初めて岐阜県揖斐郡塔の倉にある聖心殿に行ったのは1987年の五月の連休
の頃だった
自由が丘の天真治療室の鶴田先生が教えてくれた場所だった 少林寺拳法の先輩の宇野さんに
とにかく気持ちのいい所らしい 技の練習をするのはもってこいの場所と聞いて早速乗った
パワースポットという言葉がはやり出したころでもあった 私達は期待に胸ふ
くらませて新幹線に乗った
山脈の連なる中人家の全くない山道をタクシーで行くと聖心殿があった
建ったばかりのとてもきれいな神社だ ただで泊めてくれるという話だったの
で破れ寺のような所を想像していたが全く違っていた
拝殿の背には山があり登山道になっている 待っていた高橋さんと会う 彼は
この地区の長者とも言える資産家である 彼の話を聞くと内容は誠に不思議なものだった
自分の地区に飛騨のある生き神様の教団からお告げがあったので山を掘らせて
欲しいと申し入れがあった なんでも生き神様(菩薩様と言う)が言うには大変
な宝が埋まっているために山全体が金色に輝いて見えるとの事、、、
そういわれても困った高橋さんは地区を代表して飛騨の菩薩様に会いに行って
見ると何とその生き神様は途轍もない力の人だったそうだ 結局、彼は自分の山
に神社を建て山の頂上にも奥殿を建てて神主としてこの地を守るようになったのだそうだ
彼の願いは一つでとにかく誰でもこの地に来て清い心で行をして欲しいという事らしい
飛騨であった菩薩様の教えも宗派は問わないので自分の神に祈って欲しい その時に自分の願いや欲望を神様に頼むのはやめて欲しいとの趣旨なのだそうだ
それは菩薩様がまだ普通の人であった時に神様が彼女の前にボロを着て現れて皆
が勝手に自分の欲に固まった願いをするので神が働けぬと訴えた事から全てが始まったということだ
高橋さんは菩薩様にあったその時からそのパワーに圧倒されてここまで来たのだそうだ
よく他人と話しをしていて いきなり「今この世の中がおさまっているのはこ
れこれの神様のおかげです。」などと断言する人がいるがわたしなどはそんな話
を聞いただけで全くげんなりとしてしまう
高橋さんの話には全くそうした押しつけがましさはなく自分の体験したこと以
外は 、、、と聞いたとかそういう風に言う人もいると言う感じで謙虚な話しぶ
りが印象深かった
すぐに彼はあとはよろしくと言い残して家に帰った
私達は技の練習をしたりその辺を歩き回ったり寝ころんだりして遊んだ
たしかにこれ程の美しい場所を全く貸し切り状態で独占できたのはこの上なく
贅沢な気分だった
夕刻に高橋さんが晩のお勤めをするためにやってきた
頭をたれてそれを拝聴しようとしていると私達の前に大祓祝詞と般若心経を書
いた紙が渡された
「ここで泊まられる方には深夜奥殿まで登って貰って祝詞と般若心経を奏上し
て貰うことになっております、、、」
それを聞いた私達は本当に驚いた 鶴田先生からもそんなことは聞いてなかっ
た
それでも私達は何か興味津々で挑戦することにした 山に入るには水をかぶって身を清めなければならない 深夜滝まで行って水をかぶって身支度をして二人で登る 元々拝殿にも電気が来てないので懐中電灯は大きいのを二つとヘッドライトまで用意してあった
暗いのでなんだかよくはわからないが三十分程で奥殿についた 小さな拝殿の後ろは巨大な屏風岩となっていてかつて教団の人が掘った穴に水がたまっていた
ちなみにお宝らしきものはついに何も出なかったそうだ 後に高橋さんはここ
にたまる水を飲むと健康にいいようだ 菩薩様の言う宝は水のことかも知れない
と話してくれた
それから二人で祝詞からあげはじめるがどうにも読みつらくて唱和できずにな
んだか滑稽であった 結局二日深夜の登山をした
なにが縁になるのかわからないがそれ以来、毎朝般若心経をとなえるのが日課
となった
この経を多くの一流の経済人が心のより所にしているのは私も本で読んで知っていた サラリーマンをやめて商売で身を立てる私にとって又神秘的な事がなにより好きな私にとって般若心経はむかしからの憧れだった 何度か本を読んだことはあってが内容に全く記憶はなかった
只何となく有り難い教えとしか印象がなかったのだ
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