聴いていてなるほど とうなずいたり そういう捉え方もあったのかなどと感心したり 音楽の感じ方や解釈の多様さに驚くことがある
その時代の聴き方、もてはやされる演奏スタイルもあり それはそれで音楽ファンとしては楽しめる部分であったりもするわけだ
過去沢山の演奏家が華々しくデヴューして録音を残したり、テレビやラジオに出演してその独演を私も耳にすることもあった
聴けば皆 とても引き立つ というか聴かせどころを持った演奏者で客の期待を真っ向に受けながらそれを又自分の演奏の輝きにするような不思議な魅力の持ち主ばかりだった 少なくとも彼らは自分のどこをアピールすれば人々が喜ぶかよくわかっている 聴衆の欲しいものがわかりそれを自分の手ずから与えられる演奏者 それがソリストなのだ
主役をはれる俳優が限られるように彼らも何か人にない特殊な才能に恵まれて世に出てきているに違いない
そんなわけで彼らの演奏する協奏曲というものは どこかお祭りめいた賑やかしさがあるものだ だから間違いなく派手なソリストの見せ場のようなものが今までは存在していて オーケストラもその盛り上げどころの準備を怠りなく ソロとオケがどこまで一体となって聴衆を興奮に持っていけるかというようなところにその努力の多くが払われていたと思う
そのことに異を唱えるつもりなど私も毛頭ないつもりなのだ
それでも今回のフジ子ヘミングのショパンの2番の録音を聴いて深く自分の心の奥にたまる何かがあると感じた
いつものように静謐で真摯なピアノ オーケストラのフォローも申し分ない この録音も又多くの人々に何度も繰り返し聞かれるだろう
これが本物の音楽というものだろうと感じるし沢山の人に聴いてもらいたいと思う
何もむつかしいことなど考えず 無心に彼女の演奏を自分の部屋で鳴らしているだけで十分にその人は満ち足りた時間を送っていけるのではないか
土台 音楽に潜む何かに言葉を重ね合わせようとするのは無理ななのだ 言葉を使う中に頻繁に出てくる 良い、悪いなどというような表現やそれを生み出す思考と音楽とは元々相容れないものだからだ 人の心の生まれる情感に理屈や冷静な順位づけなどというものは無縁のものだ
そして芸術の生み出す感動というものもおおむねそういうものなのではないかと思う
今回のピアノ協奏曲を聴いてなによりも感じたのは前述したような協奏曲にお決まりの一般的な表現を彼女が全くとっていないことだった
とらなかったというよりも彼女の芸術性がそのような演奏をはるかに下に見下ろしているからなのではないかと私は考える
それにしても これほどの高い境地にありながら 人の頭の上にいないというか どうしてこれほど聞く人に無心でやさしい調べでいられるのだろう 一楽章の頭から最後まで彼女は自分の音楽を弾ききっている
こういう演奏を論評できる人が それほどの言葉を持った人が(それはもちろんその人自身の人生から出た言葉だろうが)この世の中にいるだろうかと思う
これは今までの誰それとの比較など全く不可能なほど滋味溢れた演奏であり ひたむきに自分の生に向かい合ってきた思いと深い諦観が結び合わさった稀有の演奏である
ショパンの持つ一般的なイメージ 華麗なテクニックや派手な演奏スタイルなどこの録音の中にはどこにも聞こえては来ない
彼女の演奏を聴いていくとショパンがいかに無心に曲を作っていったかわかるような気がする
彼はピアノの音の美しさに感動しながら そして自分の持つ美の世界と現実の世界とのあまりの隔たりに憂愁の思いがわきおこりそれがあの旋律になったのではないか
深く傷ついた心は又、憧れや美の世界を呼んだのだ
彼女フジ子ヘミングのショパンの演奏がともすれば悲嘆に傾きがちになるのは仕方がないことで私自身そんな彼女の演奏がなければとても癒されない何かが胸の中にある ここにも又聴き手の大勢の思いを彼女の演奏はになっていると思わざるをえない
そんな誰にとっても一筋縄ではいかない人生の中でこのピアノ協奏曲の録音は現実と違った美しい世界の存在を指し示してくれる救いのようなものではないかとも思う
いつになったら全霊でこの演奏を味わうことが出来るだろうか 私にとってはまだまだそれは先のことのようだ
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