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| 今度は突然 五行を方位にあてはめて見ます
こういうことに関しまして納得がいかない方もいらっしゃるでしょう 五行を物の性格のおおまかな分け方としてスタートした考えがいつの間にか 1年の四季になったり一日の四時になったり 人間の臓器の働き具合になったりと なんだか もう色々なものに変化して当てはめて考えてしまっている もうこうなると科学的な発想、考え方はついていくことができないかも知れません これは まあ子供の遊びにようなものに似ているといえます (子供の頃は遊んでいてもここはワニが沢山いる危険な川だという約束になりますと皆真剣に川の場所は飛び越えたり橋をかけたりして進みます たとえそこは何もない地面に線を引いただけのものであってもです (見立て)とでもいうのでしょうか 何か心の中で約束事を作ってその中で遊んだり生活をしたりしてみる 掛け軸の月を本物としてお茶を飲んだり 部屋に祭壇を作って祈ってみたり 自分にとって特別な日が1年のうちに ある人もいます 人はそうやって何かを感じようとしているのかも知れません 人間の想像力と今までの経験や偶然に起こった中でも不思議に印象に残った事件が色々と積み重ねられてきて このような一種の型ができてしまったのです ですから 論理に矛盾もありますし 法則性もあいまいです ただし この型の中で物を見たり感じたりしますと 何かしら 不思議な符号を持った事象を捉えることができるのです 1年の春 生命が芽吹く頃 これを東と昔の人は決めたのです どうして東としたのかそれは太陽の出る場所であったからだといわれております 生命が生まれそれが活発になるという暗示が方角にシンクロしたわけです 東の方角というものは物事の初まり 成長などという意味があるとお考えください 五行の木、樹木が伸びていくようなイメージでもあります 今度は反対の西になりますとこれは終息というような意味があります どちらかというと穏やかな感じ 成長は止まったけれどもおかげで繁栄しているわけで 皆でそれを享受しているような感じになるのでしょうか ですから 毎朝早起きして東に上った朝日の気を浴びると運がよくなると言われて多くの人が実践している開運法にもなっていますが 夕方の西日をあびて運がよくなるというのは聞いたことがありません これから伸び栄えようと思うのなら東が吉報になりますし 何か物事をまとめようとか安定させたいと願うのなら西がよろしいということがよく言われるようです 日本の国も 古代から東へ東へと遷都したから栄えたのだと何かの本にありました 本当かどうかわかりませんが 確かに西の方の人がどちらかいうと落ち着いた感じの人が多いようにも思います 西は五行に当てはめると金になります 長い時間をかけて大地の中で生成された金属という感じでしょうか 季節は秋でこれは言うまでもなく実りの意味です 東は春これから命あるものが成長をするという象意ですからまことに好対照といえると思います 今年は8月になってもあまり暑くなりません 春(木性)夏(火性)の夏のところが元気がなくて秋(金性)に侵されていると見ることができます ちょっと大げさに言えばこれは五行が乱れている バランスが崩れていると見ることができます 金性というのは陰の気が強いものですから この乱れのようなものが陰性の事件、事故などを誘発する可能性はあります 野菜の高騰などそれはすでに現れていますが、、、 ようやく暑い夏がやってきたようです 風が少し秋風のようですが13日のお盆を過ぎた頃には毎年こんな風が吹くものです 暑いながらも時節はすでにつぎの変化を用意しているのですね でもとりあえずは一安心ですね 東西の方角にまつわる基本的な意味の話を前回申しあげたのでした 東というのはこれからの発展という意味があり西という意味には終息に向かっての繁栄のような どちらもめでたい意味があるのです ですから 彼女と夕日をずっと眺めていたりしますと なんとなく 夜になってもこのいいムードを壊したくないなあなどと感じるものです