ぼくの車は戦闘機

ぼくの車は戦闘機
自動車教習所奮闘記 (1)
自動車教習所奮闘記 (2)
自動車教習所奮闘記 (3)
自動車教習所奮闘記 (4)
自動車教習所奮闘記 (5)学科編
自動車教習所奮闘記  (6)路上編
自動車教習所奮闘記  (7)路上編2
自動車教習所奮闘記  (8)限定解除編


自動車教習所奮闘記(5)・学科編


授業は全部きちんと受けていました。
ところが、お恥ずかしい話なのですが、実はその時、僕は漢字がほとんど読めませんでした。まるっきり読めなかったわけ ではありませんが、まっほとんど読めなかったと言っても間違いではないような気がします。車の免許に挑戦していたあの当時 の僕の年齢は19歳。しかし、僕の国語力は小学校3年生か4年生くらいの学力しかありませんでした。多分、読み書きだけで はなく国語の読解力もあまり発達していなかったと思います。19歳と言えば、普通ならば運転免許の教本を読んだり理解する のはさほど困難な事ではないはずですよね。

僕が最初に入学した小学校は横浜市内の養護学校で、4年生の1学期まで過ごしました。近所の小学校(相模原市内)へ転校 したのは4年生の2学期でした。その事と教習所の学科の授業がどう関係があるのか?
僕が小学校へ入学する時、足が不自由だからということで専門の養護学校への入学となりました。当時の養護学校は比較的ゆ っくりとした時間の中で、学力よりも身体の機能回復訓練と、生徒の主体性を引き出すための訓練が主で、それが勉強だったよう に記憶しています。
そういうわけで、僕の場合は皆さんのように普通の勉強というものはあまりしていません。勉強をしてきていないのですから、 まず漢字が読めません。19歳になっても新聞すらまともに読めなかったんです。新聞を読むだけの学力も読解力もない者が運転 免許の学科の試験に合格するのって、けっこう大変です。状況を想像できますでしょうか?

運転免許を取る時に自分の国語力と学力のなさを思い知らされ、「これじゃあまずいなあ!」とあの時に奮起したおかげで、 その後、新聞が普通に読めるくらいにまでなりましたし、読み書き算数くらいならば特に不自由はないくらいにまでなりました。 こうして、下手な文章ですがホームページに書き込んで皆さんに読んでいただくという楽しみも分かるようになりました。


ホンダCR-Xをバックに親父と


学科の授業そのものは机に座って黙って聞いていれば良かったわけですし、多少は理解もできたのですが、身体機能が安 定してないせいか、じっと机に座っているという行為が僕には苦痛でした。
これは、あまり勉強が好きではなかった言い訳に聞こえるかも知れませんが。講義を聞いても漢字が分りませんからノートに 書き取るのも大変でした。

たとえ学校では身体の機能回復訓練が主だったとしても、どうして僕は勉強をしなかったんだろうなあ! 今、思いおこして も明快な答えは見つからず、謎のままです。
その時々に精神的に受けていたストレスなどが原因だったのかなあ。今、目の前で起きていることには興味はあったのです。 今、自分に関係があるかどうか。そんな稚拙な判断だけをしていたような気がします。僕って、結構、いい加減なんです。
じゃあ今は少しはマシになったのかい?  マシになったと思い込んでいるのは自分だけのような気もするし、正直言って、 分かりません。そうそう、高校を卒業して職業訓練校へ入る時の面接で、「写植」担当の先生が先ず一番に質問してきたのが、 「新聞は読めますか?」でした。あっはっは、冷や汗タラ−リでした。

話しが脱線してしまいました。教習所の学科の話に戻します。
学科の問題が正確には読めない。仮に読めても問題の意味が分らない。まるで、ないないづくし。 かなりの数の練習問題や本試験の模擬テストをこなして、何とか仮免許証を取得したのでした。 高校時代の先生に自宅へ来てもらって字を教えてもらったり、問題文を絵や漫画に書いて覚えたり、文章とか分からない漢字な どは記号として覚えてまるごと暗記する作戦でのぞみました。 どうしても分からない漢字などは一つの形として理解をするようにしました。その漢字がどうやってできているのか。形から漢 字の読み方を覚える。あのやり方です。

教習所を卒業し、学科試験は横浜・二俣川の運転試験場の適正相談室というところで受けました。
当時は、学科試験は、一般健常者の人とは別の部屋で受けました。体に障害を持った人の「試験」や運転免許証の「限定解 除」は、適正相談室で相談に乗ってくれたり、手だけで運転のできる車が置いてある教習所などを紹介してくれます。もちろん、 運転試験所にも手だけで運転のできる車は置いてあります。

僕は何度も何度も学科試験を受けては落ちを繰り返し、結局、10回目で合格することができました。
念願の運転免許証を手にした時、毎日、相模原から横浜まで車で送り迎えしてくれた母や、僕のために勉強を教えに通って くれた高校時代の恩師の愛情に熱いものがこみ上げてきました。

後で分った事なのですが、運転試験所には漢字にかなが振ってある問題もあります。10回も試験を受けるはめになるのであ れば、最初から教官に聞いておけばよかった。そんな余裕が僕にはなかったから後の祭りなのですが。

以上で、冷や汗たらたら「学科編」は終了です。

次回は「路上編」です。
乞うご期待!

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