どろ、王子の狐、しめこみ、そこつの釘  「落語に見る江戸の酒文化」に記載された酒を題材にした落語を並べてみました。落語に酒は切り離せないようです。いくつご存じですか。御酒二十とか…。


「彩色江戸物売図会」の酒売り
天秤棒の前後に1斗くらいの樽を下げて、それぞれの上に、前には1升位の樽が3つと鏡を抜いた角樽を、後ろには木枡、じょうご、柄杓を入れた浅い桶と鏡を抜いた角樽をのせたりつるしたりして売り歩いている様子が描かれています。2本の樽に酒を入れると全体で60kg以上にはなりそうで、随分重い商売だったように見えます。不思議なことに江戸前期の絵師の筆になる酒売りの図を著者はまだ見つけだしていないそうです。(ちなみにここで描かれているものの出典は京都の絵師による絵だそうです。)同じ形の物売りに醤油売りがあり、これは一緒に酒も売っていたそうです。(「彩色江戸物売図会」 三谷一馬 絵は本人が描いています。)


紀元二千六百年奉祝会の食事
主饌 御飯:圧搾口糧(玄米、丸麦、鰹節、醤油、梅干、調味料、砂糖を原料とした乾燥ご飯) 御汁:携帯粉味噌汁(生味噌、海草、麩を原料としたもの) 御肴:乾燥肉(牛肉、砂糖、調味料を原料) 御酒:航空ブドウ酒と航空元気酒(焼酎、味醂、ブドウ酒などの原料に特殊薬草類を調合) 口取:口取缶詰(小鯛、かまぼこ、黒豆、昆布、干瓢、たけのこ、調味料を原料) 祝餅:紅白戦力餅(うるち米、緑茶、薬品数種を原料とした乾燥延餅) 小型乾パン 
副饌 燻製鮭、スモークソーセージ、のしいか、結び雲丹いか、干し鱈、勝栗、えび煎餅 清酒(灘12銘柄の1合瓶) 興亜パン 蜜柑(みかん) 「戦時下の祝典にふさわしいものは保存に耐え得る野戦料理、行軍携帯食料」だそうです。(「食悦奇譚」 塚田孝雄) 川島四郎が大きくかかわったメニューのようです。それにしても航空ブドウ酒とか元気酒とか変な名前ですね。


山藤章二作・吉行淳之介之詩
雨ニモマケズ 風ニモマケズ 鬱ニモアレルギーニモマケヌ 丈夫ナカラダヲモチ 借ハナク 決シテ倒サズ イツモシヅカニワラッテイル 一日ニ水割リ四杯ト チョコトノ野菜ヲタベ ヒトノ飲ミ代ヲ ジブンノカンジョウニ入レズニ ヨククドキヨクサハリ ソシテフラレズ ギンザノソバノ 小サナ萱ブキノ小屋ニヰテ 東ニオープンノ店アレバ 行ッテ記念品ヲモラヒ 西ニツカレタママアレバ 行ッテソノコシヲモミ 南ニタカリニ困ル店アレバ 行ッテコハガラナクテモイイトイヒ 北ニ拡張ヤ建増シガアレバ ツマラナイカラヤメロトイヒ ヒデリノトキハセッセト通ヒ サムサノナツハ タコヤキヲオゴリ ミンナニ鼻下長トヨバレ ホメラレモセズ クニモサレズ サウイフモノニ ワタシハナリタイ(吉行淳之介「贋食物誌」の挿絵中)


居酒屋の川柳(2)
居酒屋は もぢもぢするが 気ざになり(そわそわする客は飲み逃げするのではと気に掛かる、気ざ=気掛かり)
酒屋から 引ずり出すと そりゃと逃げ(客が暴れるので店から引きずり出すと金を払わないで逃げた)
銭が無か 先へぬかせと 居酒見世(金があるか無いか先に言えと居酒屋)
浜田義一郎編「江戸川柳辞典」にある句ですが、前にある川柳と比べて選者によって居酒屋のイメージが全く変わるのは面白いものです。今なら 「カードはお断りと居酒見世」 といったところでしょうか。


居酒屋の川柳
居酒屋や 愛想に植えし 唐がらし(つまみになる唐辛子を店頭に植えている)
行かぬかと 馬子居酒屋へ 声をかけ(同僚の馬子が居酒屋で飲んでいる仲間に声をかけている)
小判にて 飲めば居酒も ものすごし(今なら10万円持って居酒屋へ行った感じです)
片足を しまって居酒 飲んでいる(着物を着て樽に腰掛けて、片足を膝に乗せて着物の裾の下に仕舞った様子)
(「つい披露したくなる酒と肴の話」 小泉武夫) 今なら 「いざ居酒屋へと会社を出」 といったところでしょう。


長田秀雄の1ケ月禁酒
新劇運動に参加し、脚本作家だった長田秀雄は、酒飲みは1年の内の1ヶ月を禁酒して体から酒の気を抜くと害を受けないとして、それを実行していたそうです。その1ヶ月は2月だったそうです。その理由は、2月が短いという酒飲みとしての計算と、2月は食べ物がまずいということだったそうです。出所は獅子文六の「食味歳時記」ですが、著者は、2月は決して食べ物のまずい月でないということをこの随筆で証明しています。1ヶ月禁酒の結果はこの随筆には書かれていませんが、良いことだとは思いますので、できる方はお試し下さい。


怪談話の「ひとだま」
寄席の怪談話の際、次第にすごみを盛り上げて最高潮に達した頃、場内を暗くして竹の先へ「焼酎火」の人魂を燃やし、前座が幽霊姿で登場して客を怖がらせた後、演者が「はて…おそろしき執念じゃなア…」と言うと同時に場内を明るくして、「まず…今晩はこれぎり」と終わらせたそうす。焼酎火のかわりに硫黄を燃やした怪談師がいたが、前座の鼻先で燃やしたため幽霊が「ハックション!」とやり、場内は爆笑の嵐となったそうです。「古典落語 志ん生集」(飯島友治編)の解説にあります。焼酎を燃すにはかなりアルコール度数が高くなければならず、これが江戸時代の趣向だとしたしたらたいしたものだと思います。


山村美紗の酒話
山村美沙は酒を愛する女性である。ボーイフレンドに造り酒屋の息子がいて、「新酒は好き?」と訊かれ、「ええ好きよ」というと、「今度の休みにどうか」といわれ、喜んで「お言葉に甘えて」と返事した。すると、「京都駅に十時に来てください。まず松本に」という。シンシュではなく、シンシュー(信州)だったのである。(「最後のちょっといい話」 戸板康二)
これが本当の甘辛話といったところでしょうか。


銚子の滝
「銚子の滝」という名前の滝が、東京都奥多摩町日原(にっぱら)の鍾乳洞少し手前にあります。名称の由来は徳利から杯に酒を注ぐさまからと、説明板にはありました。滝の素人としては、遠目のせいだったのでしょうか、説明板にあるようには見えませんでしたが、あれだけどんどん杯に注いでくれたら、わんこそば状態といったところでしょう。滝の流れを銚子からそそぐ酒と見た人の「感性の豊かさ」に、酒好きとしてはうれしく思いました。日原の鍾乳洞を見るときは見落とさないようにしてください。


これ何の句
今朝皆は のまじ小嶋の 花見酒(けさみなはのまじこじまのはなみさけ)
ひえにけさ のむかやかんの 酒に酔(ひえにけさのむかやかむのさけにえひ)
家にけさ 屠蘇酒さぞと 酒に酔(いえにけさとそさけさそとさけにえい)
江戸初期の「毛吹草」にある前から読んでも後ろから読んでも同じ文字の回文で作られた酒を詠み込んだ発句です。


電気ブラン
阿木翁助が日本テレビの制作本部長の時、神谷酒造会社の名刺を持って二人の社員が血相を変えて来た。「何ですか」というと、「昨夜のドラマで鶴田浩二さんが、『電気ブランで、今日は二日酔い、頭がビンビン痛む』といった。じつは電気ブランは、私の会社の目玉商品です。あのセリフは会社の名誉を傷つけ、大損害を与える。どうしてくれるんです」という厳重な抗議である。早速阿木が台本を見たら、そんなセリフはない。「ゆうべ飲みすぎて、けさは二日酔いだ」としか書いてなかった。鶴田に訊いたら「アドリブでいったんです。電気ブランというのは固有名詞なんですか」(「最後のちょっといい話 戸板康二) これ宣伝ですよね。


カニの横ばい
「(首をかしげ、下を見)なんだか知らねんけどもな、蟹(かに)てえやつア横に這うもんだが、この蟹ゃ、縦に這ってるんだがな
そしたら、蟹が、「少し酔ってますから」(「古典落語 志ん生集」 ちくま文庫)
駄作
のんべい「あれあれ この蚊は血を吸いながら居眠りしているぞ」 下戸の蚊「ぬかった!この血はアルコールだらけだ ウイー」
「見事な鯛だ、大きさといい色といい!」 鯛「たいへん肴を食べ過ぎ、酒を飲み過ぎまして、すみません」


下戸のことわざ
下戸と化物はない(全くの下戸はいない) 下戸の甘好き 下戸の粕汁(下戸は粕汁でも酔う) 下戸の肴荒し(飲めないので肴を片端から食べる) 下戸の酒恨み(酒を恨む) 下戸の平強い(自分が飲めないので人に勧める) 下戸の建てた蔵はない 下戸は上戸の被官(下戸は上戸に頭が上がらない、被官:家来)(「故事ことわざ辞典」 鈴木・広田編) 少なくとも下戸はことわざでは分が悪いようです。下戸の建てた蔵はないの後に、上戸の建てた蔵もないという句の続くことわざもあるようですが、下戸に肩持つことわざを誰か作りませんか。


グルマンディーズと戦争賠償金
ナポレオンの敗北による1815年の条約で、連合国はフランスに7億5千万フランを支払う条件を押しつけたそうです。この負担に加えて3億フラン以上の利子を各国の君主は要求したそうです。「国民こぞって死なねばなるまい」といわれていたところが、支払いはやすやすと行われたそうです。その原因をサヴァランはグルマンディーズ(美食愛)に求めました。その例として「美味礼讃」は、シャンパンの話を載せています。「侵入軍」がシャンパーニュを通過した時、エペルネの酒造家モエ氏の穴蔵から60万本の葡萄酒を略奪したそうです。けれどもそれらの略奪者はその味を忘れられず、この時期以来北の国からの注文が2倍以上になったのでモエ氏はその膨大な損害を少しも惜しまなかったそうです。 昨今の石油の力はどんなものでしょう。


依存性物質の5段階
人を依存に陥らせる物質は、文化史の中では共通の運命をたどるそうです。まず、@聖なるものとして、宗教的・祭祀的文脈の中で用いられ、A医療として用いられ、B社交的意味を持つようになり、C個人的愉しみに変じ、D悪徳として評価されるようになり、E最後に疾病として治療の対象になるのだそうです。人類が発見したこの種の物質の中でその益も害もよくわかっていて制御して使えるのはアルコールであると著者はいっています。(「落語における飲酒と酩酊の構造」 小田晋) 現在タバコがこの5段階の最後にいるようです。


吟醸香の生成
吟醸酒の醗酵状態は、酵母にとってはきわめて悪い環境です。えさになるブドウ糖は吟常酒用の麹(米の表面を乾燥させて、麹菌の菌糸を米の内部に食い込ませるという突き破精型)によって少しづつしか供給されず、醗酵温度は10℃以下(普通は15℃位)という低温で、いってみれば空腹で雪の中におかれたといった状態なのだそうです。こうした中で、普段は使われなかった「芳香エステル系(細胞膜に存在していて、果物風の芳香エステル成分を生成する酵素を使用する)」という回路を使用してエネルギーを作り始めるのだそうです。そしてこれによって、吟醸香という不思議な香りが生成されるのだそうです。(「つい披露したくなる酒と肴の話」 小泉武夫) 酵母にしてみれば、とんだことなのですが。


酒杯藤
中国西域に酒杯藤(しゅはいふじと読むのでしょうか)という藤があるそうです。太さは人の腕ほどあり、葉は葛に似ており、花と実は梧桐(あおぎり)のようだそうです。実が付く頃になると、花は堅くなり、その花で酒を酌むことが出来るのだそうです。実の大きさは杯ほどで、味はニクズクに似て、香りよくうまいそうです。土地の人は酒を携えて、この藤の下にやってきて、花をとって酒を酌んだそうです。実は悪酔いをといたそうです。その国の人はこれを宝として、中国には伝えなかったとも書かれているそうです。「酒譜」北宋・竇苹(とうひょう)の「酒譜」が記しています。(訳・中村喬、原典は晋の「古今注」だそうです。) 花が杯になるとは一体どんな藤なのでしょう。


吉井勇と真山青果
吉井勇も真山青果も、酒をこよなく愛した文人である。二人とも、あまり飲んではいけないと主治医にいわれていたが、そういう時に吉井が汽車に乗ったら、同じ二等車に青果が乗っていたので、ずっと雑談しながら行った。あとで青果に同行していた人が「熱心に何を話していたのですか」と尋ねたら、「酒をよせという医者が、どんなに自分たちのことをわかっていない無神経な人間かという話をしていたのさ」(「最後のちょっといい話」 戸板康二) 雑談の際、二人は飲んでいなかったのでしょうか。もし飲んでいなかったら無神経な医者の勝利でしょう。


酒と恋のうた
かの人の 涙の酒に酔ひけるよ 人は知らじな 酒のかなしみ
諾(う)とも云ひ 否(いな)とも云へる まどはしき 答を聴きて 酒に往(ゆ)きける
杯の なかより君の 声として あはれと云ふを おどろきて聴く
君なくば かかる乱酔なからむと よしなき君を 恨みぬるかな
さな酔いそ(酔わないでください) 身を傷(やぶ)らむと 君云はず 酒を飲めども 寂しきかなや
明治43年出版の若かりし吉井勇の第一歌集「酒ほがい」(「吉井勇歌集」 岩波文庫)の中のうたです。今ならこれを詠んだのが男性か女性かということは結構わかりにくいのではないかとも・・・


ドブロクと猫イラズ
当時は、カストリよりドブロクの方が格が上で、それを呑ませてくれる家を探し当てると、嬉しかったものである。看板など出ているわけでもない当たり前の小さな家屋で、客は座敷のあちこちにかたまって、ドンブリに入った白い色の液体を飲んでいる。十分醗酵するヒマなど待てないので、ドンブリの底の方からブツブツ泡が立っている。ドンブリ一杯の値段が、昭和二十三年ころたしか四十円だった。これを四杯も呑むと、胃から腸管にかけてぎっしり白い粒が詰まり、それがブツブツ醗酵をつづける感じになる。牡丹雪のようにベトツク酔いがいつまでもつづき、勤めの身としては翌朝が辛かった。「あれは、猫イラズが入っていたそうで」と平さんが言う。(「贋食物誌」 吉行淳之介) ここでもネコイラズの話が出てきます。


サクレ・シアン
かれはもう二十四時間以上も前に死んだにちがいなかった。太陽が一日じゅうかれの上に照りつけたので、その顔は烏のようにまっ黒になっていた。幾人かの戦友がかれに近よった。あるいは永の別れを告げようと思い、あるいは何か記念にもらっておくものもあろうかと思って。ところがかれらは、まだその手足が硬直していないのと、心臓あたりになおほのかな暖か味が残っているのを知ってびっくりした。「おうい、だれかサクレ・シアンをひとしずく持ってこう!」と、ひとりのおどけ者がどなった。「あの世にまだ行きついていないなら、飲みにもどってくるだろうよ。」 実際に一さじふくませると、死人は目を見ひらいた。
これもサヴァランの「美味礼讃」(岩波文庫)です。サクレ・シアンは、御神酒とか般若湯といった表現の言葉だそうです。


ショウジョウバエ
猩々は酒好きな架空の動物です。ショウジョウバエの目は赤いため、酔っぱらいとみて、酒好きな猩々の名前が付けられたということのようです。しかもこのハエは、実際に酒が好きなようで、酒に集まってきます。このショウジョウバエに、アルコールの匂いをかがせると、酔っ払うらしいことが、最近分かったそうです。酔ったハエが、ものにしっかりつかまっていられなくなることを利用して、酩酊の度合いを測る装置が考案されたそうで、この装置を利用してアルコールに弱い突然変異種が何種類も見つかったそうです。また、キイロショウジョウバエは日本酒やワインによく集ってきますが、安い合成のお酒には見向きもせず、ワインでも上等なものほど好むそうです。(「ショウジョウバエ」 http://dept.biol.metro-u.ac.jp/fly/www/index.html)


八文は味噌を片手にうけて飲み
この川柳(柳多留)の意味はお分かりでしょうか。八文は江戸中期の酒一合の値段だそうです。居酒屋では片手に味噌をもって飲んだということのようですが、長居は無用ということだったそうです。(「江戸っ子の酒」 神崎宣武) 4斗樽は約5両だったそうです。そして4斗樽に入っている酒は35升だったそうです。(「童蒙酒造記」)1両は4000文ですので、1合は5.7文。流通のどこかで水を入れて薄めたりして、1合8文位がちょうど良い居酒屋の値段だったというところでしょうか。蕎麦が二八の16文だったそうですから、酒との値段のバランスは今とそう変わらなかったということでしょうか。その後1合は20〜30文になっているようです。


昭和27年十一月初三。(断腸亭日乗
永井荷風の断腸亭日乗(岩波文庫)に、文化勲章受賞式当日の宴席の様子が記されています。「食卓に着席者の名札置きてあり。余の直ぐ左の席は高松宮宣仁親王、その左は陛下なり。右隣は梅原氏なり。酒は日本酒ばかり。献立はコンソメー(肉汁)、小海老甘鯛フライ、、牛肉野菜煮。菓子は栗を入れたるプデング。葡萄バナナ。食事終り隣室にて珈琲と日本茶を喫して歓談す。」 この当時の文化勲章受章記念の宴席では、花袋は不満だったようですが清酒だけだったようです。今はどうなのでしょう。ちなみにこの年の受賞者は梅原龍三郎、朝永振一郎、安井曽太郎等でした。


進戸(付:「上戸」の語源 寝言屋の説)
まず、「戸」を「進める」という、この漢字の意味は何でしょう。酒を沢山飲めるようになることだそうです。その方法は、葛の花、小豆の花の陰干しにしたもの七両ずつを粉末にして、羊の精肉一斤をふつうの生切りにしたものに混ぜ込み、それに、熱く温めた良酒を注いで服することを三日か五日毎に繰り返すのだそうです。唐の皇甫松による「酔郷日月」(東洋文庫)にあります。それにしても、この「戸」の意味に興味が湧きませんか。大字典によると「飲酒の量」とあり、戸大(こだい)は、大酒の人の意味だそうです。そうだとすれば、上戸は当然酒飲みのことになり、普通いわれている日本の古代制度の「上戸(じょうこ)」からきたという語源説より妥当性があるような気がするのですが、いかがですか。専門家の調査を期待します。


煮売り酒屋3種
居酒屋の原型である煮売り酒屋には3種あったそうです。@七輪と鍋、食器を天秤棒でになって行商するもの、A屋台を出して辻売りするもの、B店を構えるものだそうです。そしてそれは、商売の発展を示す三態でもあるそうです。@とAの、火を持ち歩く商売は17世紀頃から大きく後退したそうです。「徳川禁令考」によると、貞享3年(1686)には、火事を恐れて「温飩、蕎麦切、其外何ニ寄らず、火を持あるき商売仕候儀、一切無用に仕るべき候」という法令が出ているのだそうです。そして注目すべきは、そのあとに「居ながらの煮売は苦しからず候」とあることだそうで、これが酒屋の店舗化を進めたようです。神崎宣武「江戸っ子と酒」にあります。


「東海道中膝栗毛」の発端
神田の八丁堀に小さな借家住まいをして、少しばかりの蓄えがあったので、江戸前の魚のうまみに豊島屋の剣菱の量は進み、空き樽はいくつとなく、長屋の手水桶に配り(この空き樽は取っ手のついた角樽型の一升樽だそうで、鏡をとって水桶に使うように近所へ配ったという意味だそうです。)、ついに有り金を使い尽くし、これではいけないと鼻之助を元服させて…  さて、これは何という小説でしょう。十返舎一九の「東海道中膝栗毛」(岩波文庫)です。有り金を使い尽くしたという人が、倒産して静岡から江戸へ逃げてきた弥治郎兵衛、鼻之助は、弥治路兵衛の男色相手の若衆で、一緒に逃げてきた喜多八。この二人が江戸でも騒ぎを起こして、その結果江戸を出て旅路についたというのがこの小説の発端です。