これはおそらく西の太陽の気のようなものが影響しているのでしょう もし これが朝日だったら お相手は こんな男と時間をつぶしていないで何か新しいことをしようなどと前向きなことを考えてしまうかもしれません 落ち着きたい 安定したいと考えるのであれば西の方角というものはこれはこれで大変なよい方位といえるのかも知れません さて そうなりますと残りは南と北の2方位になります この二つにも意味があります まず南 これはすべてのことが顕現するという意味があります ですから 隠し事 秘め事なども 南では白日の元にさらされます ちょうど南の島に行くと開放的になってなおかつ暑いのでシャツ一枚になってしまうようなものです イメージとしてはそんな感じ すべての事象があけっぴろげでおおらかになります 反対の北の方角がこれは全くの逆になります 寒い季節のように すべてのものは内に向かう 寒くなれば体の具合の悪いところも出てまいります 用心しないと食べるものもなくなってしまうかも知れない 困難な状況と隣り合わせになります そうなりますと南のように人は解放的な気分にはなれません 南といいますと 五行で言えば火、陽気の1番盛んなところであります 生き物や分子の運動なども活発です ですから 盛んにいろいろなものとくっついたり くっついたと思ったら離れたりします そうしてにぎやかです 季節で言えばこれは夏になります 五行を四季に当てはめ そして方位にあてはめているわけですので 勝手な理屈かも知れませんがそういう風に感じていただくのが一番と思います 北ですと 季節は冬 凍っています 物も腐らない けれども 成長というものはありません 寒いので人も口ごもりがちで付き合いも少ないのです 夏でしたら腹を出して寝ていても大丈夫ですが 冬ですと布団にくるまったり 体温調節が欠かせません 年寄りのお弔いなど 1,2月によくあります 動物にとっては困難な時期といえると思います こういう時期にはじっとして一陽来復を待つというのが東洋哲学の大きな鉄則になっております なんとか現状打破のウルトラCを考えるというやり方でなく 時がすぎれば 循環して春(木性、東)に自然になると考えるのです ですから無理をしない 耐えて時節を待つ というのが開運のセオリーになっています 失敗は少ないかもしれないが気長ともいえます 西洋のように人間の力で自然をねじふせるような迫力のある発想にはとぼしいです あくまで 自然とともに人は生きるのが一番という考えなのです ですから 冬(水性)の生まれの人もいるわけですが その人が他にくらべて不幸であるとか そんな役回りをしているということもないと考えてよいかと思います 持って産まれた性を上手に生かして人生を送れば幸せになれるのです そう考えますと 冬というものも宇宙、自然の理の中では立派な役割があると考えられるのかも知れません 循環する五行を四つの方位に当てはめてみました 簡単に言いますと 東から登った太陽が西に沈む これは時間軸ともいえるものですが これを空間に当てはめて見ますと 東にはこれから物事が始まるエネルギーという意味になり 西は物事が終息に向かい整うという意味になります この太陽が北の方位に傾いて 昇り降りをした場合は寒い冬となります 物事のエネルギーは減少します 生命活動は不活発です もし南側に傾いて運行があった場合は夏です 陽気で開放的ということになります こんな風に書いてしまいますと なんだか冬や北という性格がいやなもののようにも思えますが 決してそんなことはないように思います なぜなら 世界には冬が厳しい地域の方が人間の文明が発展しているからです 冬の寒い方が魚でも 獣でも 農作物でも おいしい 姿も引き締まっております これは冬というもの(太陽が遠ざかるので気温が低くなり乾燥する)が生き物になんらかなエネルギーを与えていると考えることができるからです エネルギー(気)というものは 熱くて、力の出るようなものを想像してしまいますがこれは 陽のエネルギーのことで 寒くて力を吸い込むような陰のエネルギーというものも存在するのかも知れません(中々実感することはできませが、、、) 本当に陰と陽のバランスのよい働きが私たちをなりたたせているのかも知れませんね
