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トキと環境保護

絶滅に瀕する動植物、或いは外来種と混じることによる日本独自の生物の減少あるいは絶滅に関する記事をよく見かけます。

佐渡の朱鷺が絶滅し、いまや標本しか存在しない日本。

朱鷺の運命を悲しむべきか、私たちの子孫に美しい朱鷺を見せられないことを嘆くべきか、はたまたそのような事態に導いた環境の悪化を問題にすべきか、意見のわかれるところだと思います。

私は、少し強引ですが、最後の問題を重視します。地球の歴史が40数億年として、人間が現れてから数十万年にしかなりません。

人間が現れる前にも様々な生物が存在し、地殻変動あるいは大気の変動により、(隕石説などもありますが、)多くが絶滅してゆきました。

人間が現れてからでも、無数の種類の生物が消えています。身近なところではマンモス。あの巨大な(見たことはありませんが・・・)象が絶滅したのは、ひょっとしたら人間が食べきったからかもしれません。現にシロナガスクジラなどは日本人が食べたからいなくなったと世界のグリーンピースたちは言っています。もちろんマンモスの生きた時代には人口が少なく、狩猟の方法も原始的ですから、人間の所為とばかりはいえません。

近代の日本においてはニホンオオカミが絶滅したといわれています。人間に害を加える猛獣だからとばかりに、狩り尽くしたのかも知れません。

しかしながら、日本人からクジラを取り上げ、エスキモーからアザラシを守ろうとする人々のいることは、私の想像を越えています。昔は(といっても40年ほど前)クジラは貧乏人のタンパク源でした。牛肉を食べるのは収穫祭としての村祭りの日くらいで、あとは来る日も来る日もクジラ肉がご馳走でした。

肉に限らずあの黒い皮と脂肪を細切りにした味噌汁のダシはいまや幻です。だから調査用と称して捕獲されたクジラの肉を懐かしんで食べる人はいても、ご馳走とか美食と思って食べる人は少ないはずです。(わたしは皮と脂肪は大好きですが)また、日本の捕鯨の技術は世界一で、当時の少年の雑誌には南氷洋で活躍する捕鯨船団の写真がよく掲載され、私も「いつかは乗組員になって、モリを撃つんだ!」と夢見たことがありました。

ただ、日本の誇る技術ではありましたが、あの頃と同じほど捕獲しても、市場はないでしょう。いまは畜産技術も進歩したので、牛、豚、鶏などで肉の需要は満たされているのです。

エスキモーのアザラシにしても、住人のニーズを満たす程度に捕獲しても、ほとんど問題はない筈です。もっともあの毛皮が高価に取引されるということで乱獲をすると、アフリカの象牙と同じ結果を呼ぶでしょう。

人間は利己的な生き物です。自分が生きるためには他の生物を消滅させる可能性はあります。

しかし、だからといって、それがどれほどの問題でしょう。「可哀想」ですか?それを言ったらベジタリアンになるしかありません。ほどほどに食べながら、ほどほどに育てて行けばよいのです。

日本の在来種の動植物がいなくなるのを心配している人間の世界では、国際結婚が普通に行なわれているのです。血統がどうしたというのでしょう。学問的に価値があるなら後生大事にDNAのサンプルを保存しておくしかないでしょう。

それよりも問題は環境の悪化です。動物が絶滅するからマズイのではなく、絶滅するような環境の破壊が人間により引き起こされていることが問題なのです。
これは「利己的」な人間にとっても大問題です。自分が死んだ後の世界にも子孫は生きているのです。その子孫達に紫外線素通しで、温室効果満点の大気、ゴミやヘドロに満ちた海川を残すわけには行きません。

もちろん嘗ての恐竜の運命のように、地殻変動か隕石により人類が絶滅することはあるかも知れませんが、すくなくとも「ご先祖」としての私たちの手で未来を摘み取るような真似だけはしたくないと思うのです。

そう、もういちどタナゴが釣れ、ミズスマシやタガネが住み着く村の小川を返してやりたいと思うのです.