ことわざ学会

韓国のことわざ

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儒教思想と女性差別のことわざ小考(朴丹香)

心を表すことわざ(賈惠京)

韓国のことわざと犬(鄭芝淑)

 

儒教思想と女性差別のことわざ小考

朴丹香(パク・タンヒャン)

 韓国のドラマには、女性が少しでも声に出して自己主張すると、たちまち「암탉이 울면새벽이 온다 (雌鳥が鳴くと家が滅びる)−書経−」と怒鳴りつけられる場面がよく出てくる。責めるのはおおむね男性だが、同姓の姑の場合もままある。これは、家庭内で重要な決定をする時に、男をさしおいて女が口出しをすると家庭秩序が崩れる、という女性差別の諺の代表的な一例である。また、「여자는 백 살을 먹어도 수염이 안 난다 (女は百歳になってもひげが生えない)」という、女はいくら年を取っても男にはなれないから男に従うべきだとの意味のものや「남자는 하늘이고 여자는 땅이다(男は天であり、女は地である)」とか「여자는 시집가면 그 집 귀신이 되어야 한다(女は嫁ぐとその家門に骨を埋めるべきだ:再婚禁止)」などの類を見ても、ことわざの中に存在する男尊女卑の差別的な意識が感じられるであろう。

 韓国でも、古代三国時代には、母系社会で女性の地位が高かったことが記録上にも出てくる。しかし、高麗時代末から李氏朝鮮時代初期に流入した儒教の影響によって、しだいに女性の地位は低下し、さまざまな規制が強化された。「三従之義、女必従夫、出家外人」などの家父長的な思想が根を下ろし、女性の権威を弱め、差別する根本的な要因がもたらされたのである。こうした儒教的女性観はきわめて不平等な人間関係を作り上げ、女性は常に順応し男性に服従することが美徳とされてきた。そして、女性を露骨に無視し、女性差別を正当化してきたといえよう。

「여자는 세 발 앞도 못 본다 (女は三歩の前も分からない):近視眼的だ」
「여자 말은 잘 들어도 폐가하고 안 들어도 망신당한다(女の言うことをよく聞いても破産するし、聞かなくても恥をかく):話の全てを聞き入れることは危ない」
「여자가 셋이면 접시가 깨진다(女三人寄れば皿をも割る):やかましい」
「여자의 속은 뱀 창자다(女の頭は蛇の腸のようだ):浅はかで単純だ」
「여자와 겨울 날씨는 믿을 수 없다(女と冬の天気は信じられない):気まぐれ」
などは、女に対する偏見をよく表している例である。また、
「여자가 너무 알아도 팔자가 세다(女が物知りでも星回りが悪い)」
「여자는 제 고을 장날을 몰라야 한다(女は村の市の立つ日を知らないほうがいい)」
などのように、女性に知識があると素直に従わなくなることを恐れ、知識があるのは得にならないことだと、前もって警戒することわざも生じた。その他にも、
「첫 손님이 여자면 그 날은 재수가 없다(初客が女だったらその日の運は悪い)」
「첫 과일은 여자가 따지 않는다(初果実は女が取ったらいけない)」
など、歪んだ認識と偏見は今も根強く残っている。このように女性を弱くて、無知で軽いものとして扱うことは、どこの国にも見られる現象だが、韓国の場合は特にはなはだしいといえよう。韓国の女性は、長い歴史の中で女性としてのアイデンティティを失ってきたが、これには、従順な女を当然のこととして強要してきた儒教の影響がもっとも大きな役割を果たしてきたと思われる。

 しかし、時代が変われば認識も変わるもので、近年は、「암탉이 울면 새벽이 온다(雌鳥が鳴くと夜が明ける)」とか「여자 말을듣지 않는 남자는 간 큰 남자이다(女の言うことを聞かない男は肝の大きい者だ):女を怖がらないのはあり得ない無知な行動だ」といった、従来の常識とはまったく相反する新しい流行語も生まれてきた。ことわざは常にその時代を反映する。
  これは、女性がますます社会に積極的に進出し、内外ともにその役割が大きくなってきたことの反映であり、これまで抑圧されてきた女性の存在を正当に認める証でもあろう。