五行を人間に当てはめてみることも可能です たとえば 水の性の生まれの人ですと イノシシ、ネズミ年生まれの人 十干ですと(みずのえ、みずのと)年の生まれの人がそれにあたります とりあえず この年生まれの人には水という性格の暗示が現れると考えられます もっとも 十干は10のサイクル、十二支は12のサイクルですから みずのえ年生まれのウマ年生まれの人もいます(壬午年生まれ) そうなりますと 壬は水、午は火ということになり 矛盾というか 混合というか 複雑になってしまいます でも ほとんどがこのように 複雑に 煩雑になっています 人の性格や運勢にこういうものが バッチリ現れるということはまずないと言ってよいと思います 五行を人間に当てはめて 血液型占いのような気楽な感じで鑑定してみようとしても かなり難しいと思います ちなみに ひのえうまの女性は男を食い殺すという俗説は丙が火、午が火性とダブルになっているので エネルギーが強すぎるという意味が元々あったと考えられますが そのような事実 は認められていません(当たり前ですが) 五行の世界から考えてみますと 人間という種そのものが五行のどれかの性のものとしてまず考えられることが必要のように思われます 実際 色々が生き物を五行なり大別されております ただし そうしますと あまり面白くない 人間がすべて五行のどれか一種類ということになってしまいます そこで生まれた年の年回りで人間をその年の性(干支)と重ねあわせて考えてみるのです でも、そうしますと色々と矛盾が出てしまいます 十二支と十天干の五行が合わなくなってしまうの例もそれですね 私など考えますに そもそも人間をそこまで区別させることに無理があるとも思えます つまり ゴキブリやカエルにも生まれた年により個性があることになってしまいます(あるかも知れないのですが、、、) 正直に申し上げれば大きな宇宙 大地から見たら人間などどれも同じなものに見えてしまうのではないかと思えてなりません 大きな五行の枠組を無理に個人にあてはめようとすると 中々むつかしいのです そこで出てまいりますのが 九星といわれるものです 九星(八卦)というカテゴリーに入る前にちょっと考えておきたいのですが、、、 五行にも年回りがありまして 今年は丙戌(ひのえ、いぬ)の年になります 丙は火性、戌は金性となりますので混合してしまいます どっちが強くて弱いかなどとこの場合あまりいいません 砂糖と塩を水に混ぜても両方の味がするようなものだとお考えください 生まれてきた人間のその年の性がその人をあらわすかということは非常にむつかしいものがあります たとえば西洋占星術の12星座も同じですが そこだけ読んでも当たっているような当たっていないような微妙なものであります かなり深くつきあっていても あなた何座でしょうとか いぬとし生まれでしょうなどとは中々ぴたりとはあたりません その年に生まれた(ある傾向を星から受けた)ということと人間の本質とは一致しない要素が遥かに沢山あるように私は思います たとえば その人の両親の影響、育った環境の状況の方を調べたほうが その人を知るには一番です 人生の数々の転機にも **生まれということが影響を与えることは多くはないようにも思います それにオカルティストや宗教家などには前世の影響まで口にする人も結構います とにかく 人間を作っているも要素というのは後天的なものが多いと私は感じます これは 生まれた時の天の星や地の星の状況が人間に影響することの少ないことを物語るものではないでしょうか 天の星 地の星 東洋、西洋を問わず人間を離れた大きな存在に ちっぽけな人間の運命を沿わせようとすると数々の矛盾に失望する羽目になりかねません 人間の存在はやはり ヒラヒラ飛んでいるモンシロチョウのようなはかないものと考えて あてどのない人生や運命に少し元気つけようと 五行などの運命哲学をひもとくくらいの気持ちの方がよいと思います 人間を中心に、、、というか 自分という(個人)を世の中の中心において色々と物事を考えたりすると逆に物事が見えなくなってしまうようです 