古今亭志ん生の酒
「小島(貞二)さんの話では、戦争が終わったとき満洲にいて、いつ帰れるか分からないし、生計の立てようがないので、死んでしまう気になった。どうせ死ぬなら好きな酒で、とウオッカを六本一ぺんに飲んだが、何ともなかった。これは大変なことで、よほど生命力があるというか心臓が強いのか、焼酎一本を一息で飲んで、死んでしまった人は、しばしばある。血液中のアルコール分の濃度が高くなり過ぎて、死んでしまう。やはり、異常人物である。」と、吉行淳之介が「贋食物誌」で書いています。こればかりは本当かなあという感じがしますが、志ん生の話ならならまあいいやといったところでしょうか。


田中澄江の酒
田中澄江が田中千禾夫(ちかお)との婚礼の時、三三九度の盃を交わし、「その日私酔っ払ってしまったの」という。「だって、澄江さんは、あんなにつよいのに、三三九度で昔は酔ったんですか」と尋ねたら、「そうじゃないんです。三三九度で寝た子を起こされて、それから披露宴で、とめ処もなく、飲んでしまったの。」(「最後のちょっといい話」 戸板康二) 作家・田中澄江は、山を愛し、酒を愛したようです。


燗徳利の普及
「京阪、今も式正(しきしょう:正しい儀式)・略および料理屋・娼家ともに必ず銚子(この頃は、取っ手のある金属製どびん型の酒器)を用ひ、燗陶(燗徳利)を用ふるは稀なり。江戸、近年、式正にのみ銚子を用ひ、略には燗徳利を用ふ。燗(あたた)めそのまま宴席に出すを専らとす。この陶形、近年の製にて、口を大にし(ここが今の徳利と違うところです。)、大徳利口より移しやすきに備ふ。銅鉄器を用ひざる故に味美なり。また移さざる故に冷へず。式正にも、初めの間、銚子を用ひ、一順あるひは三献等の後は専ら徳利を用ふ。常にこれを用ふ故に、銅ちろりの燗酒はなはだ飲みがたし。大名をも略にはこれを用ふ。京阪も往々これを用ふ。遠からずして京阪これを専用すなるべし。」 「守貞謾稿」(岩波文庫)にあり、ちょうど陶器製徳利が江戸末期に一般化する時の証言です。


シュレーヌ
「シュレーヌというのは、パリから二里ばかりのところにある けしきのよい村であるが、その酒の悪さは有名である。「シュレーヌの酒を飲むなら三人で行け」ということわざがあるが、つまりひとりが飲み手で あとのふたりは介抱役というわけである。ペリユーの酒についても同じことが言われるが、それでも行く人間はなくならない。(原著者注)」
さて、この「原著者」とは誰でしょう。ブリア・サヴァランです。もちろん「美味礼讃」の中に書かれているものです。日本では、にわさめとか、鬼ごろしといった表現はありますが、こうしたことわざがあるということを少なくとも私は聞いたことはありません。こうしたことわざはワインの地域性を あらわすものなのでしょうか。それにしても「行く人間はなくならない」という言葉はいいですね。


預かりとなった赤穂浪士と酒
赤穂浪士は目的を達した後、4カ所の大名屋敷に預けられ、裁きを待つことになったそうです。仇討ちは武士らしい振る舞いということで、浪士を預かったどの大名も丁重に扱ったそうです。たとえば、二汁五菜の食事が供され、夜になると「薬酒」という名目で、酒がでたそうです。酒の飲めない人たちには、甘霙(あまあられ:甘酒)がでたと研究書の一節にあるそうです。そういう待遇をしたということは、罪人あつかいをしていないと考えてよいと、「贋食物誌」で、吉行淳之介はいっています。堀部安兵衛の養父弥兵衛は下戸だったともいっています。


麹の役割
@米を分解する酵素を生成する。 原料米のデンプンを分解してブドウ糖を作る酵素(アミラーゼ)、米中のタンパク質を分解して日本酒の味を構成するアミノ酸やペプチドを生産する酵素(プロテアーゼ)。
A酵母の栄養源となるアミノ酸、ビタミン、プロテオリピド等を生成する。
B日本酒の持つ特有な香味の構成に直接関与する様々な成分を生成する。
C時間と共に変化し、日本酒を熟成させる多様な化合物を生成する。(「つい披露したくなる 酒と肴の話」等 小泉武夫)
酵母はもちろん大事ですが、麹の役割も大きなことがわかりますね。


麹の色と種類
黄麹:清酒や味噌等に使用される一般的な麹。
黒麹:糖化力が強く、酸を多く生産するので、暖地で醸造される泡盛に使用される。真っ黒なホコリのようです。
紅麹:中国、マレー諸島の紅「米曲(一字、麹と同じ意味)」。日本では天然赤色色素製造に使用されます。
白麹:黒麹の変異種で、黒麹と同じ性質を持つので、焼酎製造に使用されます。(「増補改訂最新酒造講本」より)
こうじ色多しといいましょうか。


木精・石精・酒精
加納喜光の「パズル式漢字教室」にあるクイズです。三つの中の仲間はずれはどれでしょうというものです。
木精はメチルアルコールで、昔は木材を蒸し焼きにして作っていたのでこのようにいうようですが、毒性が強く、戦後の酒不足の時代に「目散る」などとおそれられながらも飲まれて悲劇をうんだものです。酒精はもちろん、エチルアルコールで、人に酔いをもたらす主成分です。石精は鉱物の名前だそうです。


濫觴(らんしょう)
ものごとのおこりやはじめをあらわす言葉です。「濫」は「氾濫」というように、あふれるという意味があり、それと共に、うかぶという意味もあるのだそうです。「觴」はさかずきのことだそうです。角扁(つのへん)とするのは、杯を角(つの)で作ったからだそうです。従って、「濫觴」は大河・揚子江も、そのみなもとはわずかな杯が浮かぶほどの少量の水であるという意味だそうです。(大字典) また、一説には杯からあふれるほどの少量の水であるというものもあるそうです。(漢字源) 私は後者の方が好きです。


昭和18年5、6月
五月十八日。晩間出でて金兵衛に飯す。居合す人の話に新橋駅北口の外なる三河屋夕方五時よりコップ酒を売る。四時前より群衆二列になりて店口の開くを待てり。番札の早きものを内々にて壱、弐円に売る者もありといふ。
六月初一。晴。電車七銭のところ拾銭に値上げとなる。また酒肆(しゅし:酒屋)及び割烹店にて酒を売ることこれまでは夕方五時よりなりしがこの日より夕方六時に改められしといふ。(「摘録 断腸亭日乗」 永井荷風) 荷風は日露戦争で従軍記者を体験したそうです。その後の姿勢に何か影響はあったのでしょうか。


住江金之
味そ(味噌) しゃうゆ(醤油) 酒といふもの なかりせば いかにこの世は さびしからまし 農学博士 住江金之
酒の博士・住江は熊本県上益城郡御船町に、三百年つづいた地酒「八橋」の醸造元増永家の三男に生まれ、五高、東大を出て細川家の家老だった住江家の養子に迎えられた人だそうです。「八橋」は昭和のになって多額の売掛金がこげついて、戦前につぶれたそうですが、金之の曾祖父増永三左衛門は黒船が横浜に現れた頃二十門の大砲を造ったという人だったそうです。ただし、金之はちょこ2〜3杯で高いびきという愛酒家だったそうです。(「日本酒仙伝」 篠原文雄) 東京農大にある住江記念館にその清酒の収集品が展示されています。


サヴァランによる三種類の渇き
人には三種類の渇きがあり、それは@「潜在的渇き」、A「人為的渇き」、B「焼けるような渇き」だそうです。@とAは、水に対する渇きの程度の差のようです。問題はAで、これが人間特有な、アルコールに対する渇きなのだそうです。「この渇きはほんとうにとめどがない。これをしずめようとして飲む飲み物は、その結果として必ずまた渇きを再生させる。こうしてこの渇きは常習的になり、全国いたるところ酔っぱらいだらけということになる。そして、飲酒はほとんど常に、酒がなくなるか、酒のほうが飲み手をうちまかしてこれをべろべろにしてしまうかしなければやまらないのである。」と、「美味礼讃」でサヴァランは渇きを分析しています。また、この渇きと来世への不安を、人間の特徴であるともいっています。


「矢筈」の看板
「酒屋の看板に矢筈(やはず)を出すのはどうしたわけだ」「あれは人のゐる(矢を射る→人が入る)やう(よう)にとのことさ」、「そんなら、すや(酢屋)のかんばんに水嚢(すいのう)の底のなひ(無い)ものをするはどうじゃ」「あれはなんぼゐて(射て)も、すや」云々。素矢・酢屋、和訓通ず故なり。  これは、「守貞謾稿」(岩波文庫)の酢のところにあるものです。これによると、酒屋は「矢筈(矢のやじりの逆の方にある、弓のつるにひっかける部分)」を看板として掲げていたことが分かります。果たして「射る=入る」のしゃれからきたものなのでしょうか。それなら矢そのものを飾ってもよいのではなどとも思うのですが。酢屋は、底抜けの柄杓のようなものを飾っていたようです。


太地喜和子と大地真央
文学座の太地喜和子と、宝塚のスターだった大地真央の二人を、テレビが対談させた。つまり太地と大地ということから思いついた企画らしい。ところでこの二人の女優は酒が強く、十杯の水割りでやっと酔いがまわるという飲み手である。このテレビの時、局が気を利かして、ウイスキーを用意していたが、昼の番組なので、露骨に酒をわかっても困る。二人はウイスキーをグラスに注いでもらい、冷たい紅茶と見せかけストローで吸った。すると、おどろくほど酔っ払ってしまった。女優は、翌日顔を見合せて、「あのお酒は、何だったのかしら」(「最後のちょっといい話」 戸板康二) ストローで酒を飲むと酔うという話がありますが・・・。


昭和16年5月6日
「晴。貪眠半日。燈刻七時過出でて銀座に飯す。数日来市中いづこの煙草屋にも巻煙草なし。或店にて きくに毎日配給あれど 早朝一、二時間にて売切となるといふ。また、日本酒の配給は一家族に一個月一合の割当なり。これは飲食店へ配給せし残りの酒なるべし。理研とやらにて化学的に調合せし酒なれば一種の臭気ありて口にしがたし。土方の飲む悪酒なりと言ふものもあり。」永井荷風の「断腸亭日乗」です。昭和20年8月の4年前に、日本はすでにこのような物のない状態であったことが、こうした日記で何となく分かります。


医(醫)
医という字は、酒に関係があるのだそうです。医の旧字体は「醫」で、「医」と「殳」と「酉」から成り立っています。まず、「医」は「匚」(はこがまえ)と「矢」で、矢をしまい込む容器を意味するのだそうです。そして、「医殳」(えい、一字)は、「医」に「殳」(るまた、動作をあらわす)を加えて、しまい込む動作をあらわしたのだそうです。最後の「酉」は酒壺をあらわすのだそうです。結局「醫」は、酒壺に薬草を封じ込み薬草酒を醸すことを意味したのだそうです。医者をあらわす医の字は「医殳」(一字)の下に「巫」を書いたもので、「みこ」と同様の漢字だったのだそうです。「医」の字と「醫」の字は元々は別だったのだそうですが、今は「醫」の略字とされているのだそうです。藤堂明保の漢和辞典にあります。確かに「醫」は漢和辞典には「酉」(とりへん)の所にあります。


古代中国の酒器
周代の制度では、一升をいれる酒の容器を「爵(しゃく)」といい、、二升を「觚(こ)」といい、三升を「角単(し、一字です)」といい、四升を「角(かく)」といい、五升を「散(さん)」といい、一石を「壺(こ)」といいったそうです。また、これらの別名には「盞(さん)」「尊(そん)」「杯(はい)」などがあって、その呼び方は一様でないと、北宋・竇苹(とうひょう)の「酒譜」が記しています。(訳・中村喬、この部分は「礼記」に後漢の時代になって付された注にあるのだそうです。)。当時の一升は今の一合強の量だったそうですから、爵といってもそう大きなものではなかったように思われます。ただ、博物館でよく見る青銅製の爵は、軽く一升は入りそうに見えます。


明治の酒学者
明治の酒学は、いわゆるお雇い外国人で、現在の東大の教授となったアトキンソンやコルシェルトらによってはじまったといってよいようです。その後、明治37年設立の醸造試験場の評議員であった大蔵省の矢部規矩治は、日本で初めて清酒酵母を純粋分離して、サッカロマイセス・サケ・ヤベと報告したそうです。また、時の東大教授・高橋禎三は、醸造試験所を指導し、全国銘醸家から酒母を集めて酵母を分離研究し、協会会酵母一号として実用化の道をひらいたそうです。(「吟醸酒の話」 秋山裕一、熊谷知栄子)


酵母の誕生
地球が誕生したのは今から45億年前だそうです。その地球に最も小さな生命として「微生物」が登場したのは約36億年前といわれているそうです。そのころ生まれた微生物の中には、糖を醗酵させてアルコールにすることのできる酵母もあったことが、南アフリカで発見された先カンブリア紀の岩石中から発見された微化石(微生物の化石)によって証明されているのだそうです。(「つい披露したくなる 酒と肴の話」等 小泉武夫) ということはその頃すでに単糖類があり、アルコールがあったということで、そうだとすると、人類誕生の数十万年前までは、アルコールは無為に放置されていたわけで、もったいなかったというかなんというか・・・。


草野心平の酒
詩も酒も18歳からという草野心平の酒は陽気なものだったそうです。飲み出すと、部屋に蛙の合唱が響き渡る。ぎゃわろつぎゃわろろろろりつ、ぎゃわろつぎゃわろつぎゃわろろろろりつ、ぎゃわろつぎゃわろつぎゃわろろろろりつ……。と、とめどなく続くのだそうです。昭和7年、29歳の時、麻布十番に焼鳥屋「磐城」を、続いて、新宿角筈で「磐城」を、戦後は、文京区田町に赤提灯をさげた「火の車」を営業したそうです。「火の車」の鴨居には、北海道の漁師から贈られたという、3b余のイカの干物が飾られていたそうです。(「日本酒仙伝」 篠原文雄)


「美味礼讃」のアフォリズム
有名な、「どんなものを食べているかいってみたまえ。君がどんな人であるか言いあててみせよう。」というアフォリズム(箴言)とともに、サバランの「美味礼讃」のはじめには、以下のような飲み物に関するものが並んでいます。
 胸につかえるほど食べたり酔っぱらうほど飲んだりするのは、食べ方も飲み方も心得ぬやからのすることである。
 飲み物の順序は、最も弱いものから最も強く最もかおり高いものへ。
 酒をとりかえてはいけないというのは異端である。舌はじきに飽きる。三杯目からあとは最良の酒もそれほどに感じなくなる。
 主婦は常にコーヒーの風味に責任を持たなければならず、主人は酒類の吟味にぬかりがあってはならない。
2番目は、清酒の場合どうでしょう。最後が、香り高い吟醸酒がよいか、濃い原酒がよいか。むしろさっぱり型の方がよいような気もしませんか。


のど越しの味
味は味蕾(みらい)という味覚細胞によって知覚されます。舌の先にある味蕾で甘味を感じるとか、奥で苦味を感じるとかいわれますが、味蕾はのどの奥から食道の上部にも沢山分布しているそうです。新潟大学の真貝助教授('98出版当時)によると、のどの奥にある味蕾は、水や二酸化炭素によく応答するのだそうです。ただの水に応答するということで、のどが渇いている時、水が美味しいと思うのはこの味蕾のせいなのだそうです。また、二酸化炭素に応答するというということは、ビール等の泡を感じることであり、のど越しの感覚というのは正にこのことなのでしょう。(「味と香りの話」 栗原堅三) 二日酔いの水のうまさを感じるのもここだとすると、ノンベイにとってのどの奥は大変大事な場所であるといえましょう。


断腸亭日乗
昭和20年8月14日 燈刻 谷崎(潤一郎)氏方より使の人来り津山の町より牛肉を買ひたればすぐにお出ありたしと言ふ。急ぎ小野旅館に至るに 日本酒もまたあたためられたり。細君 下戸ならず。談話頗(すこぶる)興あり。九時過 辞して客舎へ帰る。深更警報をききしが起きず。
昭和20年8月15日 S君夫婦、今日正午ラヂオの放送、日米戦争突然停止せし由を公表したりと言ふ。あたかも好(よ)し、日暮染物屋の婆、鶏肉葡萄酒(ぶどうしゅ)を持来る、休戦の祝宴を張り 皆ゝ酔うて寝に就(つ)きぬ。
3度の戦災を被り、生死の間をさまよいながら岡山に疎開していた、時代への反骨漢・永井荷風が、その頃の日記中、2日続けて酒を飲んだように記しているのが8月14、15日というのには不思議な気がします。(「摘録 断腸亭日乗」 岩波文庫)


製造時期による清酒の名称
 新酒(秋彼岸頃から造り始める酒)
 間酒(新酒寒前酒の間に造る酒)
 寒前酒
 寒酒
4種類の酒造りが「日本山海名産図会」(寛政年間) で紹介されています。これで見ると、今と比べると随分早くから造りがはじまっていることが分かります。


山田正一語録
「吟醸香を思い切りいっぱい集めて、あの芳香の正体をあばいてみたいですなあ。君!ロマンじゃないですか。やろう、やろう」
「あのすばらしい吟醸香を大気中に逃がしてしまうのはもったいないですなあ。あれをひっつかんで酒に戻せば、酒には吟醸香がついてすばらしい製品になるんだがなあ。君!ロマンじゃないですか。やろう、やろう」
「いろいろ考えましたが、結論としては飛散しているガスをマイナス何十℃という低温器に導くことが一番のようですね。−」
冷凍機付き吟醸香捕集装置完成
「こんなにうまくいくなんて、えへへへへ。君!ロマンですなあ」(「つい披露したくなる酒と肴の話」 小泉武夫) ヤコマン開発のエピソードですが、山田正一の研究者としての「おもしろさ」「ユニークさ」が近くにいた人だけにうまく描かれています。


季語 だくしゅ(濁酒)
「濁り酒は多くの場合一度仕込みで、飯で麹を加えて醗酵させて、それが甘酒から辛酒に変わると飲む。長くおくと酸(す)くなるので、灰汁(あく)を加えて中和させることもあり、また飯を追加していわゆる二度仕込みにすることもある。これを密醸する場合には杉の若葉や草の花を陰干しにしたものにつくかびを種にして麹をつくったという。」 「合本俳句歳時記新版・角川書店」にあります。後半の麹造りの部分は本当なのでしょうか。そうだとすると大変興味深いことです。
老の頬に 紅(くれない)潮(さ)すや 濁り酒 高浜虚子  
どぶろくに ゑうて(酔うて)身を投ぐ 大地あり 森川暁水


火野葦平の酒
「麦と兵隊」「花と龍」等の作品を書いた、「火野葦平の酒は、もっぱらビールだったというが、酒量はびっくりするほどだったらしい。井伏鱒二、今日出海がモダン日本社主催の講演会で博多にゆき、旅館で、朝ゆっくり起きると、前夜、その宿の主人が部屋に届けてくれた一ダースのビールが、四本しかない。尋ねると、主人がいった。『今朝、火野先生が原稿を二十枚お書きになりながら八本おのみになりました。』」
火野葦平の戸板康二の「最後のちょっといい話」にあります。


酒造好適米の来歴
 <山田錦>←<山田穂>+<雄町=渡船>
 <五百万石>←<菊水(雄町系)>+<新200号(亀ノ尾系)>
 <高嶺錦>←<東北15号(亀ノ尾系)>+<北陸12号>
 <美山錦>←<高嶺錦(放射線照射による突然変異)>(「吟醸酒の話」 秋山裕一+熊谷知栄子)
これら酒米開発の一つ一つの裏側には色々なドラマがあったのでしょう。


上田万年・大辞典の酒字
酒力(しゅりょく):酒の人を酔わしめる力 酒困:酒に酔うてみだる 酒伴(しゅはん):酒のみ友達 酒社(しゅしゃ):酒宴のあつまり 酒保(しゅほ):酒家の傭夫、さかとうじ、酒を沽るもの、我が国にて兵営内にて主食品物を売るところ 酒翁(しゅおう):さかとうじ、酒ずきのおきな 酒海(しゅかい):昔、酒を盛りし一種の器 酒渇:酒に酔ひてのどのかわくこと 酒酲(しゅてい):わる酔い、二日酔い 酒顛(しゅてん):酒のみてみだる 酒の字の項に並ぶ、98の2字熟語の内のいくつかです。


守貞謾稿 酒
「古(いにしえ)より清濁あり。清酒をもろはくと云ふ。諸白なり。濁酒を片白(かたはく)と云ふなり。今、江戸の俗の中汲(なかくみ)と云ふも、濁酒の一種なり。また、異名種々ある中に、竹葉と云ふ名あり。これに因(ちな)みて、女詞に「さゝ」と云ふ。笹なり。また「崇神紀」に、宇麻佐開(うまさけ)、瀰和(みわ)、云々。三輪山には杉を神木とす。この故(ゆえ)に酒店の招牌(かんばん)に杉葉を用ひ、さかばやしと号(なづ)け酒はい(酒旗)に代へる。」 濁酒を片白というのはどうでしょう。片白は、麹米と掛け米のうち、掛け米だけを精米したものですが、この当時このような言い方もあったのでしょうか。守貞謾稿は、喜田川守貞が、天保8(1837)年から30年間かけてまとめたという生活資料の集大成で、その広汎さには驚かされます。


