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武士は食わねど・・・・・


昔から、「衣食足りて礼節を知る」と言われるぐらいで、空腹の時には礼儀なんか考えている余裕は無いのが自然です。満腹時には穏やかな表情で家族と戯れているライオンも、空腹時には獲物を求めてサバンナを疾駆するのです。
「武士は食わねど高楊枝」でもありませんが、貧しければ貧しいなりにそれを表に出さないで、礼を失することのないようにするのも理性と誇りある人間としては当然のことです。
現代のグルメ達にたてつく気は毛頭ありませんが、私の育った土地では、食べ物にあまりにこだわるのは「はしたない」ことと言われておりました。
私はそれほど拘りませんが、美味なものは美味として賞味しています。ただ、お金をかけただけのものよりも、素材の持ち味を生かしたもの、季節感を生かした旬のものを好む傾向にあります。

バブルの頃には日本全国「総中流意識」と言われましたが、今の日本で中流意識を堅持しているサラリーマンは少数派で、大部分は「こんな筈ではなかったのに・・・・」と嘆き節だと思います。(私もその仲間です。)
しかし、「食事」の面から考えてみると、以前も今もあまり変わりなく、バブルの頃も現在も、常に質素な食事が続いています。
「衣」の世界は日常身に着けるものでも一枚千円のティーシャツからウン十万円のものまで(百万単位の着物や、宝石をぶら下げた特殊なものは除きます)幅がありますが、「食事」は高くてもウン万円で、それ以上になるのはショバ代と飲み物が費用を引き上げているのであって、食事本体では無いのが普通です。
仕事で、ある程度のレベルのレストランや料亭で接待したり、されたりはあっても、家庭での食事は常に低水準で、変化があまりありません。
以前、経団連の当時の会長の土光さんが目刺しを食べているとニュースになったことがあります。また、時の宰相が「貧乏人は麦を食え」と発言して問題になったこともあります。
当時の平民の(?)感覚では、「目刺し」や「麦飯」は貧しい食事という意識があったのです。
しかし、飽食の時代を経験した現代の日本人には「健康食」と映っている筈です。
麦飯大歓迎です。
栄養価の豊富な食事を取り過ぎて、肥満を始め様々な不具合を訴え、前に進まない自転車を漕ぎ、ベルトの上を走って余分のエネルギーを消費する、という何とも不思議な生活を「裕福」と感じている現代、理解に苦しむ部分があります。
(そう言う私も、肥満や脂肪肝を気にするこの頃ではあります。)
学生時代の「超」のつく質素な食事から、かみさんの手料理を囲む現在の家庭料理まで、手の加え方には進歩がありますが、経費の面ではそれほど大きな変化はありません。
これは、根底には経済問題がありますが、もう一つには家庭に子供が居るために、栄養バランスの問題とも思われます。
子供が乳児から育って成人と成る過程で必要になる栄養分は、接待料理では十分摂取できません。フォアグラ、キャビアや高級肉だけでは子供は成長しません。
矢張り、目刺しや小女子などの小魚からのカルシウムも必要なら、繊維質の豊富な野菜も欠かせません。
日頃そのような食事をしていると、たまにちょっと洒落たレストランに行けば、子供は物珍しさで喜び
かみさんは食事の準備と片付けをしないで済み、家庭料理に新たなレパートリーが増やせると喜びます。
でも、もちろん仕事で接待されたり、受けたりのレストランに家族で行ったことはありません。
私はそもそも貧乏性のようです。


その貧しき青春の一時期住んでいた市川。ここにこんなにも
たくさんの名所、旧跡があるとは当時は知りませんでした。
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