少なくともこの運命哲学の世界ではそうなるような気がして仕方がありません 人間、個人、自分というものを特別な場所に置くことなく この世の中のすべてのものの中の一つ 無限に有為転変を繰り返し 一瞬としてとどまることのないはかない存在として認識することが新たな世界に入っていけるように思うのです そうなるには 一度しみじみとこの世界と自分の存在のすべてのあやふやさ いい加減さ 矛盾だらけさをかみ締めてみるのもよいかと思います 五行に戻りますと 今まで申し上げましたとおり 理路整然としている面もあり 世界のことをたくみに表現しているようにも思えますが 細部は矛盾も多く 何よりそれと自分がどういう風に絡んでいったらよいのか さっぱりわからないと感じます 大変立派な理論のようで凄いなあなどと関心しますが どうやってそれを使っていいのか ピンと来ません 大昔の人もそれを感じていたようです そこでこの五行を発展させたものを作りました それが八卦というものです これは森羅万象を5つに分けたのを もうちょっと細かく8つに区切り 宇宙の動きというよりもより人間の人生の色々な場面に近づけたものです この8つは方位の8方位に正確に対応しております ですから 八卦というと面倒くさそうですが すでにその内の四つ(4方)の意味はご存知のことと思います ですからあと四つ覚えればよいのです 五行を八卦に細分化しただけで 相当、使い勝手が違って来ます この八卦を二つ重ねて64通りにしたものが易といわれるものです これは完全に人生の指南書といった感じのテキストになっております 人生のあらゆる局面を64にわけて 偶然によって出た結果をもとに そのうちの一つのテキストを読み解くといった作業を通して人生の問題に右するか左するかを決めます 自分の目の前に展開する事象と偶然と自分の潜在意識がどのようにつながっているのか 易に親しむとこのあたりの妙味のようなものがはっきりしてきて このようなものを作った古の聖賢のエラさにうなる思いがいたします 読み解く力が自然につく そしてそれが生きていく上の判断力として生かされる そうなった場合 占いの結果が当たろうが外れようがそれに対する備えのようなものを自然に準備できるようになります 深遠な内容でありながら おみくじのようにも使えてその一面では細かい生活の教科書にもなるという不思議極まりない本であります 八卦(八つの事象パターン)を覚えることによってこの人生ゲームの展開が始まります 五行も中央に土を置いて 四方に木火金水を配置しました 八卦の場合はこれを(九星)と呼び 中央に五を置いて残りの1−8までの象意即ち八卦を八方に配置いたします 東西南北はすでにご説明申し上げました これに(東南 東北 西南、西北)の四方が加わります ちょっとおさらいになりますが 東西南北の四つの卦をまとめてみたいと思います 東ーこれは太陽が出る ということで発展する 動く 繁茂するなどの意味があります これは八卦ですと(震ーしんー)という名前で呼ばれます 雷のことです ですから大騒ぎ、電気、動く、乗り物、驚くなどという意味もあります 九星ですと三碧木星という地の星になります 今年は三碧木星の年ですから 一般的には経済などは発展に向かうと考えます 何か驚くようなことがあっても 結局よい風に向かいがちです 順運の年と考えられます(あくまで一般的な考えですが) 今年話題になっているエレベーターの事故なども 電気、動く 実害が少ないなど 年回りの象意にかなっています 今年一杯この話題は続く可能性はあるように思います 易で震と呼ばれるものは 東の太陽というイメージのものとなります 季節は春、色は青、星は三碧木星 五行で言えば 木性ということになるのです 西へまいります。太陽が沈み 一日の終わる時 実りの秋を向かえ一年の活動の終息に向かう秋です。すべてのものがまとまるという意味になります。冒険の時ではなく、整理をする時であり 休息をしたり飲食や娯楽などを楽しむという意味でもあります 易卦では(兌ーだー)という字を当てております 沢のことです。