吉行淳之介の酒
吉行淳之介は、外で飲む酒を、日本酒二本を定量にしようと思い、毎月ゆく料亭へ行った時、それを告げ、「徳利に番号がついていると便利なんだが」といったら、やがて運ばれた二本目に、「二」と書いた紙がセロハンテープで、貼ってあった。うれしくなった吉行は、その帰り、銀座に出て、ビールを延々と飲んでしまった。(「最後のちょっといい話」 戸板康二) 定量を四本にしていたらひょっとすると無事ご帰宅だったかも。誰にでもありそうな話のような気もしますし、いかにも吉行らしい話のような気もしますし。


燗をする酒
日本酒も中国酒も燗をするのは麹を使った酒であり、これは単なる偶然ではないそうです。熟成の間に他の酒には見られない麹酒特有な熟成成分が増加し、これを飲むと口当たりがまろやかでコクも楽しめるということが燗をして飲むようになった理由の一つだそうです。また、東洋的な医学思想の冷熱の中間で飲むのをよしとするものがあり、さらに、客へのもてなしとして、燗をするというもてなしの品に手を加えるという礼儀もあったことも、清酒をお燗して飲む理由なのではないかと、小泉武夫は「つい披露したくなる酒と肴の話」でいっています。


「青田核」
「古今注」に、「烏孫(うそん)国に「青田核」というのがある。その樹や花がどのようかは知られないが、実核(たね)の大きさは五、六升はいるひさご(ひょうたん)ほどで、中を空にして水を入れると、酒になる。[漢の]劉章(りゅうしょう)が、かつて二個手にいれ、客を招いてこれで飲んだ。一つで二十人の飲に供することができ、一つができるころには、もう一つが酒になっている。ただ長く置くと味が苦くなる。」という話があると、北宋・竇苹(とうひょう)の「酒譜」が紹介しています。(訳・中村喬) 種に水が五、六升はいる大きさであるとすると、その種の入った実そのものは大変な大きさだったということですが、それにしても欲しいものです。


裏ラベル
最近の清酒に貼られている裏ラベルには、色々な情報が書かれていて、購入時の大きな判断材料になります。
日本酒度:一般的には、−は甘め、+は辛目。 酸度:1.5位が中間といったところでしょうか、大きくなると味は「強く」感じられ、少なくなると「甘く」感じます。 アミノ酸度:2以下が普通で、多いと「味が多」くなり、少ないと「淡麗」になります。 使用酵母:6,7、9号ほか色々 精米歩合:一般の酒は70%、吟醸酒は50%が中間といっていいでしょう。 杜氏名:一番大事な人の名前です。 飲み方:飲む時の酒の温度を表示しているようです。 味のタイプ:甘辛と、味の濃淡を縦横の座標軸にしたものが多いようです。
ただし、いくら裏ラベルを読んでみても、飲んでみないと中身の味はほとんど分かりません。


内田百閧フ酒
岡山の酒蔵に生まれた内田百閧ヘ、おばあさんから「学校を出るまで飲んではなりませぬ」といいきかされたので、日本酒は東大を出るまで、ついに飲まなかったそうです。ただし、おばあさんはビールを酒とは思っていなかったので、六高にはいると、さっそくビールを飲み始めたそうで、大学卒業前頃には、ビール6本飲んでも、一度も小便に立たないことを自慢するところまでになっていたそうです。玄関に「面会謝絶」や蜀山人の「世の中に人の来るこそうるさけれ とは云ふもののおまえではなし」といった貼り札を掲げる「人間嫌い」でもあったそうです。(「日本酒仙伝」 篠原文雄)


真精米歩合
酒米の精米は、普通の清酒でも2〜3割、吟醸酒の場合は4〜7割にも及びます。精米を進めることを、精米歩合がたかいと表現します。その精米歩合ですが、精米後の重量を精米前の重量で割ったものをいい、「見かけの精米歩合」といいます。しかし、精米が上手におこなわれないと、砕けてしまった米が精米後に出てきてしまい、発酵が順調にいかなくなる可能性があります。そこで、精米後のしっかりと精米出来た米(整粒)1000粒の重量をはかり、これを、精米前1000粒の玄米重量で割ります。この数字を真精米歩合といいます。砕けた米が多いと、見かけの精米歩合と真精米歩合の差が大きくなり、精米の良し悪しが判断出来ます。


「酒は源氏」
林房雄が拘置されているあいだに、労役として、酒の瓶にレッテルを貼らされた。出所して、たのしくてたまらず、散歩しながらふと見たら、電柱に広告があって、「酒は源氏」 林の毎日見ていた、書体だった。(「最後のちょっといい話」 戸板康二)
林房雄は、プロレタリア作家から「転向」して右翼の立場から論陣を張った作家、評論家ですが、思想犯として拘置されていた人が酒のレッテル貼りをさせられることもあったとは知りませんでした。多分この「源氏」は合成酒だったのでしょう。


麹町
都内麹町の名前の由来は、麹屋が多かったから、小路が沢山あったから、武蔵国府(府中)に向かう途中の街なので国府路町から、といった江戸期の説があるそうです。千代田区四番町歴史民俗資料館発行の「発掘された神田の町」には、寛永8(1631)年以、来幕府御用を勤めた麹屋三四郎に因んだという説を紹介しながら、最近の建設工事による発掘によって相次いで地下の麹室が発見されていることを記しています。発掘された遺跡では、中央の縦穴から小さな横穴を介して4〜8方に室が延びているそうです。麹町地域では甲州街道沿いに17世紀の麹室が多数発見されているそうです。現在でも神田明神前老舗甘酒屋・天野屋が地下の室で麹を作っているそうですが、これが江戸方式なのでしょうか。麹町の麹は味噌や醤油だけでなく当然清酒にも使われたのでしょうが、どんな蔵元に使われていたか興味深く思います。


碧筒杯(へきとうはい)
魏の正始(240〜249)中、鄭公愨(こうていかく)が歴城(山東省)の北林に避暑していたときのこと。大きな蓮の葉をとってきて、硯格(すずりおき)の上に置き、酒三升をいれ、葉のつけねに簪(かんざし)で穴をあけて茎と通じさせ、その茎を象が鼻をあげたように曲げて、先端から酒を吸い、回し飲みして「碧筒杯」と名付けた。このことは『酉陽雑俎』に見えるそうです。(「中国の酒書」の「酒譜」 中村喬訳) 「象鼻杯」として、御酒の雑話2にも紹介してありますが、この名前の方が優雅です。なぜ硯置きの上にのせるのかよく分かりませんが、この頃の中国の「1升」は、現在のほぼ1/10ですので、蓮の葉で十分にできる遊びです。


プロテオリピド
麹の役割の一つに、酵母への栄養源の供給ということがあるそうです。その栄養源の中に、プロテオリピドという微量物質があり、これはタンパク質とリン脂質とが結合してできるものなのだそうです。酵母は自身の生活活動によってアルコールを生産するのですが、そのアルコールによって成育数が減ったり、アルコール生成能力が落ちます。その時、酵母のアルコール生成力を高める役割を果たすものがプロテオリピドなのだそうです。このように、麹は世界最高の醸造酒としてのアルコール濃度をもつといわれる清酒を生産することに大きく寄与しているのだそうです。(小泉武夫 「つい披露したくなる酒と肴の話」) 清酒とは知れば知るほど面白いものですね。


酵母の役割
 @ブドウ糖に作用してエチルアルコールを生成する
 A芳香性の高い高級アルコールやエステルを生成する
 小泉武夫の「つい披露したくなる酒と肴の話」にあります。
このほかにも、酒に味の幅を持たせる酸等の成分も生成します。米麹と酵母の共同作業が清酒という独特のアルコール飲料を作っているということなのでしょう。


麹の役割
 @米の溶解(デンプンやタンパク質の分解)
 A酵母の栄養源の供給(アミノ酸、プロテオリピド)
 B香味成分の生成
 C熟成への関与(生成物が時間とともに変化し、まろやかに熟成する)  (「つい披露したくなる酒と肴の話」 小泉武夫)


酵母の働き
 [材料]          [働くもの]   [できる物質]
 ブドウ糖       −(酵母)  → アルコール
 ブドウ糖       −(酵母)  → 有機酸
 ブドウ糖       −(そのまま)→ ブドウ糖
 ペプチド、アミノ酸 −(酵母)   → 高級アルコール
 ペプチド、アミノ酸 −(そのまま)→ ペプチド、アミノ酸
 脂肪酸        −(酵母)  → エステル
 グリセリン      −(酵母)  → グリセリン
 ビタミン、アミノ酸 −(そのまま)→ ビタミン、アミノ酸     (下の続きです。「最新酒造読本」)


麹からできる酒の素材
 [麹にある物質]    [分解酵素]     [分解されてできる物質]
 デンプン       −(アミラーゼ)  → ブドウ糖
 タンパク質     −(プロテアーゼ) → ペプチド、アミノ酸
 脂 肪        −(リパーゼ)   → 脂肪酸
 脂 肪        −(リパーゼ)   → グリセリン
 ビタミン、アミノ酸 −(そのまま)    → ビタミン、アミノ酸     (酵素も麹にあるものです。「最新酒造読本」)


田中貢太郎の酒
「旋風時代」の著者で酒仙の一人であった田中貢太郎の家を訪ねた際の話を、篠原文雄が「日本酒仙伝」で紹介しています。ふるさと高知から届いた土佐鶴の4斗樽が座敷にすえられ、主人と客との脇にそれぞれ置かれた火鉢の中には汽車旅行で買い求めた茶色の土瓶が金網の上にのせてあり、めいめいがこれでお燗して飲むのだそうです。杯も同じ茶色がかった湯飲みが用いられていたそうです。そして漆塗りの円形の食卓には土佐産の干物の小魚が色々と並んでいたそうです。ご本人は「泣くほどうまい酒だ」とご満悦だったそうです。4斗樽には土佐弁がよく似合うといったところでしょうか。


「神農本草」
「酒味は苦く甘く辛く、大熱にして毒あり」という言葉の出典です。伝説上の三皇の一人炎帝・神農に名を借りて漢魏の間に成立した本草書で、本草書の祖となった。のちに原形のままでは通行せず、各本草書に吸収されたそうです。今日では復元本があるそうです。(「中国の酒書」 中村喬訳) 三皇には諸説があるようですが、伏義・神農・黄帝が一般的のようで、その神農は人身牛頭という姿だったそうです。神農は薬草の試食のために命を落としたのだそうです。散逸した文献をまとめて「神農本草経」として「神農本草」を後世に伝えたのは陶弘景という人だそうです。


風呂上がり唄(前唄
酒は諸白 肴は小鯛 特にお酌は しのび妻
酒はよいもの 気をいさまして 飲めばお顔に 色を出す
酒はのまんせ 一合や二合は 三合までなら 買ってのまそ
酒は飲みたし 酒代はもたず 酒屋酒屋を 見てとおる
酒はのましゃれ 酒代はわしが はろて行きましょ かどかどえ
酒と名のつく きちがい水を 誰がのませた 主さんへ(灘の酒造り唄 「改訂 灘の酒 用語集」)


正宗白鳥の酒小話
「正宗白鳥の所に、昔は毎月龍土軒というレストランから、その月のメニューを送って来たという。ところが、毎月、宛名が、正宗白馬様になっている。『まちがえるのに事欠いて、酒ののめないぼくの名前をドブロク(濁り酒)にしなくてもいいと思った。しかし、考えてみると、名字が正宗だな。』」(戸板康二 「最後のちょっといい話」) どぶろくのことを白馬(しろうま)といいます。また、清酒を正宗といい、仏教の正宗(せいしゅう)からとも、正宗(まさむね)の名刀の切れ味からともいわれています。宛名の間違いにはくれぐれも注意しましょう。


二日酔いしなくなった理由
「二日酔いの悪魔が去った頃、のぞいた鏡にバケモノが映っているのを発見したからだ。お肌がガサガサ、まるで顔中がアルコール消毒したみたいに艶がなく、青白く、土気色。目のまわりはクマだれけで、シミや吹き出物が突然お目見えする。おまけに上から吐く。下から下痢するわで、頬はげっそりと死神のようなわが姿。ひどいときだと一晩で二キロくらい痩せる時がある。うらやましいって?冗談じゃない。死神おババにはなりたくないでしょ?」(「女とお酒のいい関係」 友田晶子) 男性の場合も教えてほしく思います。


吟醸香の正体(2)
清酒成分の研究をしていた山田正一による、吉澤淑、小泉武夫の研究により、吟醸香は高級アルコール(炭素原子の多いアルコール)とその酢酸エステル類(酢酸とアルコール類との化合物)と脂肪酸エステル類(脂肪酸とアルコール類との化合物)から成ることを明らかにされ、これらのバランスのとれた複合香であることが報告された。これも秋山裕一、熊谷知栄子共著の「吟醸酒の話」にあります。


吟醸香の正体
合成清酒の最盛期に、理化学研究所の坂口研究室の酒類部門(飯田茂次グループ)がクロマトグラフィー分析によって吟醸酒の香気成分を片っ端から合成して芳香物質を検索したのだそうです。その結果、正バレリアン酸エチル(香気の検討:吟醸香)とカプロン酸エチルエステル(香気の検討:吟醸香に近くかすかに脂肪臭)の発見となったのだそうです。ただ前者は天然に発見されていなかったものだそうです。これは秋山裕一、熊谷知栄子共著の「吟醸酒の話」にあります。理研で見つかったというのが面白いですね。


酒場にて
京都の酒場で、夜おそく飲んでいると、カウンターの隅にいる若者が泣いている。失恋したらしい。「つらあてに死んでやる」などといい、フラフラと立ち上がると出て行った。なだめようもなく、あっという間に去ったので、店の人と顔を見合わせて、「本当に死んだら大変だ、追いかけよう」と立ち上がった時、ガラッと戸があいて、その若者が言った。「忘れたカサを取りに来ました」
戸板康二の「最後のちょっといい話」にあります。


仕舞(しまい)の謡物(うたいもの)(留仕込二番櫂)
お日はちりちり 山端にかかる わしの仕事は 小山ほど
わしの仕事は 小山ほどあれど もはやお日さんは くれかかる
お日がくれたら 明かりをつけて 親の名づけの  妻を待つ
親のなづけの 妻さえあれば わしもこのよに 身はすてぬ
次々と話題を変えながらまだまだ続きますが、この部分では昔の仕事のつらさが謡われています。


アルコールの比重
アルコールの濃度は通常、容量で計ります。つまり、15℃のとき、100cc中に何ccアルコールがとけ込んでいるかで計るのです。アルコール100%の時の比重は0.7947なので、水より2割位軽いのです。従って、アルコール濃度が低くなるほど比重1である水の部分が増えますので、比重は大きくなるということです。それでは、アルコール濃度が15%の普通の清酒の比重はどのくらいでしょう。糖分等が一切入っていないもの、つまり、焼酎のようなものは0.9812です。ただ、清酒には糖分等のアルコールより比重の大きなものが溶け込んでいますので、結局は大体水と同じくらいの比重となります。


パリ産ワインと東京産清酒
パリのモンマルトルに今でも小さなブドウ畑があり、そこのブドウで今でもワインが造られているそうです。名前は、クロ・モンマルトルというのだそうです。もう一つ、パリのワインバーのオーナーによる初年度3房のブドウ栽培をきっかけに、200人に達する同好者が自分の庭やバルコニーで収穫したブドウを持ち寄りワインを造るようになったそうです。ワインは持参したブドウに比例させて配分され、残りは販売されるのだそうです。(「フランスワイン とっておきの最新事情」 宇田川悟) 清酒に関して都内では唯一の蔵元・小山酒造がありますが、都内の庭やスチロール箱で栽培された米で酒を造るという話は出てこないものでしょうか。


居酒屋八百八町 店長成功の法則
凡事徹底 @自分の仕事を楽しんでのめりこみなさい Aお客様が我々のビジネスのただ一つの存在理由です A−早く、美味しく、やさしく、親切な行動の積み重ねが、お客様に良い時間と心をお返しできると信じて行動しなさい Cお客様の期待を超えなさい Dチームワークを大切にしなさい E仲間にはできるだけすべてのことを知らせなさい F仲間の採用と教育はスマイルと躾が基本です 教育のポイントは認める、誉める、励ますを何回も繰り返すことです Gパート、アルバイト − を社員、店長の大切なお客様としてその話をよく聞きなさい H競争相手よりも経費をうまくコントロールしなさい I「修(基礎)」「破(基礎を破る)」「離(離れてより上を目指す)」 略しましたが、石井誠二「居酒屋の道」にあります。


清酒 二重橋
宮内庁管理部参観課に申し込むと、1週間後に皇居参観ができます。宮内庁の職員が、宮殿前広場や、富士見櫓、旧元老院の外観、蓮池濠等を解説付きで案内してくれます。その時の出発地は桔梗門を入ったところにある窓明館という建物ですが、ここには宮内庁生協売店があり、参観記念の土産物が売られています。もちろん、酒も置かれています。酒銘は「二重橋」で、吟醸純米酒、醸造元は、東村山市の豊島酒造です。そのほかに、ドイツ産白ワインが置かれています。


十便十宜図
川端康成が持っていた、蕪村と大雅の合作による国宝「十便十宜図」(隠棲して10の便利なことと宜(よ)いことの図という意味)の「宜秋」は蕪村が担当し、その中に酒の詩(七言絶句)があります。
門外時々列錦屏(門外 時々列す 錦の屏)
千林非復旧時青(千林 また旧時の青にあらず)
一従澆罷重陽酒(重陽の酒を澆(そそ)ぎ罷(おわ)りしより)
酔殺秋山便不醒(秋山を酔殺(すいさつ)して 便(すなわ)ち 醒めしめず)
紅葉で錦となった山を、11月11日、重陽の節会の酒に酔って醒めないでいる様とみた17世紀の中国詩人李笠翁(りりゅうおう)の詩を、蕪村がかいたものです。いいですね。


醸造酒と蒸留酒
清酒と焼酎の違いを聞かれて、すぐに答えられない場合が多いようです。その違いは、発酵させただけか、それをさらに蒸留したかにあります。蒸留させますから焼酎は当然アルコール度数が高くなります。一方、蒸留されて出てくるものはアルコール分等、揮発性の物質ですから、糖分は入っていません。従って色は無色で、「上手に」蒸留すれば限りなく純粋アルコールに近づき、癖のないものになります。単純にいってみれば清酒を蒸留したものが焼酎です。同様に、ワインを蒸留したものがブランデー、ビールを蒸留したものがウイスキーであるといってよいでしょう。


「たたけよ酒屋開かれん」
毎年、酒造組合が、酒にちなんだカルタを公募する。ある年、一等は「ツケの一声」というのだっが、審査員の田辺聖子のも、覚えている。「たたけよ酒屋開かれん」 戸板康二の「最後のちょっといい話」にあります。「御酒の雑話3」にある「お酒のイロハ」がそれらから選ばれたもののようですが、良いものをみな捨ててしまったような気がしないでもないような。酒造組合という立場上仕方なかったのでしょう。 飲み過ぎ損の宿酔もうけ われるような頭に閉じるまぶた 酒に茶はかえられぬ ツケも積もって山となる などというのもあったのでしょうか。


名犬六助の碑
向島・長命寺に六助塚というものがあります。上部に鼠取誉犬とあり、下部に漢文で顕彰文が彫られています。その内容は、飼い主に忠実で家を守ったこの犬には「奇技能」があり、鼠属で六助の前を過ぎるものは死を免れなかった。その「軽捷」は猫に数等勝っていて、「鼠取六助」といわれた。ところが屠犬者の手によって死んだ。その不幸を悲しみ、資を募ってこの碑を建てた。といったものです。明治21年に建碑されています。なぜここで取り上げるかというと、飼い主が北新川の酒問屋某だからです。ところが不思議なことに、世話人等の名前は記されているのに、本人の名前は某となっています。土台がかわいい犬になっています。桜餅のついでにご覧になってみてはいかがですか。


矢大臣
居酒屋で空き樽に腰掛けて酒を飲むことや、その居酒屋や、そこで飲む人のことをいうのだそうです。なぜ、矢大臣かというと、飲む姿が矢大臣に似ているからとも、居酒屋で飲むのは随身者つまり家来だからともいわれるようです。その矢大臣は神社の随身門に安置される二身の神の俗称だそうで、隋身者というのは隋身門からの発想のようですす。(広辞苑) 二神なので左大臣と右大臣というのが、矢を背負っているので右大臣が矢大臣といわれたというのが大言海の見解です。


