占いを嫌う人は以前は大勢いた この手の本を持っていただけでたしなめられ
たこともある
あやふやで人を惑わすイメージが強かったのだろう 今は皆人間が悪くなって
たやすく物事
を信じたり一冊の本で人生をあやまったりはしないようになってしまった
心理学者のユングが患者の診断にホロスコープを用いたことなど喧伝されて広
まっているが 私の場合も西洋占星術がそのスタートだった 生まれた日時の惑星の角度で調
べる例の奴だ
きわめて明快なスタイルで誰がやっても同じ結果が出る 当たっていると思う
所も多い
ところが映画や小説に出てくる程の運命の細部の見極めはどうするのか 少年
の私には知る
よしもなかった 中学生の時には例の大予言が一大ブームになり、そして四柱
推命では死亡
日時までが占えると話題になったりした そして天中殺の大騒ぎ、、、
易に手が伸びたのは二十歳の頃だったと思う 黄小蛾のカッパの本だ しつこ
い性格のせいか
それ以来ことある事に易をたててきた 最初の十年はもう惨憺たるものでよう
やく当たりだし
たのはこの七年ほどか、、、
易を当てるにはいくらかテクニックはいるがやはり必要なのは「頭の微調整」
だろう 筮竹をさばいて立てる易の卦は全くの偶然によって導き出される 基本
的には下駄占いと同じなのだ
只テキストである易経は聖人の教えと言われる程に英知にあふれている しかし、、、
当たらないものはいくら有り難い教えでもどこを読んでいいものやらさっぱり
わからない
占星術では正直その人の基本的な事を知るには適しているのだが今、この時を
どうとらえるかには私には不向きに思える 結局易に帰ってしまうのは他に変わ
るものがないからだったのかも知れない 水晶球など手に入る筈もなく トラン
プやタロットも底が浅く思えたからだ 易のなんともむずかしい雰囲気が逆に私を浮気から救ってくれた
そこそこの打率が出るようになってから かつての占断ノートを見ると全くは
ずしているの
に苦笑してしまう 聖人の教えだの帝王の学問だのという言葉に惑わされて「
全くの偶然」
出てきた卦の信者になってしまっているのだ
プラスにもマイナスにも微妙に揺れるメーターの針を見ながらその都度違った
判断を下ろせる
だけの修練がないと易はつかえない
占星術のようにAという事象がでたら判断は必ずBという発想が元々ないのだ
占星術ががっしりと足を止めて打ち合うボクサーだとしたら易は蝶のように舞
いながら変則
パンチを出すタイプとも言えるかも知れない
では易と言う裸の荒馬に乗るにはどうしたらいいのか、、、
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