大地に湧き出る沢や泉のほとりで憩う、皆で集まり楽しむというおだやかな喜びを表しているようです 九星ですと7赤金星となり 五行は金性です 南へまいります。真夏、気温、湿度が高くなりますので 生命活動が活発です。すべてのものの本性が目立つ形で現れます 何事も派手になりやすい。すべての事物が煮られた鍋の中のようになっておりますので あちこちでくっついたり 離れたりしております 易卦では(離ーりー)という字を当てております。この字は離れると同様にくっつくという意味もあるのだそうです。若い頃の頭をかっかさせて 派手に着飾って異性とくっついたり別れたりしている様子などまさに お暑い状況の典型なのかも知れません 九星ですと九紫火星となり五行は火性です 北はその正反対です。冷えて乾きます。生命の動きは少なく むしろ危険が伴います。冷たい穴の中に落ち込んで仕方なくじっとしていなければいけない。困難、忍耐の時でもあります。どんなに好調の時でもこういった状況は必ずあるものです。それをどう乗り越えていくか。試練の時でもあります。環境がそんな風ですから やはりじっと時が来るのを待つしかないのかも知れません。 易卦では(坎ーかんー)の字を当てています。落ち込む、穴という意味のようです。 九星ですと1白水星となり五行は水性です 八卦のうちの四つはこれで制覇しました なぜ、どうしてそうなるのかは 私もわかりません どうして これとあれがこんな風にむすびついてしまうのかと疑問を持たれても私も首をひねるばかりです でも こういう変な組み合わせで 不思議な偶然が大昔からいくつも起こっているらしい、、、ですからそれを頭の中に入れておくと不意に神意が降りてくるように思える時があるらしいのです ただし、そうなるには やはり敏感でなければいけないように思うのです テキストばかりを丸暗記するよりも 曇りない目で自分の目の前の世界を見渡して自由に想像力を羽ばたかせることができる環境がなにより必要だと思います それには 我に凝り固まっていては不自由になります 欲望に支配されすぎてもいけません あまり近寄っても全体は見えなくなってしまいます 性急な答えを求める人はいつまでたってもそこから先へは行けません 半分あきらめたような気持ちでコツコツ世の中を見ていくのが一番の早道のようにも思います それでは 残りの4卦も方位にからめて見て行きたいと思います 東は勢いのある方角でした 北は困難の意味があります それでは 東北に行きます この方角は昔から(うしとら)と呼ばれ 鬼門とされてきました 鬼門というのは生命を害するものが進入する方位のことを言います 八方位は八門ともいいます 奇問遁甲はですから八門遁甲ともいいます 昔から東北という位置はそんなわけで危機感をはらんだ 方角とされてきました 易卦ですと(艮ーごん)と名づけられています。象意は山、停止ということです。動かざること山の如しなどといいますが 停止、静止、孤独、騒いでも無駄などという意味があります 九星は8白土星、五行は土性になります 八白土星生まれの人は 無口で孤独感が少し漂うような感じの人になるのでしょうか 安易な妥協もしません 怒ったら怖いかも、、、てな感じです 自分の周りに一人くらいそんな雰囲気の人っていますよね そんな人は八白土星年生まれかも知れません 又そうでなくとも そういった傾向を身に帯びた人であるわけで さりげなく頭の中のノートに印をつけておきます まあ、何度も申し上げておりますが人間の個性なんて本当に当てにならないし見方によっては色々と変わってしまうものですが、、、 活発な東(雷)が北へ行って東北に来ますとそんな風な象意になってまいります それでは東が南に下がって東南になった場合はどうなるでしょう 東の活発、発展の象が南の派手に現れるという意に混じります そして(色々なものの間を動き回る)という意味になります 易卦では(巽ーそんー)といいます ずばり風のことです 人や物事の間を色々と動き回ります 風はどこにでも入っていきます 出入り自由です ですから 商売、旅行、人と人の間 を取り持つなどの意味があります 全国を渡りながら自分の会社の製品を販売する営業マンなんかには 大変よい意味になるのでしょうか 九星ですと四緑木星 五行は木性です 東北の艮(山)とは大分性格が違いますね