酒に関する漢字
酒を造ることを「醸」という。酒を売ることを「沽(こ)」という。二度醸(かも)すことを「酘(とう)」という。酒をこすことを「酉麗(し・一字です)」という。酒の澄んだものを「酉票(ひょう・一字です)」という。白い酒を「酉差(さ・一字です)」という。厚(こ)い酒を「酉需(じゅ・一字です)」という。相い飲むことを「配」という。相い強いることを「浮」という。(杯を)飲み尽すことを「酉爵(しょう・一字です)」という。酒を使う(勢いをかりる)を「酉凶(一字です)」という。飲んで顔の赤いのを「酉它(た・一字です)という。酒に病むのを「酲(てい)」という。主人が客に酒を進めるのを「酬」という。客が主人に酌むのを「酢(さく)」という。銭を合わせて共に飲むのを「醵」という。…と「酒譜」(11世紀後半、中国、中村喬訳)にあります。酒にかかわる言葉はきりがなく、ことごとくあげるわけにはいかないとしています。(活字がないのでいくつも抜きました。)


小杉放庵の酒
春陽会に加わった画家・小杉放庵(未醒)も酒が好きだったそうです。はじめは小さな杯でちびちびやっており、その後、吸い物椀の蓋(ふた)を杯代わりにして飲み出すのだそうです。そして何杯飲んでも膝一つくずさないしゃんとした飲みっぷりだったそうです。矢継ぎ早にお酌をすると、「酒は貴いものだ。でたらめに飲むものではない。酒こそ高貴なものである。」といって怒ったそうです。(「日本酒仙伝」 篠原文雄) 本道を行く酒飲みだったようですね。


英国人と日本人
「イギリス人と日本人は酒の飲み方がとても似ているのさ。そこに大いなる共通点が見出せる。ところで、キミ、カルマ、つまり業(ごう)とか性(さが)という言葉を知っているだろう。この言葉の意味をよく理解できるのは日英両国人だ。だけど、フランス人はチンプンカンプン。この言葉のもつ深層心理など奴らフランス人には絶対に分からない。日英人は業を忘却するために酒を飲む。ときには、度を超さなければ忘れられない。だから浴びるように飲む。飲んで飲みまくり、浮き世の憂さを晴らさないと生きていけないんだ…」(「フランスワイン、とっておきの最新事情」 宇田川悟) なるほどなるほど。


もと掻(か)き唄
夜中起きして もとかくときは 親のうちでの 事おもう
親のうちでの 朝寝のばちで 今は初夜起き 夜中起き
ねむいめむたい こうねむとては 永の冬中が つとまりょか
とろりとろりと ねむたいときは 馬に千駄の 金もいや
馬に千駄の 金さえあれば わしもこのよに 身はすてぬ
もとを撹拌する時の唄ですが、沈んだ歌詞が続きます。(「改訂灘の酒用語集」)


鹿鳴館会合の小話
陸奥宗光が米国に公使として赴くにあたり、その際、当時すでに役目を終えていた鹿鳴館を宿としたそうです。陸奥のなみなみならぬ世話により同志社が立ち上がったことから、新島襄らが出立前の小宴を鹿鳴館で催すことになったそうです。ところが新島は禁酒家だったので酒抜きの会を考えていたところ、ドイツ仕込みのクリスチャン青木周蔵は、「せっかく人を集めて置いて、ビールも飲ませぬなどばかばかしきことがあるものか」と盛んに異論を唱え出したそうです。その解決法は、陸奥が「青木等が酒が飲みたければ、予の室に備えておくから、飲ませても差支えない。」という妥協案だったそうです。ちなみに陸奥は「愛杯酒」と詠っているそうです。「蘇翁夢物語」(徳富猪一郎)にあります。


南柯(なんか)の夢
中国・淳という人が酔って古い槐樹(かいじゅ、えんじゅの木)の下で眠り、夢の中で大槐安国に至り、王命によって南柯郡守に封ぜられ二〇年を経たそうです。夢からさめて槐樹の下を見ると、二つの穴があり、一つの穴には大蟻が王として住み(大槐安国を意味する。)、他の穴は南枝の方を向いていた(南柯郡を意味する。南柯とは南にさし出た枝のことだそうです。)という故事が「異聞集」あるそうです。それから、「南柯の夢」を、夢のこと、また、はかないことのたとえにいうのだそうです。広辞苑にあります。


蔵人(くらびと)の役職名
杜氏(とうじ) 頭(かしら) 代司(だいし)(衛門:えもん) もと廻り 道具廻し 釜屋 上人(じょうびと) 室(むろ)の子 中人(ちゅうびと) 下人(したびと) 飯焚(めしたき) という名称が「灘の酒用語集」に、「首藤氏の醸造大辞典より」としてあります。これを見ると飯焚にも製麹(せいきく)の手伝いなどがあるようで、臨機応変、自分の名称に関する仕事ばかりではなく、お互いに助け合う形で酒造りがが行われていたようです。一般的にいって最小限の役職は、杜氏(総元締め)、頭(杜氏の補佐)、麹屋(麹造り)、もと屋(もと造り)、槽頭(しぼり)、釜屋(酒米蒸かし)といったものでしょうが、酒蔵の規模や、地方によって、名称や仕事の内容も色々あるようです。


魚眼湯
「古法では、まず麹を水に浸し、魚眼湯のように気泡が発(た)てば、米をきれいに洗い、炊(かし)いで飯とし、よく冷ます。」と麹を使用する際の注意が「北山酒経」(12世紀前半・中国)にあります。訳者の中村喬の注によると、魚眼湯は湯が沸く段階の一つで、「茶経」には、「魚目(釜の底から気泡がぽつりぽつりと上がる段階))」「湧泉連珠(気泡が連続して沸き上がる段階)」「騰波鼓浪(気泡もみえないほどに沸きかえる段階)」だそうです。日本では発酵の段階を泡の名前であらわしますが、中国にはそうした表現はなかったのでしょうか。中国では酒の発酵する様子を蟻や蛆と見た表現がありますが、日本にはないようです。


蘇翁の接した伊藤博文
「明治31年の初めである。予は野田大塊と相伴って、伊藤を永田町の総理大臣官邸に訪うた。これも夜である。伊藤は食堂に於てわれら両人を引見し、ストーブに相対し、伊藤はストーブの前に何やら土瓶のようなものを置き、−多分酒であろう−それを温めて、話の間合い間合いに、一人で酌んで、一人で飲んでいた。」 「彼の趣味は全く政治以外にはなかったということができる。酒も女も、謂わば政治道楽の附属物とでもいうか、もしくは安全弁とでもいうかに止まって」いたというのが徳富蘇峰の見解です。(「蘇翁夢物語」 徳富蘇峰−猪一郎−) 酒に関する伊藤博文の小さな挿話です。


酒のアルツハイマー抑制効果
酒を飲んだ時に、二日酔いの主犯の一人であるアセトアルデヒドを分解するアルデヒド脱水素酵素2が、アルツハイマー病と関係が深いとされるアセトアルデヒドと似た化学構造を持つ有毒物質を分解することを日本医科大学老人病研究所の太田成男所長らが明らかにしたということを朝日新聞が2003年1月30日付けで伝えています。従って、酒の弱い人はこの酵素の働きが弱いため、結果的にアルツハイマー病になりやすくなるのだそうです。ただし、無理に飲んだからといって予防になるということではないそうです。人間の体とは誠に面白いものですね。


朝酒は門田を売っても飲め
門田は、屋敷の門近くにあるたんぼのことなのだそうで、耕作するにも楽なので大事なものだったそうです。その門田を売ってでも朝酒を飲めということわざです。五割の金を借りても朝酒は飲め ということわざもあったそうです。(故事ことわざ辞典 東京堂)昔は卯酒(ぼうしゅ、ぼうず)ともいったそうで、卯の時(今の午前六時頃)に飲む酒だそうです。朝酒は味がよいとか体によいといわれていたそうですが、かつて宗教的か民俗的な発想があって、それが忘れられて習慣だけが残ったということなのでしょうか。いまこれをするとアルコール依存の初期症状といったところでしょうか。


歌舞伎の酒尽くし
「ア、思えば思えばおれが身の上、敵というのは二合半酒、一ぱい呑むと忽(たちま)ちに、怒り上戸が癖となり、師匠を殺した科(とが)ゆえに、鬼殺しの罪となり、菰被(こもかぶ)りまでになり下がり、牢にも大方三年酒、今日引き出されては最前から、あすこで様子を菊酒や、もはや冥土(めいど)の迎い酒と、思えば身内がひや酒で、あつい涙がこぼれ梅。エエ、この体がふじみ酒なら、助かる事もあろうのに、切られぬ先から伊丹酒ひらじい酒には猶(なお)苦しい。重ねて名作の、試しにするとは、エエまあ、二つ胴欲じゃ。」(「石切梶原」享保15年初演 MIKARIN WITHより) 人情話の中で、梶原景時の刀の試し切りになる罪人のせりふです。


昔の中国の醸造理論
麦は隠であり、黍(キビ)は陽である。酒を造るには麦で造った麹(こうじ)を浸漬しておいて黍(掛け米にあたる)を投ずるが、これは陽が陰を得ることによって発酵するのだ。(陰陽説での説明。)
「酒は酉(ゆう)なり」とあり、酉は隠中(=秋)にあたる。酉が事にあたると収となる。収は甘である。卯(=春)が事を支配すれば散となる。散は辛である。(春以降の造りは発酵が進むので辛くなり、秋以降の造りは逆なので甘くなる。)
土の甘を(原料米)、水の鹹と合わせることによって、酸味が生じ、木の酸(酸っぱい酒母)を土の甘(掛け米)と合わせることによって辛味が生じる。(酒母は酸っぱくて、そこへ掛け米を投じると酒ができる。)(どれも、「中国の酒書」 中村喬訳)
体験としての酒造りを、中国流の理論で説明していますが、興味深いものです。


とっちり者
髪置(かみおき)は 乳母もとつちりものになり(「柳多留」 3編)
髪置きとは、子供が3歳になったときに、髪の毛の伸ばし始めを祝う儀式のことだそうです。そのお祝いで、乳母も「とっちり者」になったというのがこの句です。「とっちり者」とは何でしょう。酔っぱらいのことだそうです。とっちりもんとも言ったそうです。(「江戸ことば 東京ことば」 松村明) なぜとっちり者が酔っぱらいなのか、この本には書かれていません。珍しく「大言海」には、この言葉自体がのっておらず、「広辞苑」にはのっていましたが、語源はありませんでした。


もとすり唄
目出度(めでた)目出度の 若松様よ 枝がさかえて 葉もしげる
で始まる もとすり唄にも色々な歌詞があるようです。(この出だしは目出度いので宴席でよく唄われるそうです。この作業をやめたのが山廃もとです。)
逢うて別れて 松原ゆけば 松のつゆやら 涙やら
涙こぼせば 痴話じゃと言うてじゃ 痴話で涙が こぼさりょか
涙こぼして 筆とりあげて 書くはいとまの 去り状かく(「改訂灘の酒用語集」)


隅田川(2)
角田川(すみだがわ) うきねの鳥も 下戸ならず(武玉川)  有りやなしと 振つて見る 角田川(柳多留)
気違水も ひんのよい 角田川(柳多留)  嵯峨流の 気違水も 隅田川(柳多留)
吸筒の 中も名所の 隅田川(柳多留)  中汲みはよし 濁るとも すみたかは(貞麿)
江戸の地場物産だった清酒隅田川にも色々な川柳が詠まれたようで、上のような句が、「和漢酒文献類聚」(石橋四郎編)に採録されています。


岡倉天心の酒
東京美術学校の創設につくし、その初代校長になったものの、文部省と衝突して、谷中初音町に日本美術院を創設したのが岡倉天心だそうです。天心は大酒豪で、三升組といわれた横山大観、橋本雅邦、下村観山、菱田春草といった門下生を連れて鯨飲痛飲したそうです。
谷中鶯 初音の血に染む紅梅花 堂々男子は死んでもよい 気骨侠骨 開落栄枯は何のその 堂々男子は死んでよい
日本美術院が創立されたとき、王子の料亭で天心が即興的に作った歌だそうです。(「日本酒仙伝」 篠原文雄)


「宴」「酉區」「沈」「湎」
「韓詩外伝」に、「飲むときの礼で、[履き物を脱いで]跣(はだし)で坐につくのを「宴」という。飲める者は飲み、飲めない者は止めるのを、「酉區」(おう、これ一字です)という。飲める者も飲めない者もいっしょくたにするのを、「沈」という。閨門(へやうち)にこもって飲むのを、「湎」(めん)という。君子は「宴」や「酉區」はよいが、「沈」や「湎」をしてはならない」とある。  これは11世紀初頭の「酒譜」にある文章です。この頃の中国は履き物を脱いで敷物に座る生活で、儀式儀礼の飲酒は履き物を脱がずに列立したと、訳者中村喬の注にあります。


灘の酒造り唄
今日の寒さに 洗番はどなた 可愛いい殿さの声がする
可愛いい殿さの 洗番の時は 水も湯となれ 風吹くな
可愛いや殿さは今日は何なさる 足がだるかろ ねむたかろ
可愛いい殿さに 百日させて うちで炬燵(こたつ)に あたらりょか
秋洗い唄と「改訂灘の酒用語集」にあります。米を洗う時の冷たさに耐えることと、作業のテンポを一定にするための唄なのでしょう。1年の三分の一の間、家を離れて酒造りに従事する蔵人の労働歌です。


フランス料理と清酒
「@熟成タイプは豊かな香り(例えばバター、スパイス、蜂蜜、チーズ様)と味わいが複雑で深いため、同様な香味を持つフランス料理との相性の範囲が広い。A軽快で滑らかなタイプは、香味がソフトでバランスが良いので、魚介料理などに相性が良い。B香りの高いタイプは、香りが個性的であるので、料理が限定される(例えば薄味の魚介料理)Cコクのあるタイプは、清酒特有の味わいがあるので、料理が限定される(例えば、あわびの肝入り海草蒸し) このように結果を整理してみると、フランス料理との適合性は熟成酒が圧倒的に高いことが明らかである。」(「酒の文化誌」 吉澤淑) 確かにそんな気がしませんか。


大仏前の酒屋
奈良の大仏の前で茶碗酒を飲んだ京都よりの参詣の男が、酒屋に酒代を聞くと、3匁5分との答。京都なら10文か12.3文なのにと無法な高値だと抗議したところ、大仏の前なので、茶碗も小さく見えるのだろうとの答。そこで客は2分の金を渡して帰っていく。酒屋が少なすぎるというと、「そちが茶碗と同じ事じゃ。大仏の前では、何ほど大きなるかねも小さく見へる」といって去っていった。(「当世かる口男 巻一」 元禄7年、岩波文庫) 高い、少ないだけで、薄くなかったのですからよしとすべきですしょうか。


「北山酒経」の酒造り
糯米(もちごめ)を乳酸発酵させて蒸し、そこへ辛味のある植物の汁で固めて作った小麦粉の麹を加えます。そこへ前に発酵していたもろみの米を乾燥させてとっておいた酵母を加えて(これを入れない場合も多かったようです。)発酵を開始させ、その後の発酵に応じて数回、蒸かした米を投入する。発酵が止まると、発酵させているかめを密閉して熟成させた後にしぼるという酒造りがメインの一つとして紹介されています。(「北山酒経」12世紀初期中国刊・中村喬訳) 現代日本の清酒造りと違う点は、酸っぱくさせた酒母米を蒸かすこと、酒母にそのままもろみの米を入れていくこと(もろみ段階が酒母に対して多量でないともいえます。)、麹が小麦粉であることなどです。


手酌
「盃をさし上げているやかましさ」(安永4年「川柳評万句合」)という川柳があるそうです。酒を強いられてもう飲めないと、盃をしだいに上へ上げている様子だそうです。(徳川慶喜を松平春嶽が評して「ねじあげの酒のみ」といっているようですが、多分このことなのでしょう。) こうした差しつ差されつでない自分で盃に酒をつぐのが手酌です。湯桶読み(訓読みと音読みの混じった単語)の江戸言葉だそうです。(「江戸ことば 東京ことば辞典」村松明) 多数で飲むの強(し)い酒の伝統から、一人飲む酒が言葉としてでてきたものの一つがこれなのでしょう。


志賀重たかの酒
明治時代、日本人論の先駆けの著作の一つとなり、当時としてはベストセラーである5年間で10版を重ねたという「日本風景論」で一世を風靡した志賀重たかも、一代の酒客だったそうです。志賀は晩年、酒の中に醤油で煮詰めたとうがらしを入れ、コップ酒で飲むのが大好きだったそうです。友人が糖尿病に良くないからと止めたそうですがやめなかったそうです。「日本酒仙伝」で篠原文雄が子息から聞いた話として書いています。つまみに辛味を求めるのなら、酒そのものを辛くしてしまおうというのは確かに酒好きの発想ですね。


正月の朝廷儀礼
「一月一日の朝賀の儀の後、天皇は紫宸殿(ししんでん)に出御されて節会(せちえ)が始まる。親王、公卿が昇殿し、着座の礼、盃を受ける礼の後、三献の儀が行われる。まず天皇に鮑(あわび)の御羮(あつもの)、御飯(みけ)、御菜(みな)が献上され、臣下にも御膳がが供される。一献目は吉野の国栖(くず)人が歌笛を奏し、二献目は御酒勅使、三献目は雅楽寮の楽人が立ったままで奏楽する。終わって宣命が読まれ、節会が終了する。なお、饗宴では三献が基準で、これが後の公家、武家の宴の「式三献」に続いていく。」 平安期・正月の朝廷の儀式を分かりやすく「酒の文化誌」で吉澤淑が記しています。この頃、雉酒(きじざけ)はなかったのでしょうか。


隠語辞典の「酒」(3)
ちが(盗人)(大正)酒(きちがいみずの上下略)  唐茶(僧侶)(江戸)酒  どし(盗人)(大正)酒  酉(盗人)(大正)酒  酉の水(盗人)(大正)  名差し(越後→またぎ)(江戸)酒  灘(盗人)(大正)酒  ねぐら、ねぐろ(盗人)(大正)酒  左(盗人、香具師)(明治)酒  檜板(盗人)(明治)酒  日読みの酉(盗人)(明治)酒(「鳥」に対して「酉」を日読み=暦のとりといって区別する)  ぼおと(盗人)(大正)  万八(俗語)(江戸)酒  水(盗人)(大正)酒  めいし(盗人)(大正)酒  (盗人=強盗・窃盗犯罪者用語、香具=香具師・やし・てきや用語、女房=女房言葉) (東京堂出版「隠語辞典」)


12世紀の酒造り
酒を醸すとき、「もと」は酸味をおびるべきである。「そえ米」は甘味をおびるべきである。南の方は、酸味をおびさせるのが不得手なので、酒の熟成するときに灰を入れるのである。北方は甘味をおびさせるのが不得手なので、たくさん飲むと胸焼けするのである。   といった文章をどう思いますか。これは、12世紀初めに中国で書かれた「北山酒経」にあるものです。ここでいう「もと」は、現代日本流にいうと「酒母」に米を何回か入れてそのままもろみにしてしまう酒造りのことをいっています。「もと」の始めに乳酸が十分にでないと酵母の純粋培養が出来にくく雑菌が繁殖して酸くなるので灰により除酸する。寒い地区は発酵が進まないので麹歩合の大きな当時の酒は澱粉質が多くなる残るので胸が焼ける、といったところでしょうか。現在でも大体分かる文章です。もちろんこの酒は中国酒です。


隠語辞典の「酒」(2)
護摩酢(僧侶)(明治)酒  桜(盗人)(昭和)酒(飲めば顔が桜色)  ささ(女房)(江戸)酒(酒を勧めるさあさあから)  さぶ(せんぼ)(江戸)酒(酒=喜三郎→三郎)  さんずい(盗人)(明治)酒(酒という字はさんずいだから)  しも(盗人)(大正)酒類  水(盗人、香具師ほか)(明治)酒(読み方:すい)  すいきす(闇)(現)酒  水鳥(盗人)(大正)酒(さんずいの水と、酉のとり)  清三(せんぼ、淡路せんぼ)(江戸)酒(清三郎から)  聖人(俗)(江戸)酒  たく(香具師、盗人)(大正) (せんぼ=操り人形師楽屋言葉、盗人=強盗・窃盗犯罪者用語、香具=香具師・やし・てきや用語、女房=女房言葉) (東京堂出版「隠語辞典」)やはり沢山あるようです。


清酒の甘辛地図
市販清酒の実態調査は、国税庁鑑定企画官の音頭取りにより、各地の国税局鑑定官室が折々行っているそうです。それによると、昭和59年の報告から読みとることのできることは以下のようなものだそうです。 @瀬戸内海に面する地方(九州を含む)は甘口。 A東北5県はやや甘口タイプであるが、日本海岸はやや濃味のある甘口タイプ。 B新潟、富山、高知県は以前から辛口県で、この辛口化は関東圏に及んできた。 C関西地区は大メーカーが多いので標準的。(「吟醸酒のはなし」 秋山裕一、熊谷知栄子共著) これからすで現在の平成15年は約20年を経過しており、甘辛地図も大きく変わってきていることでしょう。


