世界のことわざ

ことわざは、もちろん、日本ばかりでなく、世界中でひろく使われています。そこには言語や民族、風土による独自性もあり、またそれらを超えた共通の論理がかいま見られることもあります。ことわざは、世界の民族文化を理解する一つの窓であり、逆にその窓を通して私たち自身の姿が見えてくることもあるようです。第1回は、ネパールのことわざをご紹介いたします。


「ネパールのことわざ」

ことわざ研究会会員 蓮見順子

 ヒマラヤで知られる南アジアの国ネパールは、多民族国家です。それぞれの民族の風俗・習慣が複雑に絡み合い、魅力的な文化を作り出しています。このことはことわざにも反映され、特色のある味わい深い表現、内容のものが多くあります。
 ネパールのことわざに影響を与えていると思われる三つの大きな要素があります。

1. ヒンドウー教の国であるということ
 ネパールでは主にヒンドウー教、仏教、土着の信仰が混淆して存在していますが、国民の85%以上がヒンドウー教を信奉し、憲法ではヒンドウー国家と規定されています。
「インドラの前で雨の話」
 インドラは雨の神様です。釈迦に説法ということでしょうか
「ラーマーヤナを学んで12年、シータはいったい誰の妻」
 シータは、「ラーマーヤナ」というヒンドウーの大叙事詩に登場する英雄ラーマの妻です。いくら勉強してもさっぱり頭に入っていないと、嘆いています。
「仕事が厭でジョギになり、その翌日から飢えて暮らす」
 ジョギはヒンドウー教の行者で、修行を目的に施しを受けながら聖地の周辺を放浪しています。
「パシュパテイに詣でて、煮干しを売る」
 パシュパテイはカトマンズ盆地にある寺院で、ヒンドウー教の聖地です。”一石二鳥”というわけです。

2. 農業国であるということ
 ネパールでは国民の大多数が農業に従事しています。ことわざは農作業の知恵・知識を、記憶しやすい形で後継者たちに伝える役目も果たしてきました。
「料理人の失敗は一食分、農夫の失敗は一年分」
「種と体があればことは足りる」
「プス月の霧、マーグ月のお湿り、ファーグン月の雨、チャイト月の日照り」
豊作をもたらす自然の条件を言っています。ネパールのビクラム暦のプス月は西暦では12月ー1月、マーグ月は1月ー2月、ファーグン月は2月ー3月、チャイト月は3月ー4月に当たります。

3. 世界でも有数の貧しい国であるということ
 ネパールは国連の規定する世界最貧国の一つです。食べることがやっとという貧しい生活は、ことわざにも反映されています。
「食べてもダル・バート、食べなくてもダル・バート。他の食品はみな牛肉に同じ」 ダルは豆のスープ、バートはご飯(あるいは主食となるもの)。ダル・バートは腹に入れる最低限の食物です。どんなおいしい食べ物があっても、ヒンドウー教で食することを禁じている牛肉と同じで、貧しい者の口に入ることはありません。
「貧者の食卓に唐がらしの飾り」
 つらいことばかりが多い者にとっては、ちょっとしたことでも楽しみとなります。
「太鼓ならしてダサインが来た、借金残してダサイン行った」
 ダサインは日本のお正月に相当するネパールの大きなお祭りで、秋の収穫が終わったころやってきます。ご馳走を調えたり、贈り物をしたり、たいそう物いりなお祭りなのです。
「息あるかぎり希望もある」

 ことわざを眺めていると、その国の風俗・習慣、価値観、思考傾向などがおぼろげながら見えてきます。ではここでちょっぴり覗き趣味的興味から、ネパールの父母、夫婦、嫁姑など家族に関係することわざを中心にいくつかご紹介しましょう。

父母・子
「母の膝は他人の10万ルピーに等しい」
 これは、原文のネパール語をローマ字表記すると「aruko laakh aamaako kaakh」となります。laakh(10万)とkaakh(膝)の脚韻がポイントです。
 ネパール語はインド・アーリア語系の言語で、ヒンデイー語やサンスクリット語と同じデーヴァナーガリー文字を使います。学習する人にとっては、発音の複雑なのが悩みの種ですが、語順は日本語と似ているため、学びやすい言語と云えるかもしれません。
「父母の心は子にあり、子の心は石や丸太にある」
 ”親の心子知らず”ですね。
「子ども12人に孫13人、しかるに老父は肩にずだ袋」
 子どもがたくさんいても、だれも面倒をみない。老父はずだ袋をさげて、物乞いをしなければならないようです。

夫婦
「第一妻は雨を乞い、第二妻は日照りを乞う。老いた私はどこへ行こう」
 どこへなりとお行き。
「二人妻を持つ夫は、部屋の隅で泣く」ということわざもあります。
 何人も妻を持つと大変なようです。
「がみがみ妻は、カウソの首輪」
 カウソは低い丘陵地に生えている植物で、さやがちくちくした毛で被われています。
「夫婦喧嘩は藁についた炎」
”夫婦喧嘩は犬も喰わぬ”ネパールでも、夫婦喧嘩はすぐ終わるようですね。

嫁姑 
「ひまな嫁に牛の尻を掻かす」
 仕事をおし、すること無いなら、牛の尻でもお掻き。嫁が遊んでいるのは、どうしても気に入らないのですね。
「娘を叩いて嫁を威す」
 叩かれる娘もたいそう迷惑なはなしです。
「桃の咲くときは家に、桜の咲くときは実家へ」
 桃の咲くときは農繁期の忙しいときです。嫁の手は是非必要です。桜は収穫も終わった農閑期に咲くようです。食い扶持を減らすためにも嫁を実家へ帰したいのでしょうか。ネパールでは秋に桜が咲いていました。(春に咲く桜もあるかもしれませんが、確認していません。)
「犬ほど誠実で、婿ほど不誠実なものはいない。
ネパール語でガール・ジュワインという言葉があります。ガール(ghar)は"家"ジュワイン(juwaii~)は"婿"という意味です。これは入り婿のことですが、ここでいう婿はおそらくガール・ジュワインのことを言っているのでしょう。


 ネパールの人々はとても親切で人なつっこく、見ず知らずの人でもすぐ友だちになって、家に食事に招待されたりします。それにもてなし上手でもあります。それは、一つには、ネパールでは客は神さまと考えられているからです。
「結構結構はたてまえで、食べ始めると4マナ」
1マナは一人一食分相当の飯の量をいいます。
「一日目のお客はおいしくお食べ、二日目のお客はほどほどお食べ、三日目のお客はトットと失せろ」
 いくら神さまでも、あまりずにのると敬遠されます。
 たくさんのことわざの中からの、ほんの一部分の紹介ですが、ネパールの人々の考え方、日常生活などをすこしご理解いただけたでしょうか。

   15年ほど前、始めてネパールに行き、ネパールの人々の魅力に惹かれて、ネパール通いが始まりました。最初の訪問から帰国後すぐにネパール語を学びはじめ、民話、戯曲、小説など、手あたり次第に、辞書を引き引き読みました。小説には必ずと言っていいほど、ことわざがでてきました。単語を一つ一つ訳しても、ことわざの場合意味が分からないのです。その背景とか、使われる状況とかを理解しなければなりません。文化、習慣なども知っていないと、分からないことも多い訳です。それがネパールのことわざに興味を持ったきっかけです。いつか集めたことわざを、ネパールのことわざ辞典という形でまとめたいなと考えています。  



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