西へ参ります 西は 繁栄 喜ぶ 楽しむなどの意味がありました 易卦は(兌ーだー)沢のことです。悦という字の右の部分がそうで よろこびあうという意味になります。この西から北へ行きますと 北西ということになります。 北西の八卦は(乾ーけんー)天のことです。陽、父親、男性的なもの 元気がいい などという意味があります 季節は晩秋つきぬけるような高い空を想像してください 九星は6白金性です。 南に下がって南西。八卦は(坤ーこんー)地のことです。陰、母親、女性的なもの おとなしい などという意味があります 季節は浅い秋になります。九星は二黒土星です。 東、東南、東北が行動的な象意を持つのに対して反対側の西、 西南、西北の三つは行動というよりもその状態を表すような意味が強調されております。逆に考えますと六白金性と二黒土星の人は 元気のいい人、大人しい人の区別がありますが どちらも どのような境遇にも対応していける意外に順応性がある人と言えるかも知れません。 五行、八卦ともに 陰陽説と深く結びついております 陽(男性的)な八卦は坎(北)、艮(東北)、雷(東)、乾(西北)となっております 陰(女性的)な八卦は離(南)、巽(東南)、坤(西南)、兌(西)となっています 男性的というのはどういうことか女性的とはなど考えますと よくわからなくなってしまいますが 私の経験からの解釈ですと 他人の作ったプランや組織を上手に運営していくのが得意な人が女性的な卦の生まれの人は多いようです。 逆に男性的な生まれの人は まず自分でそれなりのものを作って ある程度納得しないと人に協調しないように思います まあ、とっても大雑把な見方に過ぎませんが、、、 八卦はこれでおしまいです。ずいぶんとご退屈だったと思います なじみのないものを観念としてとらえることの困難さは私自身歩んできた道なので よくわかるつもりでおりますが 又一つの別の現実の扉のカギが八卦にはあるように思います 八卦の解説がおわりました これから中央からこの八卦を八方位に配して遁甲に入りたいと思いますが、、、ちょっとその前に話題を変えたいと思います 麻雀というゲームの話をしたいのです 私が若い頃は皆タバコを吸いながら徹夜でマージャンをして暇をつぶしました 大変に面白いゲームで一晩くらいあっという間に時間が過ぎます どこか面白いかといいますと とにかくツキが偏るのです ですから どんなに頭の回転がよい相手でも ツキがないとあがれない どんなに頭がよくとも感情に左右されてツキをうまく使いこなせない者は負けます それでは どうやったら勝てるかといいますとじっと辛抱する者、一定のペースを守って目先の得失に感情を左右されない者がおおむね勝ちを得ます 勝負ことはなんでもそうだと言ってしまえば なるほどそうなのですが マージャンというゲームはある程度実力が揃ってしまうと そのツキの動きのようなものが 自分や対戦相手の 感情にからまりながら行ったりきたりするのが目に見えるように的確に認識できることがよくあります マージャンのツキというものはよくしたもので 最初には卓を囲んでいる四人全員に平等にあるように感じさせてくれます ところが このツキをめぐって綱引きがはじまりますと思わぬ 展開を見せはじめるのです どうしてマージャンというゲームでは激しくツキが偏るのか もっとも科学的にみれば 確率論の中でしか語られず ついたつかなかったというのも人間の主観から出ないということになるのでしょうが 少しこのゲームにのめりこんだことがある人なら そのツキの中にこそ他に比べるものが無いほどの妙味を感じることではないかとも思うのです マージャンは実は五行、八卦の理論と非常に関係が深いものです まず 東南西北の四方の牌があります それに白発中の三元牌 これは天地人をあらわしているといわれています これはピンズ ソーズ、ワンズの三種類の数牌も同じことです 数は1−9までで 三枚を4セット集めて手を作ります ゲームの最中ですと