隠語辞典の「酒」
あか(僧侶)(江戸)酒(閼伽=水)  あかうま(せんぼ)(江戸)酒  あかじ(盗人)(大正)日本酒  あから(俗語)(江戸)酒  いた(盗人)(明治)酒(伊丹から)  かぶと(香具、盗人)(大正)コップ酒(兜=あたまにくる)  きす(盗、香具)(明治)酒、居酒屋(好きの逆)  気違い水(俗)(明治)酒  きよわか(またぎ)(江戸)酒  九献(女房)(室町)酒  けす(香具師、盗人)(大正)酒(きすの訛り)  玄水(僧)(江戸)酒  こいび(盗人)(明治)酒(小指=好き)  こたる(盗人)(大正)酒(小樽)  子供(香具師、盗人)(明治)酒(好きなもの、酒と子供)  (せんぼ=操り人形師楽屋言葉、盗人=強盗・窃盗犯罪者用語、香具=香具師・やし・てきや用語、女房=女房言葉) 東京堂出版「隠語辞典」にあります。


尾崎士郎の酒
30代の頃は、机の上に1斗樽を置いて原稿を書いたそうですが、酒の飲み方は昔ながらの勢いに乗じて飲む書生酒で、心静かに楽しみながら飲む酒ではなかったそうです。酔うと真冬の寒さでも裸になって相撲をいどんだとか、大金が入ると取り巻き連とはしご酒をして一夜で使い果たすといった飲み方だったそうです。かつての駒形どじょうの200畳近かった広間で、1升以上飲んで悠然とおさまりかえっていたそうです。ただ、一人の時は2、3合、勢いに乗じた時の最高で1升5合だったそうでいわゆる豪酒家ではなかったそうです。(「日本酒仙伝」篠原文雄) 1升5合でたいしたこと無いのですね。


献立
この言葉も酒に関係しているようです。「献」は本来は鼎(かなえ)の一種(「献」の左の部分がそれにあたる)に犬(「献」の右の部分)の肉をもって宗廟(そうびょう)に供えたことをあらわす字だったのだそうで、「たてまつる」という意味があるのだそうです。(大字典) それが酒を勧める意味も持ったようで、献酬(酒のやりとり)、献杯(酒を勧める)などといった関連した言葉もできたようです。「専(もっぱ)ら酒を勧むるに就(つ)きて献と云(い)ふ、立は、膳立と同意」と大言海にあります。「膳立」のところには「立」は載せる意味とあります。そうした次第で、余り納得出来ないのですが、献立は酒と関係しているのだそうです。


永井荷風の酔っぱらい観(2)
「帰途電車の内にて酔漢の嘔吐するもの二人あり。女車掌これを見るや直様(すぐさま)袋に入れたる砂を持来りて汚物の上にまきちらすなり。袋入りの砂は平生(へいぜい)車中に用意してあるものと見えたり。世界中いづこの街にもかくの如き乗客を見ることは稀(まれ)なるべく、かくの如き準備をなせる車を見ることもまた絶無なるべし。 余はかくの如き醜態を目撃する毎にこの民族の海外に発展することを喜ばざるものなり。」(「断腸亭日乗(下)」) 昭和14年、海外での戦争拡大を苦々しく思っている反骨漢で国際人の荷風ならではの感想です。


永井荷風の酔っぱらい観
「余は平生より日本人の酒に酔ひたるほど見苦しくまた厄介なるものはなしと思へるなり。厄介とは傍人に迷惑をかけながら毫(ごう)もこれに心づかざることをいふなり。酔漢の中には半ば心づきてゐるものもあれど、酒の上の暴言乱行は許さるべきものと承知の上にて敢(あえ)てするもの尠(すくな)からず。横着甚しきものなり。日本の酔漢はおのれ一人酔ふことを好まず、必ず傍人に盃を強(し)ひる癖あり。その心理は明に解釈しがたけれど、遺伝の陋習(ろうしゅう)与(あずか)って力あるものの如し。」(「断腸亭日乗(下)」) 最近は多少変わってきているといってよいでしょうが・・。


お燗のつけ方
○お銚子をのぞいていて酒がフワーッとふくらんできて、そのふくらみが静まったなと思ってから一呼吸置いて湯から出す。
○10℃から60℃の熱燗にすると150mlのお銚子だと3ml膨張するので、首のクビレ目まで酒を入れてそこから増える3mlの場所を知っておいく。
○湯中で、はじめ銚子の肩が湯気で濡れる。お燗がついてくると銚子の肩がフッと乾いてくる、その時とり出す。
「月刊・食堂 別冊・居酒屋」にあったと「実説日本に酒」に雑賀進が書いています。居酒屋でご主人が上手にお燗するところを見ていると、それぞれに勘どころがあるのだろうと思いますが、これらもそうしたもののいくつかなのでしょう。


「親子ともに大上戸」
さる親仁(おやじ)、酒に酔ふて帰り、息子を呼びけれども、内に居ず。「はてさて、出歩きをつて、にくい奴(やつ)め」という所へ、息子も殊(こと)の外酔ふて帰る。親仁見て、「やい、たわけ者。どこでそのやうに大酒をくらふた。おのれのやうな者に、この家はやられぬ」。息子聞き、「これ親仁、やかましうおつしやんな。このように、くるくる廻る家は、貰(もら)はいでも大事ない」。親仁も舌をもつらかして、「あのうんつくめ。おのれがつらは、二つに見ゆるは」。存の外な飲みやう。  宝永4年(1707)と刊記がある「露休置土産」(岩波文庫)にあります。これが落語「親子酒」の原話だそうです。


活性炭
活性炭は清酒中の不純物や、異臭、色をとるために、濾過する時に使用されています。その活性炭が清酒用に実用化されたのは大正1年だそうです。国産では藤沢薬品のものが最初のようですが、月産7tのうち約3tが醸造用に販売されたと記録にあるそうです。活性炭出現前は藁灰(わらばい)が使用されていたそうですが、活性炭の出現によってとってかわられたようです。醸造業における活性炭の使用量は昭和16年頃は23t程度であったものが、戦後の昭和30年頃の約200tより徐々に増え始め、昭和40年500t、昭和46年1,500t、昭和48年には3,000tになっているそうです。(「実説日本の酒」 雑賀進 「活性炭読本」柳井弘より引用) きれいな酒が一般化した一つの大きな要因です。


置きつぎ
相手が手に持たない盃に酒をつぐことは昔は礼儀に反することだったようです。受ける側と勧める側の双方の同意の元に行われなければならないといった考え方が基本にあったように思われます。「南部(岩手)の置きつぎ」という言葉があるそうで、これは酒を勧めるとき、相手が杯を持たないうちについでしまうという意味で、それが礼儀であるといったことのようです。これは本来の意味の変形なのでしょう。ワインやビールの置きつぎが普通という酒文化が一般化し、置きつぎ非礼感は大分変わってきたようです。


酒12ヶ月
1月:生薬、スパイス入り清酒 2月:しぼりたて生酒 3月:濁り酒、清酒を用いた桃のリキュール 4月:桜花を浮かした燗酒、清酒仕立ての桜のリキュール 5月:辛口すっきりの土佐酒 6月:清酒に氷砂糖と梅実を漬け込んだ梅酒のオンザロック 7、8月:熱燗のコップ酒 9月:寝かして秋を迎えた冷や卸しの燗酒 10月:古酒、紅白の酒 11、12月:「荒走り」、燗酒 (「酒の文化誌」 吉澤淑) 酒博士・吉澤だけに個性的な選択です。清酒の幅の広がった現在、一人一人の酒12ヶ月が出来そうですね。


酒の十失
「四分律」という仏典には「仏、阿難(釈迦十大弟子の一人)に告ぐ」という文章で、酒の十失を説いているそうです。「一に顔色が悪くなる。二に力がおとろえる。三に目がかすむ。四に顔つきがけわしくなる。五に田業資生(なりわい)をそこなう。六に疾病を増す。七に闘訟(あらそいごと)がふえる。八に悪名を流布(なが)す。九に頭のはたらきが悪くなる。十にからだをこわして命を落とし、諸悪道(じごく)に堕ちる。」(「酒譜」 東洋文庫) ほかの仏典には三十六失もあるということですが、仏教は酒に対して厳しいようですね。


「五輪書」と酒屋
宮本武蔵の五輪書に酒屋のことがでてきます。地の巻の兵法を説明するところです。士農工商という四つの道があり、そのうち工の道で、大工の道に兵法をたとえて説明していくのですが、その際、商の説明で酒屋がでてきます。「二ツにはあきないの道、酒を作るものは、それそれの道具をもとめ、其善悪の利を得て とせいをおくる、いづれもあきないの道、其身其身のかせぎ、其の利をもつて世をわたる也、是商の道」(「日本の思想」筑摩書房) とあります。武蔵は、商の代表として酒屋を見ていることと、兵法の道と商は違うと見ていることがわかります。


煮酒
酒の入った(瓶(かめ)の口を)封じて縛り、甑(こしき)の中に並べて蒸気を吹き込み、甑内に酒の香りが、満ちて酒が煮え立ったら火を止める。この方式は1116年に出版された北宋の朱肱による「北山酒経」に記された中国酒の加熱殺菌法です。沸騰させている点では清酒のような低温殺菌法とは違いますが、加熱することが酒の火落ちを防ぐ方法であることをすでに理解していたことを証しています。火入れを文献としては世界最古だそうです。ここでは、同時に密閉した土泥を塗った室(むろ)の内に酒瓶を入れ、そこへ入れた炭に火をつけて加熱するという直火(じかび)火入れの方法も記されています。(東洋文庫「中国の酒書」中村喬編訳) その1年前に出版された「本草衍義」にも「煮酒」という言葉のみが載っているそうです。


香りに関するきき酒用語
「新酒ばな 麹ばな 吟醸香 バナナの香 リンゴの香 果実臭 エッセンス臭 エステル臭 冷こみ香 熟し香 糠臭 甘酒臭 味りん臭 甘臭 炭素臭 濾過綿臭 紙臭 木香 うつり香 老香(ひねか) 焦臭(こげしゅう) アルコール臭 フーゼル油臭 アルデヒド臭 ツワリ香 ダイアセチル臭 冷香 火落香 かめ臭 ビン香 酸敗臭 腐造臭 酸臭 酢酸臭 酪酸臭 カビ臭 ゴム臭 硫化水素臭 付け香 袋香 渋香 油臭 石油臭 粕くさい 金属臭 かなけ 樽臭 コルク臭 異臭」 以上50が、日本酒造組合中央会「官能検査法」にある香に関するきき酒用語です。多くは良くない香が多く、きき酒が減点法であることが分かりますね。


カステラの効能書
「御用いやう、お菓子のみにあらず、暑気の節は冷泉にひたして御用い、酒肴には大根おろしわさびの類にて御用い、酒の二日酔いによし。旅行にたづさえて水の代りによし。日日にこれを用ゆるに、五臓を調和して虚損を補理するの功あり。よつて老いて衰へず、終に百余歳の天寿を保つ。」 京都油小路の万屋(よろずや)五兵衛という菓子店販売のカステラの効能書だそうです。(「語源の快楽」 萩谷朴) これはいつ頃のものか書いてありませんが、幕末の長崎のカステラ広告にわさび醤油で食べるというものがあるそうですので、そうした食べ方が確かにあったのでしょう。二日酔いにも効くとのことですが試してみる気になりますか。


葛西善蔵の酒(2)
「椎の若葉」という小説は、雑誌「改造」の記者・古木が談話筆記したものだそうです。語る葛西は酔っぱらい。午後3時頃から翌朝午前3時頃までかかったそうです。その間、葛西は何度も小便に立ち、墨をすって唐紙に大きな字を書き、酒量が進むと四つんばいになって犬の小便をするまねをしたり、郷里の岩木山に登る年中行事の歌を口ずさんだりという千変万化。こうしたうちにできあがったのが、葛西の代表作「椎の若葉」なのだそうです。(「日本酒仙伝」 篠原文雄)


へなちょこ
「明治十四、五年ノ頃、山田風外、野崎左文等四五人、神田明神ノ境内ナル開花楼ニテ酒宴ス、其席ニテ使用セシ杯ハ、内部ニ於多福(おたふく)、外部ニ鬼面ノ楽焼ニテ、面白キモノナリキ。コレニ酒ヲ入ルレバ、ジウジウト音シテ、酒ヲ吸ヒ、ブクブク泡立ツ土製ノ猪口ナリ。衆呼ビテ へな猪口 ト云ヒシトゾ。」と、「大言海」にあります。「へな」は、「水底ヨリ得ル黒クシテ粘アル泥土。荒壁ヲ塗ルナドニ用ヰル。」だそうです。明治の言葉だったのですね。ちなみに、たしか開花楼は、島崎藤村の結婚した場所です。


花見の薬
上野の桜も過ぎてしまったため、向島の黄檗宗・弘福禅寺の花を楽しもうと行ったところ、門番が「その吸筒は酒のようだ。酒は寺の門内には入れない。」といった。「いやこれは酒ではない。同行の若い人が病気なので、煎じ薬を持ってきたのだ。」といった。「それならば飲んでみよう。」と門番、試飲した後、「この薬には大分地黄(薬草)が入っているようだ。」といって通してくれた。うまく切り抜けたと、たっぷり見物して飲んで酔って帰ろうと思っているとろへ門番がまた来て、「先ほどの薬の二番煎じはまだできないか」といってきた。(「元禄期 軽口本集」 岩波文庫) むべなるかな、むべなるかな。


「酔って候」
「終日酒を飲んでいるために血が体中にあふれすぎる病をもっている。三日に一度は、逆上(のぼせ)がはなはだしく、このため歯が全部ぐらぐらし、目がくらみ耳が鳴る。このため蘭方医をよんで、肩から一度に七、八合も血を抜き取ったという。」
「壮士豈(あに)かくのごとくあらんや  懦夫(だふ)のみこの病あり
医薬服すれども験(き)かず       鬱積、もとよりわが性
日々唯(ただ)酒を飲む」
司馬遼太郎「酔って候」中、主人公の「病状」描写と戯れの漢詩です。主人公はもちろん土佐藩・山内容堂、土佐の代表的酒飲みですね。


「美味しんぼ」の酒
4巻「酒の効用」 10巻「古酒(クースー)」 18巻「ドライビールの秘密」 19巻「杜氏と水」(「とじ」とふりがなしてあります) 25巻「初もの好き」 39巻「シャンパンの悲劇」 54巻「日本酒の実力」 70巻「スコッチウイスキーの真価」 74巻「恍惚のワイン」 78巻「ワイン大作戦 !?」 95巻「焼酎革命」 95巻までの「美味しんぼ」で酒を題材にしたものはこんなところでしょうか。意外と少ないような気がしますが、食の全般にわたってのコミックですからこんなところなのでしょうか。清酒は4巻と19巻のほか、54巻で6話にわたって描かれています。次はどんな酒の話が出てくるか楽しみです。


法然
「酒飲むは、罪にて候か。
 答う。まことは飲むべくもなけれども(本当は飲むべきではないが)、この世のならい。」
仏教は基本的には「不飲酒戒(ふおんじゅかい)」で、禁酒を基本としているようですが、専修念仏を唱えた法然は、「世のならい」であるとして飲酒を認めているそうです。それのみでなく、魚、鳥、鹿の肉食も容認しているそうです。(「和語灯録」 「食の名言辞典」東京書籍) 鎌倉時代の仏教の大衆化は、いりぐちを広くするという方法で進んでいったようですが、何か今と似たような感じがしませんか。


戦後の吟醸酒の流れ
まず7号酵母が発見された真澄と、社長自身が分離した酵母を高温糖化もとで醸造した誠鏡が、戦後吟醸酒のさきがけ的なものだったそうです。続いて東の浦霞、西の香露という東西二つの蔵の力くらべの時代が来て、この二つの蔵が現在の吟醸酒全盛時代の基盤を築いたのだそうです。その後、昭和30年代の半ば頃にヤコマンが登場してその流れを少々乱したようですが、分析方法の向上で、少なくとも鑑評会では判断出来るようになったようです。(「吟醸酒のはなし」 秋山裕一・熊谷知栄子) その後の吟醸酒の広がりは酒好みの読者の方がご存じでしょう。


昭和46年の純米酒
およそ30年前の昭和46年の話です。銀座から日本橋にかけてのデパートに純米酒が置いてあるかどうかを調べた人がいます。銀座・松坂屋:天山、西海、招徳、日出盛、御前酒、賀茂泉、明眸、玉竜 銀座・三越:黄桜 銀座・松屋:なし 日本橋・高島屋:松竹梅 日本橋・東急:一人娘 三越本店:樽平、住吉 という結果だったそうです。(「実説・日本の酒」 雑賀進) まだこの頃は、純米酒という言葉自体が珍しく、一般には吟醸酒の「ぎ」の字もなかった頃で、時代の流れの大きさを感じます。('02.12)


明治初年の酒造免許
明治7年、政府は江戸時代以来の酒株制度を廃止し、免許料を払えばだれでも酒を造ってよい免許鑑札制度に切り替えたそうです。この結果、灘の酒造量は50万石から13万石に激減したそうです。その翌年、酒造営業税が布告され、免許税が倍額になりました。以後、明治11年の醸造令、13年の酒類造石税制度と酒税改革があいついぎ、そうした中で大幅な増税が行われていったようです。(「うまい酒が飲みたい」 橋本憲一) これを見ると、灘は、出荷が激減したようですが、江戸(東京)の消費が落ちたこと、各地の免許が増えたことが原因だったのでしょう。その後再び江戸時代の地位を取り戻したということは、灘の努力があったということなのでしょうか。


猪口
「ちょく」とか「ちょこ」という小型杯です。猪口はあて字だそうで、元来は「鍾」の字音からきた語なのだそうです。新井白石の「東雅」に「鍾を呼びてチヨクといふは福建及び朝鮮の方言なるを、近俗、かの方言のごとくによびし也」とあるそうです。(「江戸ことば・東京ことば辞典」 松村明) 白石はその合理主義からだったのでしょうか、日本が多くを学んだ先進国だった朝鮮に目を向けていたようで、語源をそこに求める事が多かったような気がします。


ムソルグスキー
作曲家ムソルグスキー42歳、、作家エドガー・アラン・ポー40歳、作家O・ヘンリー48歳、詩人ベルレーヌ51歳と続けてくるとすぐ分かるのが、アルコール依存です。こうした人達は天寿を全うすることなく死亡しているようですが、原因はアルコールにあったようです。せっかくの才能もアルコールによって断たれてしまっているようです。(「一年諸事雑記帳」 加藤秀俊) 多分、これからの日本が経験していくであろう時代の断面の一つがアルコール依存のように思われます。少しでも早くこうした先人のアルコールでの足取りを多くが知る必要があるのでは・・・。ムダかも知れませんが。


酒徳経
吉野竜田(たつた)也(や)隅田川
酒賀(が)無礼婆(なければ)只之所(ただのとこ)
劉伯倫(りゅうはくりん)也(や)李太白(りたいはく)
酒乎(を)飲禰婆(のまねば)只之人(ただのひと)
酔酔酔酔酔薩阿(よいよいよいよいよいやさあ)
江戸時代後期の酒豪だった儒学者・亀田鵬斎の有名な「酒徳経」です。多分酔った勢いで書いたのでしょう。風光の名所も、大詩人も酒がなかったら、ということですが、理屈で読むとばらばらですね。


吉井勇の晩年
酒飲まずなりたる吾を寂しまず 土佐の海見れば酔へるがごとし
旅をしてよきものを見てよき人と 語りてさらに長生きをせむ
宗坦も酒をやめたりわれもまた 酒をやめたり渋茶うましも
酒仙の一人であった歌人・吉井勇は72歳の時酒をやめたそうです。その間に詠んだ歌のようですが、禁酒も1年間。再び1、2合の晩酌を欠かず、昭和35年、74歳で永眠したそうです。(「日本酒仙伝」 篠原文雄)


どこの酒蔵か分かりますか
蔵元と杜氏共に酒が飲めない。学者肌の蔵元は本ばかり読んでいて造りにほとんど口を出さない。新しい杜氏が造ったすっきりした味の酒造りを、「きたない」味の酒造りにもどさせてしまった、等々。 どこの酒蔵の話か分かりますか。石川県の菊姫だそうです。(「うまい酒が飲みたい」 橋本憲一) 応援団の力みすぎた感ある話の数々のようにも思えますが、それでも、「加賀の菊酒」の正当な後継者(今の方がずっと美味しいでしょうが)と言ってよい酒だなと思いませんか。