 近年、儒林(儒学者)の激しい反対や議論を経て、韓国内で女性に差別的だった戸籍制度が変わった。戸籍制は父系を優先する血統主義と男性の優越意識を引き立てる代表的なもので、従来は戸主は必ず男性しか認められなかった。夫が亡くなっても妻が戸主になることができず、いくら幼くても息子が戸主として登載されていたのである。
  しかし、家族関係法の改正により従来の戸籍制度は廃止され、これに代わる家族関係登録簿では女性も一家の代表者になることができることになった。

 ところで、韓国特有の夫婦別姓をフェミニズムの観点から男女平等の理想として評価する見方があるが、これこそ差別的な措置ともいえる。なぜなら、男系の血統を重視する伝統社会の家族制度の下では、いくら婚姻によって結ばれても、女性は「赤の他人」だから同じ姓を許さなかったとの見方もありうるからだ。しかも、姓を変えるのはその家門と一族からの離脱を意味することから、一生姓を変えることはありえないことであった。外国では自分の真実を訴えるときに神様に誓うが、韓国では「(私に間違いがあったら姓を変える)」と誓うほどである。こうした血統優先主義の結果、再婚しても前夫の子は姓を変えられないので、兄弟で姓が違うことになるなど、生活上さまざまな問題をもたらすことにもなった。しかし、これも家族法の改正により父母どちらかの姓を自由に選び、姓を変えられることになった。つまり、男女の関係が、従来の支配従属的なものから平等な権利関係へ変わることが法律的に認められたのである。長年にわたり儒教思想が強い影響力をもってきた韓国社会では、まさに画期的な変化であり、一大事件であったといえよう。

 何年か前、当時無名の女優が一躍スターになるきっかけとなった家電製品のCMに次のようなセリフが出てくる。「남자는 여자 하기 나름이에요(男は女の扱い次第です)」これは、「この世を支配するのは男であるが、その男を動かすのは女である」という言葉と一脈通じるところがある。世の中の半分は男、また半分は女で構成されている。お互いの存在を認め合って偏見や差別をなくし、今まで紹介した性差別のことわざ類が博物館入りし、遺物となる時代が来ることを私は願っている。

(韓国協成大学校兼任教授)

 

心を表すことわざ

賈惠京(カ・ヘギョン)

 「交差点に進入し、人々を次々と刺し殺した犯人が逮捕されました・・・」とアナウンサーの緊張した声が部屋に響いた。反射的にテレビの画面に視線を移すと、通り魔事件が生々しく映し出され、そこには巍然とした(面の皮を千枚も張ったような)表情の犯人がいる。賑やかな繁華街を選び、世の中が嫌になったので、人を殺すために来たと、犯人はネットに書き込みをしていたという。誰でも良かった。無差別の人殺しの犯行である。気味の悪い世の中になったものだと思い、「渡る世間に鬼はない」ということわざの存在が薄れていることを残念がる。「渡る世間に鬼ばかり」という言葉に違和感がなくなっているこの世の中が悲しく感じられるのである。世間には奇妙で恐ろしい行動で人を脅かす鬼のような人ばかりではなく、心が温かくて親切な人もたくさんいる。私の視線は、居間の壁に掲げてある「一期一会」の掛け軸を追う。

 私は数年前に韓国から日本にやってきて、勉強や仕事をしながら暮らしている。
 生活の中で、日本の人々と接した折に日本人の奥床しさ、しなやかさ、親切さと出会い、日本文化の素晴らしさをあらためて味わうことも多々ある。そうしたなかで、お茶の世界で生まれたという「一期一会」を学んだ。人と人がめぐり会うのは、一生に一度の機会と思って誠意を尽くすべきであるというこのことばは、私の胸に焼きつき、大好きなものになった。韓国の「옷깃만 스쳐도 인연이 있다(えりだけを擦れても因縁がある)」を思い起こさせることばである。この韓国のことわざにぴったりする日本のことわざがある。「袖すり合うも他生の縁」である。見知らぬ人とたまたま道で袖をすり合わせるというのも、前世からの深い因縁によるものであるということで、出会いの奥床しさを物語る。人と人との関係は決して単なる偶然によって生ずるものではなく、深い意味合いを内包しているため大切にしなくてはならないという教訓を含むことわざである。