この牌も同じ数が揃う時と続き数でくる場合と非常に偏ります 種類も一つの系統ばかりで序盤に手があふれたりします ためしに一人で牌をまぜて 手作りをする練習をしても ゲームでやるように 偏るということはほとんどありません なぜか 四人でサイコロを振って互いの東西南北を決めて牌を集めだすと普通の感覚を超えた牌の集まり方があるのです ゲームの最中ではそんなことは当たり前のように熱中いたします そうすると今度は 勝ちが転がり込んでくる場所ができます あがれない場所に座ってしまうと調子があがらないのです 調子のよいときはあまりに気にもなりませんが その日の不調の席に座って 来る牌来る牌 つながらずに捨てていますと 当然 他に勝ちをさらわれるばかりで ここがガマンのしどころということになります 私自身は学生の頃でこの魅力的なゲームはやめてしまったのですが このツキ(あるいはツキにまつわる人の心理)にはその後もずっと考えさせられることが多かったのでした まあ、碁、将棋のように 実力がないと勝てないゲームにはない 何かがマージャンにはあって それが自分の人生や人の人生を見ても その時々の局面をツキとか 運というものに絡めてみてしまう癖がついてしまっているわけです ですから 一流大学を出て官僚になるようないわゆる手堅い人生を送っている人はあまり関係が無いかもしれません 世の中に起こることは起こるべくしておこるのだ 早いか晩いか別にして、、、という風な考えになるのも自然だと思います でも、大多数の人は どっちの道へ行くのか いつも迷い倒して生きているのではないかと思うのです ほんの偶然だとか ただなんとなくボッとしてたらこうなった、、、なんてことはよくありがちでそのたびに頭をかかえたり 大喜びしたりしているわけで まあ偶然の入り込む要素が非常に多い毎日を送っている(と感じてしまう)ようです マージャンのツキが偏るという気持ちも 科学では否定されても私たちの心のあり方ではその存在を疑うこともできないとも思います そこでー 毎日の生活や人生を麻雀のゲーム展開のように考えてみることも可能ではないかと思います 四方位 1−9までの数字、天の時 地の利 人の和 競争相手との駆け引き プレッシャーと自己のことなど、、、 ツキや運というものがこの世に存在しているのだとしたら それを最大限に使うには その動きを最大に感じることでしょうし そうなりますと ゲームのような感覚で人生を当てはめて考えて見るというのも面白いのかと思うのです そうなった時に運だとかツキというものがより身近に感じられるのではないでしょうか 先ほどだらだらと八卦の意味などを書きましたが マージャンのその局面に自分ならどう対処するか ということなら 多くの人が一家言あるのではと思います そんな感覚を持ち合わせていることが 五行八卦の意味を読み解くにしても非常に大事になってくると思います その人その人の?や!や、、、は本人でないとわからないわけですから そんな皮膚感覚のような直感が鈍いとただよけいな知識がふえただけになりかねないと思うのです マージャンを例えにしたのは適当だったのかどうか わかりません 要するに 偶然というものを目の前にしてそれをどう解釈するかという人の心のありかた次第ではないかと思うのです 偶然に左右されるのがとてもイヤだという 手堅い人もいます そうかと思えばそういったものが大好きで縁起をかついだりお宮参りが大好きな人も結構いるものです たいていの人が何かの運命の分かれ道と感じるたまの時に こういった占いに興味がいくようです 偶然というものの研究は心理学者のユング博士にある程度でその後はさっぱりという状況ではあります 今後も偶然と人の心の解明はそんなに進むことはないと思います 偶然 勧められて書き始めたこの稿もここで終わりにしたいと思います 長い間 お読みくださりました誠にありがとうございました 最後まで読んでくださりました皆様には篤く御礼申しあげます つきなみな表現を避けるつもりで書き始めましたが やはりむつかしく かえって皆様の貴重なお時間を無駄にしご迷惑をおかけしました お詫びもうしあげます |