居酒屋でねんごろぶりは立って飲み
「居催促(いさいそく)」という言葉があったそうです。「居る」という言葉は座るという意味があるそうで、この言葉は、座り込んでさあ払ってくださいといった江戸時代の盆暮れの風景をさしたものなのでしょう。居酒屋の「居」も座るの意味で、座って飲む飲み屋という意味だそうです。しかし、そうした居酒屋でも知人と会えば立っても飲むことになるのだそうで、その様子をよんだのが、始めの句(「誹風柳多留」初編)だそうです。「ねんごろ」は親愛感を表すことです。(「江戸ことば・東京ことば辞典」村松明) 居酒屋という言葉は、庶民の外での飲む場所が、屋台のような立ち飲みから今のような飲み店に「進化」していった時に出来たものなのでしょうか。


熊谷流吟醸造り
醸造試験所の技官だった熊谷知栄子(現在、大関に在籍しているそうです。)による吟醸酒造りです。50%精米の日本晴(その後、山田錦でも並行して造ったそうです。)、調湿(高精白米に洗米前に適度な水分を吸収させる技法)、麹の全量散布、大箱麹造り、高温短期速醸もと、泡なし酵母使用、自主基準一杯のアルコール添加といった、一般の吟醸酒造りと大幅に違う技術者の合理的発想で醸造を行ったそうですが、その結果次々と鑑評会で「金賞」を受賞したそうです。(「吟醸酒のはなし」秋山裕一、熊谷知栄子) 吟醸造りが決して神秘的なものではないことの証明なのでしょう。


酒類関係情報
家庭で不要となった酒類を学校のバザーで販売するような場合は、通常は「継続的な販売」には該当しないので、酒類販売の免許は必要ないそうです。プロバイダー等が酒類販売の当事者であると認められる場合には、通信販売酒類小売業免許が必要となるそうです。酒類販売の当事者に該当しない場合であっても、プロバイダー等が継続的に酒類販売業者等と消費者間の酒類の受注・発注に介在する行為は、一般的には、酒類の媒介業に該当することとなので、酒類の媒介業免許が必要となるそうです。(国税庁のホームページ) いかにも現在ならではの解説であるといったところでしょう。


菊酒弁当
金沢駅に「菊酒弁当」という酒付きの駅弁があると、コミック「道連れ弁当」(ありま武 きり・きりこ)に紹介されていました。笹寿司と、加賀の菊酒にちなんだ、清酒・日榮の100ml瓶が甘辛各1本づつついた、昭和58年発売の、唯一の清酒付き駅弁であるとのことでした。ワインのついた駅弁は時々聞きますが、清酒というのは珍しいと、製造元に聞いてみたのですが('02.11.30)、現在は売られていないということでした。残念でしたが、こういう駅弁のあったことを酒好きとしては知っておいても良いのでは・・・。


桃型の酒器(徳利=ポット)
清酒用の酒器ではないのですが、ベトナムのもので、桃型の酒注ぎ(徳利=ポット)を見つけました。一見、酒を入れる所がありません。逆さにしてみると、底に上の方に向かって、先の部分に穴があいている円錐型のへこみがあります。逆さにしたまま、ここから酒を入れてからひっくりかえすと、酒注ぎとなります。日本では見たことのない形の徳利で、世の中には色々な物があるものだと感心しながら使っています。恵比寿駅の近くにある、ニャー・ヴェトナムにありました。


煮売屋(にうりや)の看板
元禄時代の煮売屋のあんどん看板の一方に、「酒肴(さけさかな)」と書いてあるのを見たお上りさん(このころの「都会」は関西でした。こうした話の舞台になる地も、本の出版地も京都、大坂です。)が、「酒又有(さけもまたあり)」と読み、「わかった。『遊女』ありとは書くことが出来ないので、酒もあるとしたもので、遊女がいるということを匂わせている。もっともなことだ。」と感心したいう話が、大坂の軽口話の名人・米沢彦八の話を載せた「軽口御前男」(元禄16年刊)(岩波文庫)にあります。煮売屋とは、飯のおかずの煮物も売る大衆的居酒屋の事だそうです。


味覚と温度
甘味は0度では常温の約1/4程度にしか感じられず、温度が上昇すると共に刺激が増し、37℃くらいが最高になり、それ以上では低下するそうです。酸味は、10〜40℃ではほとんど変わらないそうです。苦味は、高温ほど薄れる傾向があるそうです。
そして、酸の少なく香りのある淡麗で甘く感じる吟醸酒は低温で飲めば甘味を強く感じなく、高温にすると香りが強すぎて味が乏しくなるそうです。辛口の酒はぬる燗、こくのあるやや味の重い酒は熱燗にするとすっきりするそうです。(「酒の文化誌」 吉澤淑) これは、あくまでも清酒の飲み方の基本で、色々なバラエティがあってよいと思います。


びん慣らし
吟醸酒を出品する際、それをいれる瓶にも細心の注意が払われるそうです。出品本数の最低3倍の瓶を十分に洗浄し、水切り後良質で癖のない吟醸酒レベルの酒を入れて栓をし、15〜20℃で3ヶ月〜1年間保存するのだそうです。そして出品酒を入れる段階で瓶の中の酒の利き酒をおこない、瓶香のついたものは使用しないようにするということです。(「吟醸酒の話」 秋山裕一、熊谷知栄子共著) そのほかにも、一般的な知識の他に、添加するアルコール、しぼる酒袋等々に関して、様々な注意が必要なようです。受賞するためには並大抵の努力では難しいということなのでしょう。


「古今集」と「新古今集」
このふたつの歌集約2000首の中から酒の歌を拾いだそうとした人がいます。そして、これは全く徒労に終わったそうです。これらの歌集は、「花鳥諷詠」であるとか、「自然詠嘆」といったものばかりで、平安朝の歌の底の無さに失望したそうです。これは、「まぼろしの古酒」の中での、著者・岩野俊の感想です。万葉集にあるような酒に関する率直な感慨をうたう姿勢が、その後の洗練、技巧を第一とする流れの中ではでは切り捨てられたのでしょう。平安の歌人が酒を飲まなかったはずはないのですが、こうしたことが歴史の色々なところで見られるような気がしませんか。


橘曙覧(たちばなあけみ)の酒歌
たのしみは とぼしきまゝに 人集め 酒飲め物を食へといふ時
たのしみは 客人えたる 折しもあれ 瓢(ひょう=ひょうたん)に酒のありあへる時
たのしみは 雪ふるよさり 酒の糟(かす) あぶりて食て 火にあたる時
越前の古い商家に生まれ、江戸末期に生きた万葉調の歌人橘曙覧の「独楽吟」と称するものの中にある歌だそうです。(「まぼろしの古酒」 岩野俊) 歓談を楽しみとする酒飲みならではの歌で、いいですね。


浜口雄幸(おさち)の酒
昭和初年の経済恐慌の中で、緊縮財政と軍縮を行い、東京駅での凶弾がもとで死去した浜口雄幸首相は土佐の出身でした。当然愛酒家で、晩酌は1升5円という松竹梅を飲んでいたそうです。当時は上等の灘ものでも2円50銭くらいだったそうです。父親の水口胤平も酒豪で、息子の出生届を出すために役場へ出向いた時は祝い酒で当然酔っぱらっていたそうで、幸雄と書くべきところを雄幸と書いてしまったのが雄幸という変わった名前の理由だそうです。(「日本酒仙伝」 篠原文雄) そうした点では親まさりにはなれなかったといったところでしょうか。


味に関するきき酒用語
「こく ごくみ 濃醇味 にく おし味 芳醇な 旨味 まるみ ふくらみ がら きめ のどごし さばけ 引込み 後味 きれい 淡麗な なめらか 舌ざわり 軽い すっきりした 味の調和した なれた 若い しっかりした さらっとした さびしい うすい こい あらい 熟した 重い 老ねた くどい だれた ボケた 味の離れた 甘い 辛い すっぱい 渋い にがい 塩からい 雑味 くせ 糊味 かなけ 腐敗臭」 以上49語が、日本酒造組合中央会の「官能検査法」にあるきき酒の際の味に関する用語だそうです。これだけたくさんの味の違いを区別出来れば面白いでしょうね。でも多分言葉では表現出来なくても、総体としての味の形は多くの人が感じとっているのではないでしょうか。


風邪の治療法
日本では卵酒ですが、ポーランドは、微塵切りにしたタマネギ1個に砂糖を加えて煮詰めたものを鼻をつまんで飲み干す、イタリアでは、レモンのスライスを黒焼きにしたものをひたいに貼り付けて寝る、ブラジルでは生ニンニクを糸で輪のようにつなげて首にかけるといった方法があるそうです。さて、フランスでは、グラス1杯の赤ワインを半分位になるまで煮詰め、それを寝る前に飲むのだそうです。(雑学おもしろ百科」第一巻 小松左京・監修) アルコールのとんでしまった濃縮ワインより、そのままのワインを飲んだ方がきくような気もしますが・・・。


お燗
「燗」という字は国字で、「火」と「間」の合字です。これは、温熱の中間という意味なのだそうです。江戸時代は「がん」と読み、熱燗は、「あつがん」と読んでいたのだそうです。この字は、酒を暖めるという意味ばかりでなく、水や茶を暖めることもいっていたのだそうです。「おでん、燗酒、甘いと辛い」と、江戸時代のおでん屋は売り歩いていたそうです。(「江戸ことば・東京ことば辞典」村松明)江戸時代の「おでん」は甘かったのでしょうか。


「夏田冬蔵」
これは、山形大農学部を出た農家のあととりが、同級生だった酒蔵の専務から声をかけられて酒造りの蔵人として働くようになったものの、ほとんど杜氏としての経験のないままに前の杜氏の仕事をせざるを得ない立場となり、苦労して吟醸酒を醸造したところ、2年目から5年間連続新酒鑑評会で金賞を受賞するという快挙を成し遂げたという話を淡々と語っている本の書名です。酒銘は秋田の「天の戸」で、書名は、「冬虫夏草」からとったのだそうで、執筆の動機は息子さんの小学校での劇のシナリオ書きだったそうです。裏ラベルに記載されている杜氏名は森谷康市です。


吟醸酒の香り
吟醸酒の香りの主体は、酢酸イソアミルとカプロン酸エチルで、これらの成分は吟醸酒には普通の清酒の3〜5倍含まれるのだそうです。これらの成分は、ビールやワイン、ウイスキー、ブランディーにも含まれているのだそうで、それぞれの酒の特徴的な香りを強める役割を果たしているのだそうで、いわば黒子なのだそうです。清酒の場合は、本来の香りが地味なため、それらが主役になっているのだそうです。清酒の基本になっている香りは、フェネチルアルコールなどによって形成されており、これは重くてどちらかというとしつこい香りなのだそうです。(吉澤淑 「酒の文化誌」)


全国新酒鑑評会1位銘柄
明治44 月桂冠(京都)  明治45 飛鳥山(東京)  大正02 月桂冠(京都)  大正03 初幣(熊本)
大正04 日本盛(兵庫)  大正06 まが玉(長崎)  大正07 瑞鷹(熊本)   大正08  旭菊水(広島)
大正10 酔心(広島)   大正11 笑満壽(新潟)   大正12 千福(広島)   大正13 両関(秋田)
大正14 福美人(広島)  大正15 賀茂鶴(広島)  昭和02 大関(兵庫)   昭和03 両関(秋田)
昭和04 月桂冠(京都)  昭和05 白梅(島根)    昭和06 月桂冠(京都) 昭和07 朝日山(新潟)
昭和08 朝日山(新潟)  昭和09 梅錦(愛媛)    昭和10 五大州(広島) 昭和11 会州一(福島)
昭和12 金鳳(島根)   昭和13 朝日山(新潟)   昭和14 鳳山(宮城)   昭和15 朝の松(朝鮮)
昭和16 新政(秋田)   昭和17 新政(秋田)    昭和18 眞澄正宗(長野) 昭和19 一人娘(茨木)
昭和21 眞澄正宗(長野) 昭和22 五橋(山口)   昭和23 神楽盛(岐阜)  昭和24 四君子(愛知)
山田正一「酒造」にあるそうです。それにしても時代の変遷がよく分かり、興味深く思われます。


大上戸の事
大上戸がいた。たびたび酔って正体をなくすので、親類が集まり、色々意見をしたが聞き入れない。ある時、べらぼうに酔って吐いた。ある人が、ひそかに鳥の肝を拾ってきて、吐いたものの中に入れておいて、大上戸の酔いがさめてからこれを見せて「人には腹の中に五臓があるからこそ命があるのに、おまえはその一つを吐き出してしまった。やがて死ぬだろう。是非酒をやめろ。」という。大上戸は、「いやいや心配はない。中国には二蔵足りない三蔵法師さえいるではないか。おれはまだ四蔵あるのだから問題ない。」といった。 延宝9年(1681)刊という「当世手打ちわらひ」(岩波文庫「元禄期軽口本集」)にあります。


秋田のドブロク
「子供の頃、冬に雪遊びして家に帰り、こたつに手足を入れて暖めようとすると、私の指定席には先客が座っていた。毛布やら『とび』という外套にくるまった客人の正体は、大きな瓶だった。中身は<ドブロク>。密造酒である。」 これは、1957年秋田県平鹿町生まれの「天の戸」杜氏・森谷康市の「夏田冬蔵」に記されています。東北は昔からどぶろくの産地といわれていましたが、60年代までこうしてどぶろくが造られていたという「貴重な」証言といえるでしょう。味のほどはどんなものだったのでしょう。


千鳥足
「年礼の 歩くを見れば大道を 横すじかいに 春は来にけり」(蜀山人)では少し酔いが進みすぎていますが、そうした酔っぱらいの歩みを千鳥足といいますがなぜでしょう。当然千鳥の歩き方が酔っぱらいの歩き方に似ているからなのですが、千鳥がそのように歩く理由は、足に3本しか前向きの指がなく、後ろ向きの指がないいからなのだそうです。ただし、人間の酔っぱらいと違って歩行力は強いそうです。このへんは人間は学ばなければいけませんね。全然違った意味で、馬の足並みが千鳥の羽音に似ているのでそれも意味するのだそうです。(広辞苑)


長屋王家木簡の仕込配合
奈良時代の、麹を使用して醸造した清酒の仕込配合が、長屋王家から発掘された木簡に書かれていたそうです。
  米     麹      水      麹歩合(%)  汲水歩合(%)
a  3石   1石     ?       33               
b  2石   1石     2石2斗    50      73
c  1石   8斗     ?       44
d  ?    1石     ?石2斗   
e  2石   8斗     2石1斗    40      75
f  1石   1石5斗   1石5斗    40      60(「食の万葉集」廣野卓) (少々直してあります。寝言屋)
現在の仕込では、麹歩合は20%前後、汲み水歩合は120〜140%ですから、麹が多く、水が少ない酒造りであることが分かります。


小村寿太郎の酒
日露戦争時代の外務大臣でポースマス会議の全権となって講和条約を調印した、明治の外交部門の代表的政治家であった小村寿太郎も酒好きだったそうです。有名な横顔の写真でも分かるように、「痩躯(そうく)鶴の如し」というやせ形の体格でしたが、酒はめっぽう強かったそうです。酒席では常に酒盃をはなさず、悠然として飲み続けていたといいます。(「日本酒仙伝」 篠原文雄) そういわれてみれば、切れ者の顔ですが、やせの大食いならぬやせの大酒の顔貌のようにも見えてきます。


臼井吉見の酒
「応召入隊の翌晩のこと、中隊の将校が最初の酒宴を開いた席上であった。僕は三年に一回ぐらいの割合で徹底的に酔っぱらう悪癖があったが、はからずも当夜がそれにめぐり合わせたのであった。したたか酔ったあげく、とんでもないことを口走ったのである。ほかでもない。部隊長の統率方針をクソミソにやっつけたのである。」 部隊長統率方針の第三条「積極的任務の遂行」を「こんな日本語があるものか。任務の積極的遂行という日本語ならある。積極的任務の遂行なんて日本語は聞いたことがない。」その結果文言は訂正され、幸いにも生きることが出来たと、「日本語の周辺」で語っています。


花岡嘉金司のことば
「主人は全然つくりの方には無関係だね。でも、熱心な主人はね、蔵の方にきてみるけれど、ほんとは主人はそれをやってはいかんだ。主人の干渉した蔵で、酒の成績があがったところはないですもの。それはもう杜氏に責任をおわしてなければね、ダメです。」これは、名杜氏といわれた長野県の花岡嘉金司のことばだそうです。(「酒の博物館」 吉羽和夫) かつての酒蔵の酒造りの雰囲気がよく語られているようです。現在は、醸造科出身の蔵元自身の陣頭指揮が、銘酒を造りだしている場合が増えているようです。


酒ハ及バザレバ乱ス
孔子には有名な言葉、「唯酒無量 不及乱」(ただ酒は量なく 乱に及ばず:酒については決まった量はないが、乱れるところまではいかない)がありますが、これにもパロディがあるそうです。この文章を「酒ハ及バザレバ乱ス」と読むのだそうです。(「酒ハ及バザレバ乱ス」 小倉芳彦) 「正確」には、「ただ酒、無量ならば、及ばざるにて乱す」とでも読むのでしょうか。日本語の洒落に対応する中国語の言葉遊びなのでしょう。


醸造試験所の受賞
国税庁の醸造試験所(現在は東広島市にある独立法人酒類総合研究所)で醸造された吟醸酒が、同所主催の全国鑑評会で最近11年間(昭和62年の文)に9回「金賞」に入賞しているそうです。ここの先生達が全国の酒蔵の醸造指導をしているのですから当然ともいえるのでしょうが、科学の理屈にそって醸造した酒が入賞するということは興味深くありませんか。その審査は公平を期して行われますので、もちろん審査委員にはどれが醸造試験所の酒かは分かりません。明治40年に始まった鑑評会において、明治45年の新酒鑑評会でも、醸造試験所の酒銘「飛鳥山」がすでに一位に入賞しているそうです。(「吟醸酒のはなし」 秋山裕一、熊谷知栄子)


「酒」の字の入った名字
酒家(さかや)、酒屋(さかや)、酒場(さかば)、酒肆(しゅし)、酒人立(さこだて)、酒師(さかし)、清酒(せいしゅ)、新酒(しんさか)、酒泉(さかいずみ)、酒川(さけがわ)、飯酒盃(いさはい)、酒入(さかいり)、酒多(さかた)、酒栄(さかえ)、酒徳(さかとく)、酒造(みき)、造酒(みき)、神酒(みき)等々、何十という単位なら簡単にあるようです。(ネットの「村山忠重の苗字舘」「名字玉手箱」「奇怪、壮絶、名字博士」から) どれも、なるほどというものばかりで、よくぞ名付けたりといった感じです。さらにこれらの名字がどのようにつけられてきたかをたどることができると一層興味深いでしょうね。


中世の酒に関するなぞなぞ4
問:山道にこぎつね(子狐)ねこ(猫)なき かへつて 其後すまねバ(澄まねば)さげすむ  答:さかづき(山道は坂(さか)、「こぎつね」から「ねこ」をとると「ぎつ」、「ぎ」が澄まないので、濁りを下にさげて「ぎ」を「き」に「つ」を「づ」をにして、さらに、逆さにすると「づき」)
問:てんぐのさかもり(天狗の酒盛り) 答:まよひ(迷い)(天狗は魔、それが酒盛りで酔うから「よひ(酔ひ)」)
問:ろうゑいのやぶれ(朗詠の破れ) 答:わかしざけ(沸かし酒)(和歌と詩=朗詠 が さける)
問:のきのあめがむねへもる(軒の雨が棟に漏る) 答:さかもり(酒盛り)(軒から棟へ逆流=逆(さか) 漏り)
やはり難しいですね。(「中世なぞなぞ集」 鈴木棠三)


豊原国周(2)
江戸から明治に生きた浮世絵師・豊原国周(くにちか)が草津へ湯治に行った時、岩槻の酒の蔵元と懇意になり、成田不動へ納める酒造り風景の額を描くという話がまとまったそうです。蔵元を訪れてそれを描いたそうですが、その際、「朝ッから始めて、日の暮れるまで飲んだが、何でも五、六升じゃア利(き)かなかろう。燈がついて、また飲直すてんで、膳を代えると、旦那どの七五三、三組の盃を持出した。まず小さい三合入りの盃で一ぺえ、古酒のどろどろするような奴を引ッかけて、それから五合入りと七合入りと、見事に飲んでしまった。あっしの酒量にゃア、さすがの旦那どのも驚いた様子、−」 そして、礼にもらった1斗5升位の酒樽を帰る途中でなくしてくるという武勇伝も作ったそうです。今もその額は成田山に修まっているとあるそうです。(「新編 明治人物夜話」森銑三) 誇張した自慢話であるとしてもたいしたものです。


ニワトコ
接骨木と書く落葉低木、スイカズラ科のニワトコは、秋に赤い実をつけます。青森県の三内丸山遺跡では、約5500年前から4000年前の縄文前期から中期にかけての遺跡が重層的に発掘されています。そこから、完熟したニワトコ、サルナシ、ヤマグワ、ヤマブドウ、キイチゴなどの実が出土し、それらから、縄文人のどのような酒造りを行なっていたかが推測されるのだそうです。発掘された実の95%を占めるのがニワトコなのだそうですが、あまり生食には適さないので、これらは酒の原料であったと推測されているそうです。(辻誠一郎「縄文文化をはぐくんだ生態系」にあるそうです) 最も簡単な酒造り材料は果実ですから納得できますが、味はどうだったのでしょう。