 日本と韓国は、地政的要因に加え、文化的には儒教、仏教を共有し、そして、古代から今に至るまで人的交流が盛んであったため、ことわざも類似のものが少なくない。そして、その類似のことわざに出会うたび、あらためて親しみを覚えることになる。外山滋比古氏は「ことわざには心がある」と語っているが、実にことわざの中に、あたたかい心が生きていることを感じるのである。
 韓国でよく使われている心を表すことわざをいくつか紹介してみよう。

「지성이면 감천(至誠ならば感天)」
「이심전심(以心伝心)」
「원한을 갚을때는 덕으로 갚는다(恨みは徳を以てかえす)」
「마음을 잘 가지면 죽어도 좋은 귀신이 된다(心を正しく持てば死んでからもよい神になれる)」
「물에 빠져도 정신을 차리면 산다(水に溺れても心をしっかりすれば生きる)」

 物事を伝えようとする意思がこめられたことわざに、豊かな人の心とことばの巧みさが伺える。表面的な文字通りの意味の向こう側に本当の意味、″こころ″が眠っている。

 通り魔事件の犯人は、これまでの人生で、どのように人と出会い、どのような心を持って接していたのだろうか……。人生には出会いがつき物であり、出生時の母との出会いから始まり、様々な出会いの絡み合いのなかで生を営んでいる。そして、現代人は、ネットの発達によって、人々の出会の機会がどんどん増えてきている。なのに、心を通い合える人々の数はむしろ少なくなっているといわれるのは、何故なのだろう……。
 人と人との交流の形が、直接の会話によるものであれ、機器を通したものであれ、従来に比べて量的に増えていることは明らかであるのに反して、真の心の交流の面においては量に追いつくことはできなく、肝心の交流の核となる中身が抜けているように思われてならない。風船のようにふわふわとして、ちょっとした刺激によって壊れる、形だけのものになっているのではないだろうか。
 また、心が病んで自殺する人が毎年増えつつあると新聞に報じられている。これは日本だけではなく韓国も同様である。現代人は心が痩せ衰えて、ふらついているかもしれない。真の交流とは何か、突き詰めていえば、心の交流であろう。せっかく与えられた出会いを大切にするためにも、ことわざにこめられた人間の心を注視することを忘れてはならないと思う。

 韓国のことわざに「머리털을 베어 신발을 삼는다(髪の毛で履物を作って返す)」という恩返しのことわざがある。恩を受けた人に対しては、どんなことをしてでも、その恩恵を忘れず返さなければならないという強い意志がこめられている。ことわざの中にはまさに心がある。ことわざの中に秘めている心を汲み取って、心を豊かなものとし、この社会の人々が互いに信じ合い、頼れる社会であってほしいと思う。いつも心から笑える社会、「웃으면 복이 온다(笑う門に福来る)」ということわざが実際に体験でき、「渡る世間に鬼はない」ということわざが実感されることを願ってやまない。

(兵庫教育大学大学院博士課程在籍)

韓国のことわざと犬

鄭芝淑(チョン・ジスク)

 ことわざには動物がよく登場するが、どのような動物が好んで用いられるかについては文化差がかなりあるようだ。韓国のことわざにも様々な動物が用いられているが、中でも最も好まれるのが「개(犬)」である。ある手順によって選んだ日本と韓国それぞれ約1,500件のことわざリストを見ると、日本のことわざに多く登場する動物は「馬」(23件)、「犬」(17件)、「虎」(16件)の順であるのに対して、韓国のことわざでは「개(犬)」(79件)、「소(牛)」(37件)、「범(虎)」(31件)の順となっており、いかに「犬」が好んで用いられているかが分かる。このリストで上位300件に限ってみても次の16件が含まれている。

