突き蹴りで打ち合いをしてみるとすぐにわかることだが 相手に入れられた時の動きは見えないものだ あっと思った時には体に衝撃を受けている
逆に言えば こちらの目に見えている攻撃はなんとか受けるかかわすかしているような気がする
そこでなんとか相手に見えない速い突きや蹴りを出そうと努力する 遅いのはだめだと頭から考えてしまう
そしてそれに飽きると 今度は出した突きの下から隠すようにして蹴ったり 時間差をつけた振り突きなどトリッキーな動きを練習したりする
もっと速く もっと鋭くとそちらに気がいく プロボクサーのシャドウを見るとそこにはその種の肉体の限界を見る思いがする
体格がいいのなら パワーをつけて 打撃を加えようと考えるだろう いかに相手が巧妙に守備をしてもそれを粉砕する衝撃をあびせて倒してしまえばよい 拳やすねを鍛えて相手に叩き込むのを必殺技とする
これらはちょうど機械の性能をくらべてそれをアップさせて勝負に勝つという方法論だろう 肉体の持つ能力が相手を上回っていることが必須の条件となる
しかし、いつも言うようであるが 肉体には限界がある 俊敏さも若い頃の一時のものでしかない
体を鍛えると言っても 際限なく打ち合えば必ず故障する 武器なら又買えばよいだろうが自分の手や足がけがをしたからといって新しいものと取り替えることは不可能だ
怪我をすれば そこをかばって体のバランスがくずれる 短い期間 で無理を重ねても ど突きあい程度のようなことで終わる人も多いのではないか
趣味の範囲内で怪我と戦いながら修行を続ける人などほとんどいないはずだ
一言で上達などと言うが これが並大抵なことでないのは少しでも真剣に武の道に入ったことがある人ならご存知と思う 何を持って上達と考えるかすらわからなくなってしまう時さえしばしばある位だ
その上 闘争本能は根源的なもので これを抱えての修行の日々は絶えずに自分の恐怖心や卑怯さを意識せねばならない よほど動物的にならない限りある意味で自分の心を傷めながら進むようなところもある
テレビのK−1で空手選手がキックの選手よりも不利だと言われる 私もそのとおりだと思う キック出身の選手のように 飛び込み突きや 豪快に相手の正面を割る蹴り技など 空手道から見れば試合の為の技であり 現実には成立しない動きである
武の道を考えれば 実戦とは相手が複数でるあるかも知れず 又相手の手の中にどんな武器が隠されているかもわからない それらを踏まえて危急の時に自分の身を完全に全うしながら相手の攻撃を無にしなければならない これが最終目的である以上 日々の修行もそれにしたがってそれこそ入門の一日目から行われる
リングの上で一定の条件で勝者を決めるK−1の舞台で力を発揮しようと思うなら練習形態を全く変えねばならないだろう
でももし変えたら武の道からは外れることになると思う そうしたからと言って修行する人が幸福になるとは私には思えない
速い 強い と言っても少し自分のこととして考えた場合 無限の答えと疑問が用意されている 勝てばよいだろうなどと言っても ドラマやゲームとは根本的に違うのだ
何年か前 道場で師にお相手をして頂いたことがあった 滅多にないことなので少し緊張して向きあった
師の下段への回し蹴りを自分の足で受けながら 空いている下段へ蹴り返す いつもの型稽古のつもりだった 師の蹴りはゆるく 動きも少しも急いでいない こちらへ蹴って頂いて私もそれに合わせるようにして受け蹴りかえした ところが 金的のあたりを蹴ったつもりがじっと構えている師の太股を蹴ってしまった ご高齢で股関節に古い故障もある師の足を蹴ってしまったのだ あわててお詫びしてもう一度お願いする 今度は間違いのないように全速で行った ところがまたしても 師の足を蹴ってしまった のだ
師は笑っているがその時は私は動揺してしまい その後も蹴りを入れられなかった
今思うと師が構えて最初の蹴りを出し終わった瞬間から こちらの反撃のラインがなかったのだ 師は体構えで封じられた 私はそれに気がつかず というかその動きの変化が見えなかったのだ
おそらく 隙のない構えからほんのわずか腰の角度を変えた動きだったのだろう 玄妙ともいうべき拍子もあったかも知れない
私自身も初心の人と打ち合うと 相手が全く目のないところを攻撃してきて笑ったりすることがある こちらに隙がないのがわからない とにかく素早くすればなんとかなるという発想だ でも飛び道具の速さでもないかぎり入れることは不可能なのだ
あの時 私は素早く蹴りかえそうとし 師は急がずに微妙に動いてそれを誘った
私のわずかの体勢の変化を初心の人は見て取れない それは私が素早く動いていないからでもある 反射神経や運動神経の勝負では若い人にかなうわけがない そんな動きであわせあったら 私は必ず押し込められるだろう
ゆっくりと微妙に動いているのだ 素早く大きく動けば 人の目はついていくのが困難になる ところが逆にゆっくりと弱く動いても人の目はついていけないのだ
どんな武道でも人間同志なら攻撃守備の部位は同じになると師はよく言われた
それは上段 中段 下段の三個所に分けられる 攻撃は直線で来るか 曲線かの二種類しかない、、、直線のものは速いが かわせば遠ざかる 反面、曲線で来るもの遅いが巻き込む強い動きを伴うとも言っておられた
攻防とはある意味では人体のわずかな面積の部位をめぐっての取り合いでしかないとも言えるのだ そこにはアクロバットのような動きよりも精密無比な点をつく動きの方が有効かも知れないのだ
野球で言えばとにかくどんな球でも打たねばならないような気持ちから ストライクだけを確実に打つことを考えるようになることだろうか
その内に同じストライクでもこちらの好きな球種を相手に投げさせたくなる 相手が確信を持って投げてくれればこちらは打ちやすい
相手にさからわずこちらの意中に引き込むには ゆっくりと弱く動くことが不可欠になると思う
そんな動きを武術的に速い動きと呼ぶ人もいる
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