日本はアルコール添加酒も早かった
ポルトガルのポートワインや、スペインのシェリーは、要するに一種のアルコール添加です。そうしたアルコール添加酒の歴史の中で、日本の柱焼酎を清酒に添加する方法はそれらに比して早いのだそうです。(「日本酒を味わう」 田崎真也) 多分どの場合も始めは火落ち対策だったのでしょう。そうすると、アル添清酒はもっとそのアル添という技術からくる酒の個性を発展させて新しい味を造り出す努力を継続すべきだったということなのでしょうか。


トンガ王国
飲酒の悪弊に対処しようと、トンガ王国では18歳以上の成人に対し、年1回酒類購入許可証を警察署から交付することを法定化したそうです。1ヶ月の許可量は、ウイスキー、ワインともに1本、ビール1ダースで、酒を買うたびに許可証の裏と店の帳簿にその量を記入してサインするのだそうです。もし酔っぱらっているところを見つかった場合は、24時間の留置場入りと許可証の取り上げ、「正しい飲み方」を守っている場合は翌年購入許可量が増えるのだそうです。これは、昭和58年発行の「雑学おもしろ百科第七巻」(小松左京監修)にある話ですが、果たしてこれはが現在も行われているでしょうか。私なら現在は法律が廃止になったか、有名無実になっている方に賛成します。


摘んで食べる酒
原理は、寒天を調理して腰の強いところてんを作り、強いアルコールに浸すと、ところてんの外側の水とアルコールが置換して摘んで食べられるようになるということだそうです。その後、研究が進み、寒天以外のゲル状物質でも、浸漬方以外でも、また、どの酒でも出来るようになったそうで、特許もとれたそうです。発明者は、川島四郎で、その著「たべもの心得帖」で書いていますが、市場で見かけることがないということは、需要にうまく合わなかったといことでしょうか。粉末酒はその後話題になりませんが、機能性食品のスタイル全盛の現在、この発明品なら売れる可能性があるような気がしませんか。


酒語色々(3)
血酒(互いに血を盃にしたたらせ、すすりあって誓いを立てること)、手酒(てざけ、てしゅ)(自家製の酒)、所酒(その土地で出来た酒、地酒)、庭酒(にわき)(神に供える酒)、羽節酒(はぶしざけ)(雉の羽節の肉と塩とをまぜて造った酒))、日合いの酒(その場にありあわせの酒)、待ち酒(来る人に飲ませるために造っておく酒)、三節の酒(みおりのみき)(正月の元日、七日、一六日の三節会に供した酒)(広辞苑) 今回はいくつわかりましたか。


平安時代の旅費規定
「延喜主税式(えんぎちからしき)」という平安初期の律令(りつりょう、中国から伝わった古代法の体系)の施行細則の中に、官人の出張旅費規程があるそうです。それによると、日当として「米二升・酒一升・塩二勺」が支給されたのだそうです。酒一升は今の四合だそうです。アルコール濃度が薄かったのかも知れませんが四合というのはいいですね。(銭に換算されていたのかも)一方、「養老軍防令」の兵士の場合は、干し米、焼き塩、水だそうで、当然というか、やっぱりというか。(廣野卓「食の万葉集」)


酒米色々(2)
31種類ある酒米の指定産地について、その多い順に並べてみます。
@兵庫県 8種(五百万石、たかね錦、山田錦、フクノハナ、愛山、兵系18号、兵庫北錦、兵庫夢錦)
A広島県 5種(雄町、こいおまち、八反、八反錦1号、八反錦2号)
B島根県 4種(五百万石、幸玉、改良雄町、神の舞)
B鳥取県 4種(五百万石、玉栄、フクノハナ、幸玉)(「最新酒造講本」平成12年再販)
やはり種類は関西方面が多いようですね。


酒米色々
酒米といえば山田錦といったイメージが一般的になっていますが、平成11年度には31銘柄が酒米として指定されています。(「最新酒造講本」平成12年再販) イギリスというとシルクハットと傘、日本人といえばメガネとカメラといった簡単なイメージの方がものごとを理解するには楽だと思う人が多いのかもしれませんが、そういうものばかりでもないような気がしませんか。そうした次第で、酒米は山田錦ばかりではなく、華吹雪(青森)、若水(群馬、静岡、愛知)、一本〆(新潟)、玉栄(滋賀、鳥取)、愛山(兵庫)、露葉風(奈良)といったものもあるそうです。こうしたものの中からこれから有名になる銘柄、銘酒が生まれてくるかもしれませんね。


四季の酒
「爰(ここ)に大酒を好む男あり。春は屠蘇(とそ)酒に命をのべ、桃の酒に心を移し、夏は柳樽(りゅうそん?、多分京都の柳酒の樽詰めでしょう)のもとに居ては冷や酒を楽しみ、秋はさか月のかげに枕をかたむけ、隣家に酒を暖めて紅葉をたき、心のすまぬ折節は濁り酒を楽しみ、冬のさみしき時雨(しぐれ)の夜すがは、あられ酒を友とす。されば夕に大酒して朝(あした)に死すとも、燗鍋(お燗用の鍋)をのみ放(はな)さじとす。」 元禄年間直前の貞享4年(1687)の「正直咄大鑑青巻・大上戸」にあるそうですが(「元禄期 軽口本集」 岩波文庫)、200年以上前の四季の酒の飲み方が面白く並べられています。ちなみにあられ酒は、うるち米でつくったあられ餅を入れたみりんだそうです。


湯気冷やし麦酒
「え−と今年、はい今年はいいですね、その今年のです、前のほうの半分、いけませんね、半分はいけません、半ばです。前の方の半ばはとても大ごとの時でございました。そうです。大ごとの時です。と申しますのは、このところ麦酒儲け所の塊り組合(業界)はですね、泡出る麦酒(ビール)に押しまくられていたわけです。ことにその、泡出る麦酒に、乾き辛もどき(ドライ・タイプ)のものが出ましてからは、うちの中つ方売りもの(中心商品)でありますところの湯気冷やし麦酒(ウイスキー)は押されていたのです。」 これは、英米壕と開戦した日本が、その後、中国・台湾とも戦闘状態に入ったため、敵性言語が使えなくなり、英米語と漢語無しの大和言葉のみの言語生活を行わざるを得なくなった際の会話です。清水義範の「ことばの国」にあります。


豊原国周
江戸末から明治にかけて生きた浮世絵師豊原国周は江戸っ子を絵に描いたような人だったようです。少なくても117回引っ越したという国周は、間部河岸(まなべがし)に住んだ時、時蔵という役者が大川に屋形船を二、三艘浮かしてどんちゃん騒ぎをしたのに対抗して、屋根船を五、六艘うかべて競り合ったそうです。結果は敗北で、借金は山の如く、家は借金のカタに取られ、そのこともあって身代限りとなってしまったそうです。酒好きで、金がない方がさっぱりしているといった人だったそうです。(「新編 明治人物夜話」 森銑三)


清酒表示の自主規制
平成50年に日本酒造組合中央会という業界による自主規制の表示方法が決まりました。
その中で使ってはいけない表示には「最高、本邦最古、日本一」といったものがあるようですが、これらは、はじめから分かり切った「ホラ」で、ダメというのも大人気ないような気がします。(むしろ、「本醸造」の方が、「アル添」であるのになぜ「本」なんだという素朴な疑問を感じます。) 生一本が、自醸の純米酒となっていますが、むしろこれは厳しすぎるような気がします。灘批判が背景にあったのでしょう。秘蔵酒は貯蔵期間5年間以上のもので、これは程々といったところでしょうか。こうした表示はよく検討してみると結構面白いもののようです。


「ガン封じ」の笹酒
聖徳太子によって草創されたという縁起を持ち、かつては南都七大寺に数えられたという、奈良市大安寺に真言宗の大安寺という古刹があるそうです。この寺では、竹を供養する日としている6月23日の「竹酔日」と、光仁天皇の開運長寿を祈ったという1月23日の光仁忌には、竹筒の徳利に入った「笹酒」を竹の盃に注いでふるまうそうです。この酒は「ガン封じの酒」として効くのだそうです。竹の薬効は古くから知られていたようですのでこうした伝承となったのでしょうが、いつごろからガンと結びつくようになったのか興味あるところです。


岩の井
千葉県御宿(おんじゅく)は、メキシコ・アカプルコと姉妹都市だそうです。それは、慶長14年(1609)御宿沖で台風のために難破したメキシコ船サンフランシスコ号の乗組員を地元民が救助し、幕府が三浦按針に帆船を建造させ、日本人もそれに乗船して乗組員をメキシコに送り届けたことによるものなのだそうです。そして、そのサンフランシスコ号の帆柱が、清酒岩の井・岩瀬酒造酒蔵の梁に使われているそうです。また、池田勇人の好んだ酒だったようです。太田和彦の「ニッポン居酒屋放浪記」立志篇にあります。岩瀬酒造は1/3以上が山廃もとだそうです。


酒銘
「浪花、富貴、野田、テング、大橋孔雀、九重、加東、半田、キマル、孔雀、上菱、カイゾル、東陽、大阪、ラガー、布引、ライオン、達磨、日本、函館、三菱、白山、富久、キツネ、日の丸、ミヤコ、テーブル、ボック、マルコ、浪速、大黒、コック、ニシキ、旭」(山本明「社会的広告史」) 明治30年頃の今でいう地ビールの名前だそうです。そう思って今の地ビールの名前を見るとほとんどが地名で、当然ともいえるかも知れませんが、今ひとつ物足りないような気がします。変わったものをと見てみると、チョンマゲビール、ブナの森から、モクモク地ビール、反射炉ビヤ、タッチダウンビール、OH!LA!HOビール、ピリカワッカといったものがありました。


酒語色々(2)
てんぽ酒(むやみと酒を飲む飲み方)、強酒(ごうしゅ)(@多量に酒を飲むこと、A酒を多く飲んでも酔わないこと)、相撲酒(酒を競って飲み、酒量を争うこと、酒戦)、天目酒(天目茶碗で酒を飲むこと、茶碗酒)、置酒(ちしゅ)(酒宴を開くこと)、見参酒(げんぞうざけ)(見参の時に持参する酒)、慳貪酒(けんどんざけ)(一杯ずつ盛切りにして売る酒))、源氏酒(二組に分かれて源氏物語の巻名や人物名を応酬しつつる酒宴の遊技)(「広辞苑」) 色々あるものだと感心します。


「サヨナラ」ダケガ人生ダ
勧君金屈巵(君に勧む 金屈巵きんくつし=柄のついた金製の杯
満酌不須辞(満酌なみなみと注いだ酒 辞するをもちいず)
花発多風雨(花ひらけば 風雨多し)
人生足別離(人生 別離足る)
この晩唐の詩人・于武陵の五言絶句を、酒仙・井伏鱒二は以下のような有名な創作翻訳をしました。
コノサカヅキヲ受ケテクレ
ドウゾナミナミツガシテオクレ
ハナニアラシノタトヘモアルゾ
「サヨナラ」ダケガ人生ダ(「厄よけ詩集」井伏鱒二)


堅塩
山上憶良の有名な歌、「風まじり 雨ふる夜の 雨まじり 雪ふる夜は すべも無く 寒くしあれば 堅塩を とりつづしろい 糟湯酒(かすゆざけ) うちすすろいて − 」にある「堅塩」について、廣野卓の「食の万葉集」にあります。堅塩は、海水を濃縮しただけでは吸湿しやすいので、三角形の土器に詰めて一昼夜焼成したものだそうです。この堅塩を搗いて粉末にしたものが白塩(しろしお)などといい、宮中や上流貴族が使用したのだそうです。当時(奈良時代といっても長いので、単純な比較は出来ないでしょうが)、堅塩1升8文、白塩12文、酒1石100文、玄米1升5文、奈良法華寺金堂造営に従事した雇夫の日当10〜15文などと記されています。 こうした金額を比較してみると、山上憶良のうたの堅塩の使い方(貧しい人が塩をつまみに糟をといた薄い酒を飲む)はどうなのでしょう。


兵糧丸(ひょうろうがん)
戦国時代にあったという保存食「兵糧丸」なるものが「雑学おもしろ百科 第一巻」(小松左京監修)に紹介されていました。すって粉にした麻の実、黒大豆、そばを清酒に浸し、天日で干して乾燥させ、また清酒に浸して乾燥させるという作業を数回繰り返して、直径5cm位の丸薬にするのだそうです。これを戦場に携帯すると、1個食べれば1日中戦場をかけまわれたそうです。食べる時は水につけるのだそうです。清酒の役割は何なのでしょう。アルコールの殺菌作用なのでしょうか。上杉家伝来の物のようですが、いずれにせよすぐ作れそうです。どなたか試してみませんか。


栗本鋤雲(じょうん)の酒
鋤雲は、幕末の外国奉行で親仏派だった、典型的な武士の魂を身につけた人で、当然維新後は、明治政府には近寄らず、名記者として報道に携わりました。森銑三の「新編・明治人物夜話」が、信夫恕軒(しのぶじょけん)の文章で鋤雲の酒を紹介しています。酔って唱える浄瑠璃は聞く人をして抱腹絶倒させたそうです。また、「手巾(しゅきん、手ぬぐい)を熱湯に浸して、堅く絞りて湿を去り、客をして熱に乗じて面を拭(ぬぐ)はしむ。輒(すなわ)ち旧酔去りて、而(しこう)して新酔来り、快言うべからず。」 これはよいかもしれませんね。


10号酵母
この酵母は茨城県の明利酒造で発見されたのだそうです。「小鼓」の現在の杜氏・青木卓夫一時期、明利酒造にゆき、当時明利酒造につとめていた小川知可良(ちから)元国税庁鑑定官から直々に教えを受けたとのことです。それで、「小鼓」もこの酵母を採用することとなり、今では10号酵母といえば「小鼓」と言われるほどになったということなのだそうです。(「日本酒を味わう」 田崎真也 '02.05.25出版) 10号酵母は私のイメージでは味も香りもマイルドで、9号ほど鋭い感じではないといった感じのものです。


日本酒という呼称
以前、「清酒」と「日本酒」という用語は混用されていました。それが日本酒造組中央会によって昭和53年に「日本酒」という呼称に統一されたのだそうです。(「ことばの四季報」 稲垣吉彦) 「日本酒の日」の制定の年ですので、多分そのときに行われたのでしょう。読み方は「にっぽんしゅ」ではおかしかったようで、「にほんしゅ」です。「日本」の読み方は、「にっぽん」が基本になったようですが、「にほん」もOKで、数の点では「にほん」の方が多いようです。読み方が二通りあるという世界で珍しい国のようです。 ちなみに私は「清酒」の使用頻度が多いようです。


10月1日
10月1日は日本酒の日です。ネットで見てみたところ、色々な日でもあるのにびっくりしました。
伝統的なもの:衣替え
最近制定されたらしいもの:コーヒーの日(コーヒー年度の開始日)、法の日(昭和3年に陪審法が施行)、ネクタイの日(初の国産ネクタイ製造が明治17年東京の小山梅吉によって行われた日)、東京都民の日(明治31年東京が市となった日)、印章の日(明治10年証書に実印を押すという太政官布告)、デザインの日(昭和34年、通産省にデザイン奨励審議会が設置)、メガネの日(”−00−”と表記することから)、浄化槽の日(「浄化槽法」が、昭和60年施行)、缶詰の日(北海道開拓使が明治10年石狩缶詰所を設置し、鮭の缶詰製造を開始)、土地の日(「土」という字を分解すると「十」と「一」)、トーチの日(これも「十」と「一」のよう)
海外・国際:国慶節、国際高齢者の日(国連)、国際音楽の日、香水の日  それにしても沢山あるものです。  


中世の酒に関するなぞなぞ3
問:酒の入物十 何ぞ 答:すヾむし(錫製の酒徳利型の酒器をスズといい、十は六と四だから)
問:ぼつ 何ぞ 答:酒壺(逆さの「ぼつ」だから)
問:のぼり くだりの てびょうし 何ぞ 答:さかばやし(登り降りは「坂」で「酒」、手拍子は、「お囃子(はやし)」、この頃すでに酒林があったことが分かりますね)
問:もみは さけのいれ物 答:ほたる(籾(もみ)は、「穂」、酒の入れ物は「樽」)(「中世なぞなぞ集」 鈴木棠三編)
どれも答が先にあって問を考えたといった感じがしませんか。


和田垣謙三の酒
和田垣謙三は、明治時代の東大の経済学学者ですが、トップクラスに変わった人だったようです。学校の講義ではいつも酔っぱらったような顔で出てきて、女優のゴシップとか和歌英訳の無駄話をしたりしながら踊ったりはねたりして時間切れになるのだそうです。酒が大好きで本郷近辺の縄のれんで毎日のようにトグロを巻き、家庭経済はメチャクチャ。給料は差し押さえされていたそうですが、酒屋を踏み倒し続けながら天真爛漫に飲み続けたようです。(「日本酒仙伝」篠原文雄) 「万歳(ばんざい)」の創始者としても知られた和田垣は、「家庭経済」という著作を出版したり、石川啄木の著作の序文を書いたりしたそうです。勲一等瑞宝章ももらっているそうです。こんな人に教わってみたいものですね。


不許葷酒入山門(2)
「臭くて精の付くものと酒は寺の正門を入ってはいけない」 という意味の有名な言葉で、寺の門前の碑によく刻まれています。それなら
@裏門から入れる。
A「不」の隣に「木」を書いて、「杯」にしたり、「不」の下に「図」を書いて、「不図(はからずも)」としたり、「不許」の下に「乎」書いて、「不許乎(ゆるさざるや)」とする。(これはおきて破り? それなら、「不」の文字を消す方が早いかもしれません。)
B米・米麹と、ニラ・ニンニク等の種を持ち込む。
C見なかったことにする。  


玄関盃(げんかんさかずき)
「菓子鉢位の大きさで、直径は七八寸もあったであろう。お客を饗応した後、そのお客が帰って行こうとする玄関でもう一度引き止めて、最後の一献を薦める。その時に使う盃なのだそうである。計ってみたことはないが、一ぱいにすれば二合も三合も這入りそうに思われた。盃の底の藍模様は鶴の佇む姿であった。」 「新・大貧帳」で内田百閧ェそれを手放す時の話で書いています。酒蔵に生まれた内田だけにそうした珍しい盃を持っていたのでしょう。


駆けつけ三杯
宴会などで遅れて駆けつけてきた人にはじめから飲んでいる人と同じ酒量になるよう飲ませる酒といったイメージです。この言葉は、直接的には江戸時代の火事から出た習俗に由来するようで、見舞いに駆けつけてきた人に冷や酒を飲ませたことだったようです。火消しの人達との関係もあるように思うのですが…。今でも火事見舞いに清酒を持参するのはそうしたことの名残かも知れませんね。三杯というのは、中世の飲酒習慣にある三献とも関係があるようです。いずれにせよそれがはじめの意味に転化したということのようです。


居酒屋の役割
「これだ、これなのだ、居酒屋の良さ、あたたかさとは。…居酒屋はどんな銘酒珍味を出しても、この、人の心を温もりで包む気持ちがなければ何にもならない。いかに銘酒を置こうとも、所詮それは自分の作ったものではなく単に手に入れただけだ。良い酒を飲むだけなら自分で買って飲めばいい。第一安上がりだ。魚だって例えばこの静岡ならいいものがいくらでも店にある。それでもなお人が居酒屋へ行くのは、そこに自分なりの安息を求めているからだろう。」 静岡で飲んでいた太田和彦が「ニッポン居酒屋放浪記立志編」の中で書いています。居酒屋巡りを始めた人が必ず感じる思いではないでしょう。


清酒の分類
清酒の分類を色々な角度からおこなってみました。
(1)アルコー ル添加からみた種類
 1,純米 (アルコ ール添加無)
 2,本醸造 (アルコ ール少量添加、ヤコマン添加)
 3,普通酒 (2よりアルコール 多く添加)
(2)生・熟成を中心にしてみた種類
 火入れ前
  1,生酒
 火入れ 後
  1,新酒 (火入れ 後数ヶ 月)
  2,普通酒 (火入れ 後1年ま で)
  3,古酒
   @短期 熟成酒
   A長期 熟成酒
(3)アルコー ル濃度からみた種類
 1,高濃度酒(原酒、普通種以上の濃度)
 2,普通種 (14-15%)
 3,低濃度酒(普通酒以下)
(4)吟醸造りを中心と した種類
 1,吟醸酒
 2,それ以外
(5)酒母の作り方からみた種類
 1,生もと
 2,山廃
 3,速醸、 高温糖化(普通酒)
(6)調合からみた種類
 1,単一もろみ酒
 2,調合酒(普通酒)
(7)濾過の方法からみた種類
 1,無濾過
 2,炭素不使用濾過(袋濾過等)
 3,炭素濾過(普通酒)
(8)精米歩合からみた種類
 1,普通酒
 2,特別酒(特別本醸造、特別純米、大吟醸)
まだまだありそうです。それにしても、上記のそれぞれの組み合わせがあるのですから、清酒の種類の多いことが分かるかと思います。