1.개같이 벌어서 정승같이쓴다(犬のように稼いで宰相のように使う)〔汚く金を稼いでも正しく有用に使う〕
2.서당 개 삼년에 풍월한다(書堂の犬三年にして風月を詠む)【門前の小僧習わぬ経を読む】
3.개도 먹을 때는 안 때린다(犬も食べるときは叩かない)〔食べているときに叱ってはならない〕
4.개똥도 약에 쓰려면 없다(犬の糞も薬にしようものならない)〔どんなにつまらないものでもいざ求めようとするとなかなか見つからない〕
5.제 버릇 개 줄까(自分の癖を犬にやれるか)〔身についた悪い癖はなかなか直せない〕
6.개 눈에는 똥만 보인다(犬の目には糞だけ見える)〔何かに凝れば目に映るものがすべてそのように見えるものだ〕
7.점잖은 개가 부뚜막에오른다(おとなしい犬がかまどに上がる)〔おとなしく見える人がとっぴなことをする〕
8.개도 닷새가 되면 주인을 안다(犬も五日飼えば主人を見分ける)〔恩を忘れてはならない〕
9.사나운 개 콧등 아물 틈 없다(気の荒い犬は鼻面の傷が治る暇がない)〔喧嘩ばかりしている人には生傷が絶えない〕
10.개발에 주석 편자(犬の脚に蹄鉄)〔似合わないこと〕
11.나 먹자니 싫고, 개 주자니아깝다(自分が食べるには嫌だが犬にやるとなると惜しい)〔自分には不要な物も人にやるとなると惜しい〕
12.닭 쫓던 개 지붕만 쳐다본다(鶏を追いかけた犬が屋根ばかり見上げる)〔どうすることもできないこと〕
13.죽 쑤어 개 좋은 일 한다(粥を炊いて犬の喜ぶことをする)〔せっかく骨折ってやったことが他人を利する結果に終わる〕【漁夫の利】
14.개 밥에 도토리(犬の飯にどんぐり)〔仲間にとけ込めず孤立している人〕
15.도둑을 맞으려면 개도 안짖는다(泥棒に遭うときは犬も吠えない)〔不運なときは万事うまくいかない〕【弱り目に祟り目】
16.토끼를 다 잡으면 사냥개를삶는다(兎を捕り尽くせば猟犬を茹でる)〔必要なときは大事に扱いながら利用価値がなくなれば容赦なく捨てる〕

 なぜ、韓国のことわざに「犬」がよく用いられるのか。以前に「犬」についてのイメージ調査をしたことがあるが、その結果によれば韓国では「忠誠心」「勇敢だ」「珍島犬」「可愛い」「補身湯」「親しい」「悪口」といった回答が多かった。上のことわざをこれと照らし合わせてみるとどうか。「忠誠心」「勇敢だ」「利口だ」は最も多く回答されたイメージでそれが「珍島犬」に集約されている。日本でいえば「柴犬」や「秋田犬」に匹敵する韓国の固有種であり天然記念物にも指定されている(第53号)。主人のために命を捧げた珍島犬の昔話はだれもが知っており、最近ではソウルに売られた珍島犬が400キロも離れた主人のところに自分で戻ったというニュースもあった。2、7、8、9、15にはこのようなイメージが前提になっているようだが、犬の資質を積極的に評価したものではない。例えば、8は恩を忘れてはならないことを意味しているが、「개도(犬も)」というのは「犬ですら」の意味であり、必ずしも犬の忠誠心を素直に評価しているわけではない。また、2は犬の「賢さ」を前提にしているが、やはりこの場合にも「犬だって」のニュアンスが感じられる。ことわざの題材になる犬は、血統付きの由緒正しい珍島犬のような名犬ではなくて、いわゆる「雑種犬」「赤犬」である。時には強欲で(1)、粗暴で(9)、行儀が悪く(7)、所構わず糞をし(6)、そのためによく叩かれ(3)、間が抜けていて(12)、人間の食べ残しで満足できる(11)、そのような特別なとりえもないどこにでもいるような犬である。しかし、雑種犬、駄犬と言っても馬鹿にしてはいけない。16のことわざにあるように、彼らは時には主人の食用ともなるのである。主人の健康のために身を捧げる、これほどの忠誠心?が他にあるだろうか。

  古くから犬は韓国人の日常と深いかかわりを持ち、最も身近な動物として存在してきた。身近な動物であり人間にとって都合のいい動物でもあった。韓国語の罵り言葉の中で最もよく使われるのが「犬の子」である。他の動物の子ではだめで犬でなければならない。なぜなら、犬は人間に最も近い動物だからである。犬は人間に限りなく近い性質を持ちながら人間には決して及ばない。だから、最下等の人間のその下にいるのが犬なのである。どんな人間でも自分の方がましだと思えるような安心できる都合のいい動物が犬である。韓国人にとってこのような特別な「親しみ」を持った犬がことわざの中で活躍するのは当然のことであろう。

(名古屋大学大学院助教)

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