ソムリエの発想
「苦味は決して悪い表現だけではないと思います。  苦味がないと、逆に味わいのバランスを崩すように思います。」
「地元の水でなく、例えば、もう少しこの酒に硬さを与えたいと思ったら、硬度の高いフランスのミネラルウオーターのエヴィアンやヴィッテルなどで割ってみる、という発想も面白いかもしれません。」
「若い日本酒にに、二十年(古酒)を少し垂らしただけで、グンと変わります。ですから日本酒の長期熟成酒を考えるときも、もっと自由自在にブレンドの発想をしてもいいかと思います。」
「吟醸酒は冷やしすぎない方がいい場合が多いのです。  私自身本当に飲んでおいしいのは実は15度くらいです。」
田崎真也の「日本酒を味わう」にあります。こういう自由で合理的な発想は新鮮ですね。


アルコール
アルコール自身は、揮発性で、芳香のある液体で、当然飲めば酔っぱらいます。精製された90%位あるアルコール(清酒に添加する醸造用アルコールや、甲焼酎の原液など)は、口に入れてもぴりぴりしたものでなく、甘味さえ感じます。アルコールは殺菌作用があるといわれますが、余り高濃度のものは揮発しすぎてしまい、浸透性にかけて余り効かなくて、70〜80%位の濃度がちょうど良いのだそうです。薬局方の消毒用アルコールも従って80%位だそうです。ちなみにアルコールの濃度は、容量ではかり、100ccの中に何ccあるかで見ます。


ベトナム産清酒
福岡県の土木.砕石業者才田組が、ベトナムのフエ市に酒造工場を造り、ベトナム産の米を使って醸造した清酒を日本に運び、同じ福岡県の丸山酒造の清酒を1割ブレンドして瓶詰めし、「純米吟醸 越の一(えつのはじめ)」(越後の「越」でなく、越南=ベトナムの「越」です。)という銘柄で販売しています。工場は'99年末から稼働しているそうで、その後、甲焼酎の焼酎も始まっているようです。(日本経済新聞から) 私は渋谷区道玄坂のブーゲンビリアというベトナム料理店で見つけました。


明治天皇の酒
「天皇は酒が御強かった。井上通泰(みちやす)博士から聴いたのであるが、明治の末年に、博士が御歌所の寄人(よりゅうど)となって、間もない頃であったろう。天皇の御酒の御相手に出るようにとの御下命があった。博士も酒豪だったのであるが、天皇の御相手をして、飲めとおっしゃれば、幾らでも飲まなくてはならない。しかも酔っぱらうわけには行かない。御下問には、はっきり御答が出来なくてはならぬ。迂闊(うかつ)なことをいったりすると、忽ち天皇から揚げ足を取られて二っちも三っちも行かなくなる。それで、到底御相手は勤まりかねますると、御辞退申し上げた、とのことであった。」(「新編 明治人物夜話」 森銑三) 宮中改革に意を用いた西郷隆盛ですが、酒は弱かっただけに、この点では多分対抗出来なかったでしょう。


ワインの薬効
アレルギー体質−メドック 貧血−コーツ・ド・グラーブ アンギーナ(炎症性疾患の総称)−メドック 不安神経症−メドック 食欲不振−メドック、グラーブ 気管支疾患−メドック 大腸菌感染症−メドック カルシウム欠乏症−サン・テミリオン 神経衰弱−メドック 糖尿病−メドックの赤 下痢−メドック 腸炎−メドック 疲労−サン・テミリオン 妊娠−メドック 出血−サン・テミリオン 胃酸過多−ソーテルヌ、バルザック 腎臓炎−メドック 骨粗鬆症−メドック 紫斑病−サン・テミリオン サルモネラ感染症−メドック 結核−メドック 腸チフス−メドック 眼病−メドック これは、フランス人・モーリー博士の「ブドウ酒による手当」という本にあるブドウ酒による治療のボルドーの一部分です。(「酒の人間学」 水野肇) これが、それぞれの産地で延々と記されています。よく調べたものと思いませんか。それにしても本当に効くのでしょうか。


日葡辞書にある酒の種類
慶長8年(1603)にイエズス会宣教師達がキリスト教布教のため長崎で刊行した日葡辞書(日本語・ポルトガル語辞書)にある、酒の種類の言葉だそうです。(「江戸の酒」 吉田元)
新酒、古酒、清酒(せいしゅ、すみざけ)、濁り酒、濁醪(だくろう)、白酒(はくしゅ)、醪酒(もろみざけ)、諸白、霰酒(あられざけ)、霙(みぞれ)、練酒(ねりざけ)、菊酒、甘酒、葡萄酒、焼酎、薬酒(くすりざけ)、桑酒、枸杞酒(くこざけ)
だいたいは分かりそうですね。ということは、この頃、酒の種類に関しては、かなりのものが出そろっていたということなのでしょう。


中世の酒に関するなぞなぞ2
問:なぜにゑいた(なぜ酔った)  答:しいたけ(強いたから)
問:さか月ねがはくハかはくことなかれ(杯願わくば 乾くことなかれ) 答:きつね(狐、「逆さの月」で つき→「きつ」、「ねがはく」から「はかは」をなくすと「ね」)
問:えんの下のばうず(縁の下の坊主) 答:銚子(てうし、いろは歌で、「え」の下は「て」、「む=ん」の下は「う」、坊主は「師(し)」と解く)
問:象げ(ざうげ)うとふ也(象牙「うとう」=空洞 也) 答:にごりざけ(「ざうげ」が空洞なので「ざげ」、これは「さけ」ががにごっているので)(「中世なぞなぞ集」 鈴木棠三編 岩波文庫)
中世のはなぞは、何と難しく、かつ、面白いのでしょう。


酒を飲む順序
ワインの場合大まかに言うと軽いものほど安くて、フルボディでしっかりした味わいのものになるほど価格も高くなる。清酒は軽い味わいの大吟醸タイプが一番値段が高く、吟醸、特別純米、純米と価格が安くなるほど、味わいにボリュームができて、本醸造、普通酒とさらに安くなるにしたがって味わいが再び軽くなる。ワインの場合、食事の際、安いワインから高いワインに移っていく。つまり前菜からメインに向けて、料理に応じて軽いワインからボディ豊かなものへ移っていく。一方、同じような料理の流れを考えと、清酒の場合は、大吟醸を最初に、後から純米酒にというのが順序となる。つまり高い酒から安い酒に移っていくということになる。(「日本酒を味わう」田崎真也) この対比は面白いですね。


ワインのテースティング
重要なファクターは、一にアタック、二に酸味、三に果実味、四にタンニン、五にアルコール、六は長さだそうです。一のアタックは、口に含んだ時の第一印象で、「柔らかい、生き生きしている、攻撃的」というように表現するのだそうです。二の酸味は、白ワイン、四のタンニンは、赤ワインの最重要ポイントで、「柔らかくてノーブル、若くて収斂性が強い」というそうです。六の長さは、吐き出した後、あるいは飲みおわった後、のどに残る余韻の長さだそうで、最後にこうした要素のバランスをみて総合評価に移るということです。(「部屋いっぱいのワイン」細川布久子) 清酒の利き酒でも、こうした分析的な方法はよいのでしょう。


言の葉遊楽(ことのはあそびがく)
「面白い対比としてはにごり酒−どぶろくのことを賢人 清酒のことを聖人と言ったりもする」「いちいち名前つけますねー」「隠語もある 玄水 唐茶 般若湯 これはみんな僧家の隠語だ」「おいおいおい− 坊さんは酒のんじゃいかんのではなかったんか−」酒の別名には狂薬なんてのもあるが−野暮な言葉よ 琴・詩・酒 これを総じて三友という」「−はあ」「酒は忘憂 掃愁草(そうしゅうそう) 憂い払う玉箒(たまはばき) 今宵は一献傾けようぞ にっこー」「…飲みたくなっちゃったんですね 先生 」「さーて つまみはなににしようかなー」(わかつきめぐみ コミック 言の葉遊楽 酒の巻 其ノ一) どんな登場人物が想像されますか。広辞苑の言葉ノート5冊からの成果だそうです。


拝啓 酒蔵 様
最近、楽しみにして飲んだ清酒で、ヤコマン使用のため、すっかり形の壊れてしまっているものが、かなり多数見受けられます。ヤコマンは本来発酵途中に出てくるものを回収するのですから、それが再び酒に戻されることは、合法ですし、私は決して異を唱えるつもりはありません。しかし、それを添加することによって、せっかくのその酒本来の香りや味を壊してしまうような使い方には賛成できません。そうした酒はすぐ分かりますし、少しもおいしいとは思えません。使われるヤコマンの品質が良くないのか、添加される酒との相性が合わない場合があるのか、その辺はよく分かりませんが、是非その使用については注意を払っていただきたいのです。少なくとも、添加後の味を十分確認して、出荷するかどうか判断していただきたく思います。以上よろしくお願いいたします。


アルコミ(or 酒コム)
余り読んでいないのですが、酒を主題にしたコミックを並べてみました。
 自己体験型 酒とたたみいわしの日々(浜口乃里子)、平成よっぱらい研究所(二ノ宮知子)
 ストーリー型 夏子の酒、奈津の蔵(尾瀬あきら)
 ウンチク型  BARレモン・ハート(古谷三敏)、まんが日本酒入門(高瀬斉)
 劇画型    ソムリエ(原作・城アキラ、漫画・堀賢一)
 ほんのり型  杯気分!肴姫(入江喜和)
 折衷型    酒の細道(ラズウェル細木)
まだまだ沢山あることでしょう。ご存じの方がおいででしたら是非教えてください。


山田錦と雄町とから造った酒の違い
山田錦はシャープな感じだそうです。酸味、苦みがよりはっきり感じられ、全体的にクリーンな印象があるそうです。そして、少し寝かせておくと、まとまった味になるタイプだそうです。一方、雄町は、まろやかで丸みを感じるそうです。軟らかいけれど、ボリューム感があるそうです。酸もあるが軟らかく感じるタイプだそうです。 これは、田崎真也の「日本酒を味わう」にあります。ワインの原料であるブドウと違って、清酒の場合、原料である米の違いによる製品の味の差は、私を含めて、一般にはなかなか分からないだろうと思います。


酩酊児
渡辺淳一の小説、「酔いどれ天使」のストーリー展開のキーワードです。小説の主人公は医学関係の本を調べて、医学用語事典に「男子が酩酊状態で性交をし、その時に受精して妊娠した児をいう。精神薄弱、痴呆、性格異常、先天性異常児を生む確率が多いという。精神科用語」と記されていることが分かります。現在ならこうした解説用語がそのまま使われることはないかもしれませんが、これを主人公が知ったことで話が進んでいきます。 「酩酊児」などという言葉のあったことにびっくりしたり、「酩酊状態」とはどのくらい酒を飲んだ状態なのかとか気になったり・・・・・しませんか。


鵞鳥(がちょう)の卵杯
江戸城三の丸尚蔵館で、平成14年9月8日まで「細工・置物・つくりもの」展が開催されていました。ここに、鵞鳥の卵杯が展示されています。10-20cm位の大きさで、容量は1合位でしょうか、金蒔絵で竹が表面に描かれ、内側は金泥が塗られています。当然、全部飲まないと下に置けない底の丸い可杯(べくはい)です。明治天皇愛蔵の品だそうです。酒の好きだった明治天皇ですから、多分使用したことでしょう。こわれやすい卵を杯にするのには何か一工夫あるのでしょう。配布されているパンフレットにはその写真がのっています。


榎本其角の酒句
大酒に 起きて物憂き 袷(あわせ)かな
酒を妻 妻を妾の 花見かな
蝸牛(かたつむり) 酒の肴に 這はせけり(「日本酒酒仙伝」篠原文雄)
芭蕉十哲の一人、酒好きで、医師の息子であった其角は、芭蕉に大酒を戒められたようですが、本性は直らずといったところだったようです。師匠没後は、酒と同様に、芭蕉の俳風からは離れていったようです。程々の芭蕉と大酒の其角の違いなのでしょうか。


徳川夢声の酒
「私は夢声さんのことはまだ知らなかった。ただ、新宿武蔵野館で聞いた映画説明の名調子だけは知ってゐた。そのほかには一度だけ、どこか飲んだ帰りと見える夢声さんが、荻窪駅前の福助といふ鮨屋で梯子酒してゐるところを見た。夢声さんは洒落を連発して、鮨屋の主人を笑はせてゐた。次から次に当意即妙の洒落が出て、すばらしい話術であった。コップ酒を飲みながらのお喋りだが、酒を飲むのでなく、口に流し込んで噛(か)むのである。口から酒が流れ落ちる。飲みたいのでなくて、もう飲めないのに噛んで無理やり咽(のど)に入れようとした。」 これは、酒仙・井伏鱒二の「荻窪風土記」の中にある同じ酒仙・夢声の風景です。夢声・明治27年生まれ、鱒二・明治31年生まれ。


千駄(せんだ)祝い
「駒形どぜう噺」にありますが、第2次大戦の始まる少し前、駒形どぜうの主人が京都の若井酒店に住み込みで修業し、その味に惚れ込んで頼んだところ、戦中のものの逼迫していた時代だったのにもかかわらず、蔵元は千駄の酒を融通してくれたということです。著者の5代目越後屋助七は、馬1頭で運ぶ1斗樽2本を1駄と計算し、数字が達した際にそのお礼にと、金製の菓子器を感謝の気持ちをこめて蔵元に贈ったということです。当時は「千駄祝い」という習慣が、まだ商人の間にあったということです。


中山あい子の酒
「やあ、お酒ってほんとに愉しいですねえ。ほんの、一杯、あの琥珀色の液体を流し込むとじわぁっと胸に広がっていく時、胃があって肺があって、ああこれが私の肉体なんだ、生きてるんだ、と思うことが出来る。そして、お代わりする度に頭がぽわあっとして来て、やたら気楽になって来るのが、ちゃんと分かる。分かりながら酔ってゆく。いつも覚めているのはつらい。」と、酒場でワイワイと適当に愉快に飲むことを好み、50代まではいくらでも飲めたという、作家・中山あい子が「水割りおかわり」に、書いています。その後、糖が出るようになってほとんど酒は飲まなくなってしまったそうですが、すでに責任分は十二分に飲んだことでしょう。


クレメント・フロイドの二日酔い対策
「自分の二日酔いがどのようなものか確かめなさい。それは一時的な病状の集まりで、それぞれ個個に治すことができるものなのだ。その三分の一を手当てすれば、そのころには残りの症状は消えている。罪悪感だけは持たないようにせよ。これが一番長く続くのだから。」 クレメント・フロイドの「ハングオーバー」(「それでも飲まずにいられない」開高健編)にありますが、初めて合理的な二日酔い対策を見た思いがしました。要するに風邪の時のように、せきにはせきの対策、熱には熱の対策をということです。そういえば風邪にも根本的な薬はありませんでしたね。


開高健の酒味
マーティニも、スコッチも、コニャックも、ぶどう酒も、日本酒も、茅台酒も、すべて酒をその性格にあわせて洗練、円熟を追求していくと、結局、登場してくるのは清水である。澄みきった、冷たい、カルキも知らなければ鉛管も知らない山の水である。(「ペンと肝臓」)
ウォツカ、ジン、焼酎、こういう澄明な、不純物のない蒸留酒は翌朝のダメージが軽くすませられるし、上質の磨きぬかれたのになると、その単純な深さが何よりもありがたいのである。これにくらべるとウィスキーやブランデーの香りがわずらわしくてならないと感じるようになった。これまでは、華麗、豊饒と感じ入っていたのに・・・。(「もどる」)
両方とも開高健の文章です。前半は酒一般に対する好み、後半は加齢による心境なのでしょう。そういうものなのでしょうか。


住江記念館(農大醸造博物館)
昭和35年、醸造学、食品学の住江金之が70才で農大を定年退職する時、その教え子であった造り酒屋等が「恩師老後のために」と800万円ほどの金を集めたそうです。このとき住江は「金はいらぬ。だが、せっかくの好意だから、死ぬまで研究をつづけられる施設がほしい」といったところ、こんどは1700万円の浄財が集まり、それによって住江記念館が建てられたのだそうです。住江は教授を辞めて講師になってからもずっとその記念館に通って研究を楽しんだそうです。(「日本酒仙伝」篠原文雄) これが現在の東京農大醸造博物館だそうです。


「駒形どぜう」と酒
「どぜう」という言葉はこの店の専売特許のようです。どじょう鍋の作り方が、「駒形どぜう噺」(小学館文庫)にあります。3.75kgのどじょうを深い鍋に入れ、上から360mlの酒をかけると7〜8分で酔いが回っておとなしくなるそうです。酒を飲ませることによってどじょうの臭みが抜けて、骨も軟らかになるそうです。これを甘味の味噌汁の沸騰したところにいれ、初め蓋をして強火で煮、泡が出てきたら弱火にして30分位煮込むのだそうです。これが下ごしらえのようです。その後、やや薄味のタレで煮込み、薬味としてきざみ葱を上からかけ、煮ながら熱いのを食べるのだそうです。酒酔いどじょうはうまいもので、間違いなく酒もすすみます。


「日本酒の絶妙さ」
「入り組んだ日本の食事には、一回の献立の中に胡桃(くるみ)から鶫(つぐみ)や熊の足といったものまで含まれている場合もありうるが、日本酒はその全部と合う。  この点で日本酒は葡萄酒に優るのであって、全然なにも食べないか、せいぜい塩をちょっと舐(な)める程度でもすむ。」 これは酒仙・吉田健一の英文を邦訳した「日本酒の定義」の中の一文です。(「この金色の不定型な液体」田村隆一編) 食前にはシャンペンだ、魚には白ワインだといった飲み分けの必要のない清酒。ワインではあわないのにキャビアにあう清酒。この点はもっともっと強調して良い清酒の特徴のように思います。


国木田独歩「巡査」
「全く気楽です! だから酒は石崎からこうやって樽で取ってグイグイ飲むのですが、沢の鶴も可(い)いが私どもにゃ少し甘みが勝っているようで却てキ印の方が口に合います、どうも料理屋の混成酒だけは閉口しますなア」(新潮文庫)  これは独歩の小説中にある登場人物である巡査の言葉です。明治30年代の作品だそうですが、分からないことだらけです。一人住まいのこの人物が4斗樽を買っていたのか、それとももっと小さい樽の販売が行われていたのか。「キ印」とはどんな酒のことだったのか。料理屋で行われていたらしい「混成」の酒とは。ご存じの方がおいででしたら是非ご教授下さい。


若槻礼次郎の「酒の効用」
首相を辞めて後、若槻礼次郎は駒込・六義園の裏に新邸をつくったそうです。そこへ千葉から松の巨木を運んだのだそうですが、途中で、それを運搬する馬が暑さに耐えきれず倒れてしまったそうです。馬方が機転を効かせて、馬に酒を5合ばかり飲ませたところ元気が戻り、無事に運搬を終えたそうです。ところが、その松が枯れかかってきたので、馬の話を聞いていた若槻は、燗冷ましの酒を毎朝根本にかけたところ、活着したそうです。(「日本酒仙伝」篠原文雄) 酒仙の一人若槻らしい話です。


二日酔いの各国語訳
スペイン    レサカ(Resaca)                              病気
イタリア      マレッセレ(Malessere)                         病気
         マレッセレ・ドーボ・ズボルニア(Malessere dopo una sbornia) 大酒の後の病気
フランス    ギュル・ド・ボア(Gueule de bois)                   木製の喉
デンマーク   トマメン(Tφmmermaend)                       大工たち
ノルウェー   ボックルス(Bockrus)                          後遺症、蹴り返し
スウェーデン  バークスメラ(Baksmalla)                        後遺症、蹴り返し
オランダ    カーテル(Kater)                              猫
ドイツ      カッツェンヤンマー(Katzenjammer)                  猫の鳴き声
ポーランド   コチオクヴィック(Kociokwik)                       子猫の鳴き声
         キャッツ(Kac)もっとひどいとき                      猫
「それども飲まずにいられない」(開高健編)の、C・フロイドのハングオーバーにあります。



蕪村の酒句
酒十駄(4斗樽を2つ1匹の馬で運ぶのが1駄です) ゆりもて行や 夏こだち
故郷(ふるさと)や 酒はあしくと そばの花
炉びらきや 雪中庵の 霰酒(あられざけ)
漁家寒し 酒に頭(かしら)の 雪を焼
升呑(ますのみ)の 値(あたい)はとらぬ 新酒かな
五六升 芋煮る坊の 月見かな
みな一幅の絵を見るといった感じで、本人が酔っぱらっているという感じのない句のように思いませんか。(岩波文庫)